17 / 21
第七話
感情を昂りのままに吐き出し、勢いでアルベールに抱き着いては見たものの、リュカの中にはもう一つ懸念があったのも事実だ。
冷静さを取り戻していくほどそれは輪郭を明確にしていき、リュカの心に冷や水を浴びせていく。
たとえアルベールに特別に思われようとも、所詮自分は一介の愛妾。見捨てられているとは言え王であるオーギュストのものなのだ。それがこうして裏切るようにして他の者を慕うなど、許される筈がない。そしてその咎はきっとアルベールにも及んでしまう。それだけは避けなくてはならない。
(アルベール様が大切であるからこそ、わたしはここで諦めなくてはいけない)
アルベールはリュカの背に腕を回してでき締めていてくれたが、リュカはそっと身をよじってほどき、「……ごめんなさい」と小さく呟いた。
「随分と取り乱してしまいました……忘れてください」
「リュカ?」
「わたしはやはり、城に行かねばなりません。アルベール様にそのように言って頂けるのは大変光栄ですが……わたしはただの愛妾ですし……それに……」
あなたは公爵である以上、自分から想いを伝えることもきっと罪だろう。それに、アルベールには他にそのような存在がいてもおかしくないのだ。
アルベールの闇色の瞳が戸惑いで揺れている。自分なんかのためにそのように心を砕いてくれる彼のことが心底愛しいと思う。思うけれど、リュカはただの愛妾であり、アルベールにはきっと他の生涯を共にする伴侶となる存在がいるはずだ。
だからもうこれ以上彼の手を煩わせるようなことをしてはいけない。温かな言葉をかけてもらえたことや手当てをしてもらえたことを最後の思い出として大切にし、罰を受けに城に戻らなくてはならない。
「あなた様には、わたしなんかよりもずっと大切にしなくてはならない方がいらっしゃることでしょう。アルベール様のこの先のご活躍と幸せを、陰ながらお祈りさせて頂きま――」
「――――一体、何の話をしているんだ、リュカ。俺にはそのような者はいない」
「え……? ですが先日の縁談の話が合ったでは……」
「そんなもの、とうに断っている。あなたという方がありながら、何故そんな話を受けなくてはならないのか」
困惑と怒りの混じった声で名を呼ばれて瞬くと、アルベールが再びリュカを抱き寄せてくる。先ほどよりも強い、抗えないほどの力で。まるで決して離さないと言わんばかりの強さに、リュカは戸惑いを隠せない。
「俺は、あなたにそんなことを言って欲しくてここに匿 っているわけじゃない」
何故そこまでアルベールが言うのか、まるで怒りを孕んでいるような声をしているのか、リュカにはわからなかった。いや、わかってはいけないと思っていたのだ。まさか公爵である彼が、自分に対して本当に自分が望むような感情を持っているとは信じがたかったからだ。
「アルベール様……あの、腕をほどいてください。お願いですから、私をこのまま城へ……」
「断る。絶対に、あなたをあの男の許にはやらせない」
「ですが、そうしてしまったらあなた様にまで咎が」
「構うものか。あなたと共にあれるのであれば、あなたという光を失うくらいならば、この命など惜しくはない」
彼にそこまで言い切らせるものは何なのか、リュカには到底理解しがたい。立場も果たすべき義務も、彼は放棄しようというのだろうか。自分なんかを匿うことですべてを失いかねないというのに。
リュカにとってアルベールが光のような存在であることは、まだ理解できる。後宮という場所の中で、オーギュストすらも味方でなかった中、ただひとりリュカをリュカとして扱ってくれた存在なのだから。それがどれほどリュカにとっての救いであり希望であったか。だからこそ、リュカはアルベールに思慕を募らせていたし、いまの状況を幸福とさえ感じている。許されないとわかっている上でも、その感情はゆるぎない。
だが何故アルベールまでがそのような――リュカを光だと言うのだろう。彼にはもう心に決めた相手がいるのではないのか。希望を持たせるような言葉に反応しそうになるのを、リュカは必死にこらえつつ告げる。
「なぜそのようなことを仰るのです。わたしなんかを匿ったところで、あなた様は不幸になるだけです」
「あなたと共にあれるのであれば、不幸でも構わない。あなたと共にあること――たとえそれに死が伴おうとも――自体が、俺には愛しいからだ」
アルベールの口から飛び出した言葉に、リュカの心臓が止まりそうになるほどの喜びを感じてしまう。あふれる涙が止まらず、差し出される言葉ごとアルベールを抱きしめたくなる。そんなことをしたら、いよいよアルベールを巻き込んでしまい、不幸にしてしまうのに。
「初めて会った夜会を覚えていないか? あなたは俺が差し出した水で命の芽吹きを例えたのを」
初めてリュカがアルベールと出会った夜会のことは、忘れられるわけがない。あの夜でリュカの日々は一変してしまったのだから。
「あの言葉の美しさ、そのような言葉を即座に紡げる聡明さ、そして心の美しさに俺は惹かれた。それこそ、俺の胸に光が宿ったようだった。だが……目の前であなたはあの男のものにされてしまった。あの出来事がどれほど口惜しかったか」
アルベールとの談笑を断ち切られ、さらわれるようにして愛妾へと召し上げられたリュカのことを、アルベールはずっと悔やんでいたという。王と公爵では力の差が歴然であり、公然の場で意見することなど到底できないのだから。
「その上、ようやく再会できたと思えば……あのような仕打ち……。それをどう受け入れて良いものか、ずっと悩んでいた。何故なら王命とは言え、あなたに触れることを俺は喜んでもいたのだから」
再会を果たせたのは後宮の中で、しかも王命でのまぐわいを命じられてのことだった。あの出来事をきっかけとしてリュカはオーギュストからの扱いに疑問を持つようになったのだが、アルベールはまた違った苦悩を抱えていたようだ。
「王に忠誠を誓いながら、王のものを穢す。その狭間で揺れる俺にとって、あなたとの手紙のやり取りでどれほど心慰められ、自分を保てていたか。しかし同じくらい、俺はあなたを欲してしまっていた。許されることではないとわかっているのに」
王に忠誠を誓いつつも、王のものである愛妾のリュカとまぐわうことに喜びを感じてしまう矛盾。その苦しみの中でも、彼は確かにリュカとのひと時の喜びを覚えていたのだという。
しかしそれはリュカにとって思いがけない光明となって降って来たとも言える。王命でこそあったが、オーギュストとは比べ物にならないほど丁寧でやさしく扱われ、その上悦びまで味わえたことを悔やんでなどいなかったからだ。
「だがもうあの男には我慢がならない。これ以上あなたという光を穢すことしかしないのであれば、たとえ死を宣告されようとも、あなたと共にいることを選びたいと思ってしまう。たとえ公爵として許されなくとも」
苦悩して頭を抱えるアルベールを抱き寄せ、リュカはその名を呼ぶ。かけがえなく愛しい、特別な存在として。
「アルベール様、お顔を上げてください。わたしは、嬉しいのです。あなた様も、私も同じ気持ちでいたことが」
吐息を感じるほどの距離で見つめ合う互いの瞳には昂った感情の欠片がきらめいている。互いの瞳に映し出している姿は、もはや公爵と愛妾という肩書を捨て去っていた。ただ一人の人間同士として二人はいま見つめ合い、想いをむき出しにしている。
「わたしも、あなた様との睦み合いで悦びを知りました。でもそれは、オーギュスト様ではない相手だからではありません。あなた様だから……誰よりも私をリュカとして見て下さるアルベール様だからです」
「……リュカ」
「わたしにとってのあなた様も、まばゆい光です。あなたの言葉や振舞いで、どれほどあの後宮での苦い日々が耐えられたか。だからどうか、もうご自分を責めないでください。あなた様が責められるべきならば、わたしも同罪ですから」
同じ思いを互いに抱えていることを積みと呼ぶならば、喜んで罰を受ける。二人で共にあれるのであれば、たとえそれが地獄の先であっても構わない――そう、リュカは思っていた。
その想いがアルベールにも届いたのか、そのまま顔が近づいて来て唇が重なっていた。初めてかわす口付けは、これまでに感じたことがないほど甘い。
「愛しています、アルベール様。この想いが罪というのであれば、わたしが喜んで罪びとになります」
「俺も愛している、リュカ。あなたと共にあれるのであれば、地の果てであっても構わない」
ともに罪を背負い、罰を受けることも厭わない。それさえも二人にとっては幸いになり得るのだから。その誓いの言葉を口伝いに注ぎ合うように二人は再び唇を重ね、深く絡み合っていく。熱い舌を絡ませ、唾液を交わし溶け合うように口付ける。熱はやがて甘味を帯びてきてより一層二人を引き寄せていく。
触れ合っていると、まるでそこから光を放っているような幸福感を覚えるのは何故なのだろう。甘露な熱だけでない何かが、触れ合うごとに注がれていくようだ。
「ッあ、ッふ……アルベール、さま……」
「リュカ……俺の光……」
アルベールに光だと言葉をかけられると、胸の中に灯っていたものが体内の端々にも灯っていく気がする。胸元から腹部へ、爪先へ、目許へ。まるでそれまで何かに塞がれるになっていたリュカの視界が拓かれるように明るくなっていくのを感じる。そしてそれは光が点るごとに幸せな気分にもさせられるのだった。
「光の方、アルベール様……こんなわたしでも、愛してくださいますか?」
いつのまにかソファーに組み敷かれるような体勢になっていたリュカが見上げながら問うと、アルベールはこれまでに見せたこともないほど喜びに満ちた顔でうなずく。
「もちろんだ、リュカ。俺の光を、存分に愛していることをあなたに示させてくれ」
胸に迫る喜びで視界がにじんでいくのが止まらない。これを幸せと呼ばないのであれば、もう何もいらないとさえリュカは思えた。リュカはいま確かに幸せを感じているのだから。
「アルベール様、愛しています」
重なるアルベールの体を抱きしめながらリュカが感極まりつつ囁くと、その耳元にも口付けが施され、囁かれる。
「俺もだ、リュカ。あなただけを愛している」
そうして二人は幾度目になるかしれない口付けを交わしながら、溶け合うように肌を重ねていくのだった。
ともだちにシェアしよう!

