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第二話

「そこまでだ、オーギュスト」  痛みと衝撃が走るのを覚悟していたリュカの耳に飛び込んできたのは、自らの最後の悲鳴ではなかった。  聞き慣れない、しかしどこかオーギュスト以上に威厳を感じる低い声に難くつぶっていた目を開けると――雪灰色の見事な馬に乗った堂々たる風格の男性がこちらを見ていたのだ。  身に着ける衣装は一目で上質のものとわかるこの人物の名を、リュカは信じられない思いで呟く。 「……レオポルド様?」  少数の護衛だけを引き連れているその人は、リュカの呟きにうなずくようにしたかと思うと、颯爽(さっそう)と馬を降りる。そうしてためらう様子なくオーギュストに歩み寄り、その振るい挙げている剣を取り上げた。オーギュストは事態が呑み込めないのか、ぽかんと口を開けている。 「ち、父上……何故こちらに……」  突然の父王・レオポルドの登場に動揺を隠せないオーギュストは、うろたえた様子で呟く。情けなくも弱々しい声にはもはや王たる威厳は感じられない。  レオポルドは剣を投げ捨て、怒りのこもった目でオーギュストをにらみ付けて答えた。 「お前が(わし)の忠告を散々蔑ろにし、挙げ句このような騒動を起こしているのを知らぬとでも思ったのか?」 「で、ですが父上! この者どもは王である私の(めい)に背き結託していたのですぞ。いつぞやのベルナール公爵のように、油断ならぬ存在とも言えます。即刻罰を与えねば――」 「黙れ、オーギュスト!」  弁明を募るオーギュストに対し、レオポルドは厳しい声で一喝し黙らせる。あれほど強権的であったオーギュストはいま、牙を抜かれた獣のように意気消沈している。 「儂はそもそも、お前が後宮を設けたことに反対であったのだ。性に奔放なお前だからこそ、権力のままに国の民を巻き込んでの振る舞いがその内にお前の立場を揺るがしかねないと危惧しておった」 「後宮は王の権威の証しです! 王が美しいものを侍らせて何が悪いというのです! それに私は、政務を滞らせてはおりませぬ!」 「その考えがすでに浅はかなのだ、オーギュスト。王たるもの、その権威を見せつけるのではなく、態度で示すのだ。権威を振りかざしてこその王などという考えは浅はかな愚王のすることだ」 「しかし父上!」 「お前には反省の時間が必要なようだな。しばらくの間蟄居(ちっきょ)を命じる。己と向き合い、王であるとはどういうことかをもう一度見つめ直し、学び直すがいい」  オーギュストに下された罰は、王にとってかなり重たいものとなった。どれほどの間かはわからないが、しばらくの間オーギュストは王としての振る舞いを顧みることになりそうだ。  レオポルドの言葉に、オーギュストは返す言葉もないのか、うな垂れて口をつぐむ。  だが静まり返った一帯に、次の瞬間怒声が響き渡る。 「何故だ!! 何故アルベールが選ばれて私が罰せられねばならぬのだ!! 私は、ただルシアンを愛してやまないだけだ!! この男にないものを、私はいくらでも与えてやれるというのに!!」  取り乱し、リュカの方につかみかからんばかりの勢いで迫ろうとするオーギュストを、侍従らが慌てて抱き留め食い止める。喚き散らし髪を振り乱すオーギュストの姿はあまりに憐れで、リュカはただ憐れみの目を向けるしかなかった。 「オーギュスト様。わたしは、ルシアンではなく、リュカです。アルベール様はわたしをルシアンではなく、リュカとして見て下さり、受け容れて愛してくださいます。わたしが望むのは、そのような形の愛なのです」 「私は王だぞ! 私に手に入れられぬものも与えられぬものもない! それでも愛していないというのか!?」 「王であろうとも、公爵であろうとも、わたしをわたしとして扱って下さらなければ、わたしがその方のお傍にいる意味はありません。わたしはわたしとして、愛されて愛したいのです」  申し訳ございませんとリュカが頭を下げることはなく、ただ真っ直ぐに何故オーギュストから逃げ出したのかを告げると、オーギュストはがっくりと肩を落としてうつむき、そのまま膝から崩れてしまった。地面に這いつくばるようにうずくまる若き王の姿はあまりに憐れで、父王レオポルトでさえも慰めの言葉をかけられないでいる。  やがて抱きかかえられるように立ち上がると、背を向けてふらついた足取りで馬車の方へと向かって行く。そうして馬車の手前にまで歩きついた時、ふと歩みを止めた。 「なあ、教えてくれ。私は、間違っていたと思うか? 後宮に召し上げ、名を与え、私なりの愛情を示すことが間違いだったと思うか?」  覇気も力もない言葉に、リュカはわずかに心が痛んだ。しかしだからと言って、オーギュストにこれまでされてきた振舞いを思うと、同情する気にはなれなかった。だから真っ直ぐに答える。 「わたしにとって、陛下の愛情は間違いだったというだけです。わたしにとっての愛は、アルベール様でしかありません」  迷いのないリュカの言葉に、オーギュストは小さく苦笑し、「……そうか」とだけ呟くと馬車に乗り込み去っていった。その背中は小さく威厳も感じられない、ただ恋に破れた若い男の姿だった。  そうして残されたリュカたちに、レオポルドが告げる。 「アルベール、そしてリュカ。こたびは我が愚息のせいで多大なる迷惑をかけた。心から詫びをさせてくれ」 「レオポルド様……」  父王と言うよりも一人の父親としてリュカたちに謝罪の言葉を述べるレオポルドの姿は痛々しく、リュカとアルベールは顔を見合わせる。  そうしてレオポルドはため息をつき、「しかし、騒動となったことについては、示しをつけねばなるまい……」と、申し訳ない様子で続ける。 「オーギュストの愚行が発端とは言え、あれも王であることに変わりはない。その王の|命《めい》に背き、リュカが後宮を抜け出したこと、それを匿ったことは罰せねばならぬ」  今回の件が国の民に知られた時、王命に背いているリュカたちが何の咎を受けないのは王威に関わるとも言える。オーギュスト自身は蟄居という罰を受けているため、リュカたちにも相応の罰が下されるだろう。 「どんな罰でも覚悟はしております」 「二人共にあれるのであれば、構いません」  死罪さえ覚悟しながらアルベールとリュカが声を揃えてそう述べると、レオポルドは「そうか……」と呟き、やがてしばし考えこむ。  祈る様な心持でレオポルドの言葉を待ち受けていると、レオポルドはこう告げてきた。 「ならばグランディ公爵を西の果ての地へ流刑とする。そしてルシアン……いや、リュカ=ベルニエ。そなたはグランディ公爵に付き従う者として共に西の果てへ流刑とする」 「レオポルド様……私たちを、不敬だとお裁きにならないのですか?」  アルベールが恐る恐る尋ねると、レオポルドはため息交じりにうなずき、苦笑して答える。その笑みは慈愛に満ちた老いた王の心そのものと言えた。 「お前たちも元はと言えばオーギュストの愚行の被害者だ。無罪放免としたいが、堪えてくれ」  それだけを告げると、レオポルドは再び馬に乗り去っていった。  残されたアルベールとリュカはただ茫然と小さくなっていくレオポルド一行を見つめ、やがて見えなくなってからも佇んでいた。  怒涛のような数日間であったが、リュカはこうして晴れて自由の身となったと言える。 「アルベール様……わたし、もう愛妾ではないのですよね?」 「ああ……あなたはもう、誰に縛られない自由の身だ。ただ」 「ただ?」 「今日からは俺と共にある者として西の果ての地で過ごさねばならない。それでもいいのか?」  振り返り見つめてくる闇色の瞳が、優しく問うような眼差しを向けている。死さえ覚悟していた事態は思いがけない形で終焉し、残されたのはお互いの存在だった。  だからもうリュカの心はただ一つに決まっていると言えた。 「もちろんです。わたしは、愛するアルベール様と共にあると決めましたから」  そのためであれば、王にだって立ち向かえる。そう言葉を続けようとしたリュカの唇を、アルベールのものが重なり塞いでいく。深く絡まり合うそれは、やはり永遠のように甘く、リュカの胸に灯りをともしてくれる。 「そうだな、俺の光」 「アルベール様」 「愛しているぞ、リュカ」  互いを灯し合う光として惹かれ合った二人は、こうして王の支配から逃れて結ばれ、永遠を誓うように口付けを交わしたのだった。

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