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3章(4)
「ノア様」
「……あの」
言いかけて、音にしてしまってからノアは少し迷った。けれど、聞かないわけにはいかなかった。
「さっきの人、アルフじゃなかった気がして」
侍女の手がすぐに止まった。まるで何か心当たりがあるかのような早さだった。反射と言うべきかもしれない。
茶器を片付けようとした手の動きが止まった、少し考える様子を見せてからゆっくりとノアの隣に膝をついた。
「……ノア様には、お分かりになったのですね」
彼女の声には驚きが微かに乗っていた。
しかし、それをすぐに飲み込むようにして、彼女は穏やかな表情を取り戻した。普段と変わらない…でも、普段よりも何かが乗っているような表情だった。
「殿下には——お双子の弟君が、いらっしゃいます」
「双子」
ノアはその単語を意識することなく口に出していた。その呟きを聞いた侍女は、一度しっかりと頷いて続きを話した。
「ウィルフレッド殿下と申し上げます。お二人は本当によく似ておられて……私たちでも、見分けがついたことはございません」
「見分けがつかない?」
「私はもう、十年以上お側にお仕えしておりますが…未だに」
ノアは膝の上で両手を握った。それでは、自分が見分けたことは、ここに長く仕えてきた人たちでもできなかったことなのだろうか。
「アルドヘイムでは、に十歳以上のアルファ王族の方々全員に、王位継承の枠が与えられております。順位は功績などでその後は絶えず変動するのです」
「うん……」
「ですがお二人がまた特別で。お生まれになった時に、お二人で継承の枠を分かつようにと、定められております」
「分かつって?」
「ええ。形の上では、お二人でそれぞれ座を持っております」
侍女の声が、少しだけ低くなった。
「なので……お二人が、もしいずれ選択を迫られる時が来た場合は……継承のための争いは、たとえ王都の内であっても咎められないのです」
そこまで言ってから言葉が止まった。言い終えたのではなく、途中なのだということが、彼女の瞳の動きで分かった。
言葉を止めたその数秒の間、彼女はノアから外した視線を自分の膝に落としていた。
「王位継承の座は一つ…必要であれば、お互いを、剣で——」
言葉が続いた後に、再びそれは途切れた。
「…決して、そのような日が来ないようにと私たちは祈っております」
ノアの瞳が大きく開いた。
「どうして……そんな、こと……」
「この国の、遠い昔から続く王位継承の慣習でございます。外の方々は、お二人を……呪われた双子の皇子と、お呼びする方もいらっしゃいます」
侍女の声が、その呼び名を口にする時にこれまでとは異なる躊躇と、少しばかりの乱れが乗せられていた。
「お二人が、決して見分けがつかないこと。戦場で、お慈悲を見せないと言われていること。…他にも、色々と」
「他にも」の中身を、彼女は語らなかった。
ノアも聞かなかった。聞いていいこと、聞いてはいけないことのはっきりとした境界線がノアにはなかったものの、彼女の表情は聞いてほしくなさそうなものだった。だから、ノアはそれ以上聞かなかった。
「ですが、私たちがお仕えしてきたお二人は……決してそのようなお方々ではありません」
続けられた侍女の言葉は少しだけ言い方が強くなっていた。
ノアはそれに少しだけ驚いて侍女の横顔を見つめる。穏やかな笑みを取り戻していたが、その笑みの裏側には何かをずっと抱えてきた人の重さがあるような気がした。
侍女の言葉は、ノアの中に抵抗なく入っていた。この短い間でアルフレッドと過ごすことでノアが見たものと、同じだと思った。
「アルフレッド殿下も、ウィルフレッド殿下も……本当に素晴らしい方です」
彼女は湯気の立つ茶を、ノアの前にもう一度差し出した。
「お二人が、いずれそのような選択を迫られる日が来なければ、それで」
動作は完璧だった。
けれど、その完璧さの中に、彼女が長い時間抱えてきたものの輪郭がぼんやりと浮かび上がっているようだった。
ノアは置かれた器を両手で包んで受け取った。器越しにもその温かさがよく伝わってくる。
「……ありがとう」
ノアは質問を重ねることはしないままに、ただそれだけを小さく言った。
その言葉を聞いた侍女は微笑んだ。すぐにその後何も言わずに立ち上がり、別の侍女と片付けを始めた。
ノアは茶を一口含んでから、視線を窓の外に移した。傾いた陽が、庭園の植え込みを金色に染めている。先ほど見た貴族と少女の影は、もう一欠片も残っていなかった。
──アルフ。
夜に会ったら、聞いてみよう。
今夜帰ってくると聞いて、どうしようか悩んでいた。顔を合わせたら、どうなるか分からないから。どうしたらいいか分からないから。
でも、今夜は会いたいと正直に思えた気がした。何を、と問われたら答えられないけれど、彼の何かを聞いてみたかった。
ノアはもう一口茶を飲んだ。
いつも通りの、温度も味もよく調整されたものだった。
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