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3章(6)
相変わらず、一人二人で寝るには広すぎる豪奢な寝台の上で、ノアは暇を持て余していた。
そんな時にアルフレッドが本当に帰って来たのだ。立ち寄りはしてもノアのもとにまで来るとは思っていなかったため、心底驚いた顔をしてしまった。
侍女から忙しいと聞いていた。アルフレッドも言っていた。でも、来てくれた。
アルフレッドの姿をベッドの上で膝を抱えながらじっと見つめていると、視線に気がついたように振り返って見つめ返される。振り返る動作すら流麗で、その視線の流し方も蠱惑的なものだから、ノアはあまり見つめるべきではなかったとほんの少し後悔した。寝室に来る前に、身に纏っていた装飾の多い外套は何も言わずに侍女へ託され、僅かに身軽な恰好になっている。
「足は治ったか?」
「うん…大丈夫」
本当はまだ、少しの違和感と痛みが残っていた。歩く分には良いが走るのはまだ怖い。
しかしそれを言うのもどこか気が引けるのと、生活には支障がないこともあり言葉では大丈夫だと返答をする。
ノアが緩慢に頷く動作をしている途中で、アルフレッドが寝台に歩み寄ってきていたことには気づかなかった。
「いた…ッ!」
突然足首を強く掴まれて身体を強張らせると同時に、情けない悲鳴をあげてしまう。ノアの反応を見てすぐに、足を掴んだ手からは力が抜けて解放された。
アルフレッドはノアの足に触れた手で襟元を緩めながら見下ろす。
「すぐ分かる嘘をつくんじゃない」
「だからって、」
こんな確かめ方はないだろう、とノアは涙目でアルフレッドを見返した。
「まあ…熱は下がって顔色も良いからな、問題はないか」
「もんだい…」
問題とは、と自分の中で反覆させる。
どの問題のことを、言っているのだろう。
そう言ってすぐ後に寝台の上にアルフレッドが腰掛けてきて、一気に距離が縮まる。
寝台の縁が彼の重みの分だけ静かに沈むと共に、ノアの身体もほんの僅かにそちらへと傾いた。自分で寄ったわけではないし、アルフレッドに寄せられたわけでもない。
座り直せばいいのだと思ったが、身体は動かなかった。
動かせば、自分が距離を気にしていたことをアルフレッドに教えることになる。
ノアが想像できないほど高価な素材で一から作られた寝台は決して音を立てることも、不快な振動を伝えてくることもないというのに、アルフレッドの存在が側にいるのがよく分かった。それにどきりとしていると、鎖骨のあたりに手を伸ばされる。
「綺麗だな。よく似合っている」
アルフレッドの瞳は、特に動きを見せなかった。
「なに…?」
「装飾品などつけるのは断固拒否するかと思っていたが、根負けしたか?」
昼間、半ば強引につけられてしまった首飾りのことを指しているのだと分かって、ノアもアルフレッドの指先に視線を移す。
寝る前に外そうと思って、それからアルフレッドが帰って来るから何を話そうか考えている間に、外すのを忘れていた。忘れていたのか、見てほしかったのか、もう判断はつかない。
「お前の瞳と同じ色だ」
上目にアルフレッドの様子を伺えば、目元を緩め穏やかな微笑を浮かべていて…それが初めて見る類のもので、ノアの心は簡単に浮ついた。アルフレッドの新しい表情を見つける度にノアは心奪われる。それがどうしてなのか、分からないままに。
「こんなに綺麗じゃないよ」
「そう思っているのはお前だけだ。だから侍女たちもそれを勧めたのだろう」
アルフレッドの手が離れる。それでも近い距離にいることに変わりはない。
たとえアルフレッドにとっては慣れた言葉であろうとも、言われて嫌な気持ちになるはずがなかった。
「次は俺が贈ったものでも身につけてほしいものだ」
「そんな、勿体ないからいい」
「俺から贈られるものを喜びこそすれ、勿体ないと言って断る奴がいるとはな」
「だって」
高価な物に自分が触れるのは気が引けるのだ。アルフレッドが選ぶものなんてノアの思考の届かないものだろう、ただの一般庶民の出である自分には身につけられない。高価なものは身につけるべき人が身につけるべきで、子どもで宝石の価値も分からない自分には到底合わないだろう。
(どうして、そういうこと言うんだろう──…)
こんなことを言われるから、アルフレッドの真意が掴めなくて困ってしまうのだ。
僅かに視線を俯かせて、ノアは黙り込んだ。贈り物という言葉も本心なのか判断がつかない。
村に帰ることが許されない状況であり、アルフレッドがいいと言わない限り村に帰る手段も何も分からないのだから、ノアは必然的にここで生活を続けなければならない。
アルフレッドに仕える使用人たちは皆優秀であり忠誠心もあるため、主人が連れてきた子どもが逃げるのも良しとしないだろう。アルフレッドの本心はどうあれ、彼らはノアを主人が気に入ったオメガ…番だと認識しているのだから、ノアがここから出たいと言っても聞き耳は持ってもらえないはずだ。誰の協力も得られない中でここから逃げることなどできるはずないのだから、大人しくしているしかない。
しかし、何をするでもなくただ離宮の中で生活をするだけというのはノアにとっては不可解なものであり、どうしてここにいるのだろうと益々謎が深まっていくのだ。アルフレッドやその周りの人たちの言う、番だからやら好きだからやらという言葉は、まだ完全に飲み込めていない。目覚めてすぐの日アルフレッドに言われた通り、飲み込んだ後に嘘だと知るのが怖かった。
「俺が留守の間、寂しい思いをしていないか?」
「えっ…?」
そんな言葉をかけられるとは思ってもいなくて、ノアは俯いていた顔を上げて驚きに瞳を大きくさせながらアルフレッドを見つめた。
子どもを揶揄っているのかと一瞬は思ったが、声色は違う。
ノアの驚いた反応を見て、アルフレッドは真剣な眼差しをほんの少し緩めてから言葉を続けた。
「連れて来たくせにずっと放ったらかしにして、と思っている顔だ」
「それは思ってる、けど…」
「正直だな」
アルフレッドが短く笑う。
アルドヘイムの首都であるカルディアに連れて来られた手段はあんなに強引だったにも関わらず、連れて来るだけ連れて来てアルフレッドは姿をなかなか見せない。ここからノアが逃げることなどできないという自信があるゆえでもあるだろうが、侍女たちから話を聞く限り、それよりも多忙に追われているという背景の方が大きいのだろう。
「話に聞いているだろうが、今は隣国との戦いも続いている最中だからなおのこと時間に追われている…お前がいなければ、俺はここに足を運ぶこともなかった」
「そんなの、嘘」
アルフレッドが苦笑する。
大人の、笑い方だと思った。
「お前は本当に口説かれてくれないな」
「変な言い方しないでっ」
「どこがだ。お前にとっては違うだろうが、俺にとってはようやく見つけた番なんだ。時間の許す限り顔を見に来るに決まっているだろう」
アルフレッドがあまりにも真剣に言うものだから、本当にそうなのかと思いそうになる。
側にいてもいなくてもノアの心を占めては悩ませる男だ、幼い心をざわつかせるなど彼にとってはそう難しいことではないのかもしれない。しかし、義務感であろうともこうしてノアのもとにまで足を運ぶことをしているという事実は喜びとしてノアの心に形を残していた。
忙しいのに。来てくれた。ノアはまた、無意識に繰り返した。
「……お前は、一人で過ごす習慣がなかったな」
癖付きやすい柔らかな前髪を撫で上げられる。
その手が伸ばされていたことに気づかなかった。あんなに、アルフレッドが手を伸ばす度に身を強張らせていたはずなのに。
温かい手のひらを感じて心地良くなるものの、それに気を取られるばかりでなく、ノアはアルフレッドの言葉の意味を理解しきれずすぐに尋ねた。
「なに……?」
「ひとりで寝るのが寂しいのなら、気に入った侍女のひとりやふたり、寝台に上げていい。ベータの女であれば、万が一があってもそう問題はないからな。皇子の番と共に寝るなど本当は非難されるものだが…」
「万が一…?」
「お前に突然発情期が来たりしたら、だ。オメガのフェロモンはベータでも当てられやすい…だが女であれば間違いは起こらない」
本音を言えば、寂しくないと言えば嘘になる。今までひとりで過ごしたことなどなく、両親や幼馴染、村の人たちと常に一緒にいたノアにとってここでの生活は慣れないものばかりであり、どこか距離を感じる使用人たちの態度に切なさを含んだ寂寥感を抱いていた。あくまで主人の気に入りのオメガと、それに仕える使用人という立場を崩すわけにはいかないのだろう、どんなに親切にしてくれていても家族や友人のような親しみを持ってくれているわけではなかった。それが、ノアにとっては寂しいのだ。
まさかアルフレッドがそんなことを気にしているとは思わなくて、無意識のところでノアは喜んでいた。それに気づくこともないまま、続けられるアルフレッドの言葉に小首を傾げては聞き返す。
まだアルファもベータもオメガも、発情期だって何も分からない。
それでも、もしもそうした状況になった場合のことを考えると、アルファやベータ性を持つ男性と共にいるのは良くはないことだけは理解していた。
「みんな、ベータの人なの?」
「ああ、お前の身の回りの世話をさせている者は全員。そもそも、ベータの人口が大半を占めているから必然的にここにいる者のベータの割合も高くなる」
「そう…なんだ」
「アルファは大多数ではない…オメガはそれ以上に」
「それも、全部…」
最初から考えて、ノアの周りに人員を配置していたということだ。
常日頃から世話を焼いてくれる使用人たちは優しかった。ノアを気遣っては困ることがないように先に手を回してくれ、不自由を感じないように一から十まで完璧にこなしてくれる。それが彼らに与えられた仕事であろうとも、親切にしてもらえるのはノアにとって嬉しかったし助かっていたのだ。母や父のような愛情はなくとも、全員が優しくしてくれた…それだけで、十分だった。
「…みんな、優しくしてくれるから…大丈夫」
何を言われることなく、頬を撫でられる。
子どもらしい丸みを帯びた頰を手のひらが撫でてから首筋に移動していく。アルフレッドの瞳は真剣な色をしていた。
何も言わなかった。
だから、ノアは続けた方が良いと思って、そのままアルフレッドの瞳を上目に見つめた。
「あの、ありがとう」
「礼を言われるほどのものでもない」
「でも…前もみんなに言ってくれたから」
「……お前は良い子だな」
アルフレッドに抱きしめられる。
洗練された、アルフレッドの良い香りに包まれてノアはゆっくりと身体から力を抜いた。
力を抜いていた。この前までは、手を伸ばされるだけで身構えていたはずなのに。
「ん…」
しかし、抱きしめられながら身体中を弄られて、くすぐったいような気持ち良いような曖昧な感覚に戸惑って身を捩らせる。
なんとなく、本当になんとなくなのだが、ノアでもそうなのではないかと思うほどそういう雰囲気になっているのが分かって、無意識に緊張した。こればかりは、全身を硬くさせてしまう。
耳の形に沿うように唇を押し当てられて、びく、と小さくその身を跳ねさせた。雰囲気に呑まれつつあることに気がつく。
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