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5章(4)

豪華なシャンデリアの照明が辺り一面を照らしている。 玄関から続く大広間には豪華な置き物や花まで生けてある。 アーチ状に枠取られた柱の先に大きな重厚感のある離宮の扉があり、その目の前で数人が立ち話をしているのが分かった。階段下の脇に立つ柱に手をつき、本当に久し振りである姿を視界に映す。 どういった経緯で離宮に帰ることになったのか気になるところだが、アルフレッドと共に見知った二人…レティシアとシエルの姿もあった。もう一人は見たことのない男性である。 彼らは、離宮に着いたはいいものの何か深刻そうな話をしていた。真剣な表情と、時折考え込むような仕草が遠目に見える。 そんな話題の最中に、自分が飛び込むなどできるはずがない。 美しい装飾が施された柱の影に隠れるように背中をへばりつかせ、存在感を消すように努めた。 言われてみれば、疲れていそうな顔はしているものの、目の下に隈ができているわけでも、やつれた様子も感じられなかった。 ここまで来ておいて、どうして自分がこんなことをしているのだろうかと考えそうになる。 アルフレッドが、本当に喜んでくれるか。 どういう人が出迎えたら、アルフレッドは嬉しいのだろう。今まで、どんな人と彼は関係を持ってきたのだろう。誰が待っているとなれば、仕事など放り出して帰って来ていたのだろうか。そこまで考えて、胸が痛むような思いがした。どうして痛いのかまでは、分からなかった。 「押し問答、すげぇ長かった」 「いつものことよ」 「あれがなければ、俺、今夜デートに行けましたよね」 「行く予定があったのか?」 「ねぇっす」 シエルの言葉に、レティシアが「あ、そう」とだけ返していた。 「あの魔石って、そんなにやばいんですか?俺にはただの石ころにしか見えなかった」 「通常の魔石は問題ない。あれは汚染されていた、だから俺以外に回収はできなかった。扱えるであろうシュヴァルツ兄上も、ユリウスも、現場には出ないからな」 「何で扱えない人がグダグダ言うんだか。でも、あのまま放置ってことにもなりませんよね?」 「王宮に保管することになると思うが…保管責任者は俺ではない、恐らくは…」 余計な思考に耽っていて、ふと、アルフレッドの言葉が途切れたことには気づかなかった。 「───ノア?」 名前を呼ばれてどきりとする。久し振りに聞いたその声に、勝手に心臓が強く脈打つ。 考え込み、いつの間にか柱の影からはみ出していた姿を見据えられていた。 初めて名前を呼ばれたわけではないのに、まるであの時のような不思議な感覚に襲われる。自分の名前をその声に…アルフレッドに、呼ばれた瞬間に胸の内をじんわりと微温湯が広がっていくような温もりが満たしていく。 「お?」 シエルの声だった。 アルフレッドの言葉、そして彼の移った視線の先にその場にいる全員が注目する。レティシアは見事な芝居である、あたかもノアの登場に驚いているような顔をしていた。 「寝てるのかと思ったぜ、お坊ちゃん」 「ぼ、坊ちゃんって呼ばないで」 シエルの様子も相変わらずである。身近な玩具を見つけたかのようにノアへ接してくる。 遠巻きではあるが大広間には何人もの使用人や兵も立っている。教育が行き届いている彼らがジロジロとあからさまに見てくることはないが、久方ぶりに帰って来た皇子とその番を見て、どことなく様子を伺っているのは分かった。 不自然な距離感のまま、ノアはどうしたら良いのか分からなくてその場から動けなかった。美しく靴音を響かせる、綺麗に磨かれた床へと視線を落としたり、今更ながらに誰か助けてくれないかと使用人を見渡したりしてみるものの、状況はひとつも変わらない。 「寝ていなかったのか」 「声…聞こえたから……帰って、来たのかなって…」 アルフレッドに問われて、咄嗟に不器用な嘘をついてしまった。聞こえたのは、あの八頭の馬が一斉に鳴いた声だけだ。 言ってからすぐに後悔する。なんてすぐに分かってしまう誤魔化し方をしてしまったのだろう。 自分に当てられた寝室はどこをとっても完璧な造りをしているのだから、大広間の立ち話など、相当な騒ぎでなければ微かに聞こえることすら絶対にないはずだ。そんなこと、最近生活し始めたノアよりも、離宮の主であるアルフレッドの方がよほど知っている。 また揶揄われるかもしれない、と少し身構えてしまうものの、アルフレッドはそんなノアの警戒心とは裏腹に、片手を差し出し優しく見つめてきた。 「おいで」 穏やかな、優しい声だった。 そんな風に招かれたら、拒絶する気持ちも湧いてこない。それを自分が受け取っても良いのか迷うものの、皆が注目する中では素直に傍へ寄るしかなかった。不安と恥ずかしさと葛藤しながら、ノアはちまちまと歩いて自分を呼んだ彼の元にまで向かう。 「かわいいねえ」 「なっ」 シエルの揶揄うような声を聞いたノアの足が止まる。 しかし、既にアルフレッドの手の届く位置にいたノアは、腕を掴まれそのまま傍へ寄るように優しく引き寄せられた。勢いにつられたノアは一瞬アルフレッドの腰にぶつかってしまうが、彼は一切気にしていない様子だ。アルフレッドの体温と香りがすぐ近くに感じている中で、そのまま手を繋がれた。 「茶化さない」 「はいはい、承知しましたよ」 厳しく制するレティシアに、シエルがおどけた様子のまま返事をした。しかし、どことなく、二人とも表情は明るく柔らかかった。 その中で、ひとりがノアの顔を注視しながら口を開く。 「この方が噂の?」 思わず怯む。初めて見る人だ。 元来、人見知りしない方ではあるはずなのだが、アルフレッドの周りにいる人は必然的に地位を持った場合が多いため、ノアにとっては気軽に話していいかわからず、緊張してしまう。 隣でアルフレッドが小さく笑った。 「噂か」 「あの、泣かせた女性も男性の数も知れないアルフレッド殿下が、番を決めたという話題で王宮はまだ賑わっていますからね。双璧の儀はいつやるのだと」 「え…」 詳細は不明だが初めて聞いた話に対し、僅かに動揺する。ノアの話がどこか知らないところでされているのだと知って、少しだけ怖いと思ってしまった。身を硬くさせたノアを落ち着かせるかのように、手を握る力が強くなった。 その様子に気づいたのか気づいていないのか、彼は穏やかに微笑を浮かべてから話を切り替えた。 「可愛いじゃないですか。殿下が帰って来るのを待っていたんでしょう?」 「ま、待ってなんか、」 言われて思わず否定してしまう。 帰って来るのは待っていたというのに、それをいざ他人から指摘されてしまうと、恥ずかしくて違う言葉が出てしまう。 疲れていると聞いていたから、ちゃんと労わろうと思ったのに。 しかし、否定された側であるアルフレッドは一切気に留めていない。それどころか、笑みを浮かべたまま軽い調子で返答する。 「自分より花を見られて拗ねるくらいには、可愛らしさを持ち合わせているな」 「へえ」 「あら…」 「ちが…、拗ねてないっ」 シエルとレティシアの生温かい視線を感じていたたまれなくなり、ノアは再び反射的に否定の言葉を口にする。今回は嘘ではないはずである。しかし、その言葉を信じてくれる者は今この場にはいなかった。 「久し振りに会ったというのに、ご機嫌斜めか。お前には困ったものだよ」 周囲を大人に囲まれ、ノアとしては口々に揶揄われ言い返していたら、それを見ていたアルフレッドに呆れたような言葉を返される。しかし、レティシアやシエルのように、言葉とは裏腹に表情も声も柔らかかった。 そんなアルフレッドを直視することができず、視線を逸らしながら、まるで会えなかった日々に文句を募らせるように呟く。 「会えなかったのだって…僕のせいじゃない」 「会いたかったのか」 「だ、だから…っ」 「会いたかったに決まっているじゃないですか。なかなか素直になれない年頃だから言えないだけで」 どうにか誤解を解こうと、更に否定の言葉を重ねようとしたところで、レティシアの凛とした声に遮られた。 次々に言われてはアルフレッドのペースに巻き込まれ、ノアは頬を染めながら必死に訴えるものの効果はなかなか現れない。 昼間の約束もあり、レティシアの言葉をもなかったことにはできず、ノアは黙り込んでしまう。 そんな光景に微笑を浮かべてすぐ、アルフレッドの隣に立つ男がノアに対し、胸元に手を添えながら一礼した。 「まずは挨拶を。私はアレン・ドレッドノート。階級は少将。アルフレッド殿下の…」 左胸にある、赤い石を一つ嵌めた銀の翼のブローチが煌めいた。ノアの目には、不思議とそのブローチが目についた。 アレンと名乗った男は、艶のある赤銅色の短髪に、翠玉のような強い緑を帯びた瞳が特徴的である。 レティシアと同様の軍服を着ているが、肩に縫い付けられた階級章がその地位の違いを表していた。 そして、どこかで聞いたことのある名前に、ノアは一瞬で答えに辿り着き、思わず口を挟んでしまう。 「───騎士?」 「ああ、聞いていたのでしょうか」 「そういえば、この前話したような話さなかったような」 シエルが顎に指を添え、考え込む仕草を見せながら代わりに答えた。 ノアの記憶は正確だったようで、恭しく一礼してみせた彼こそが、アルフレッドの騎士である。レティシアとはまた違った誠実さと、物腰の柔らかさを感じさせる人柄が滲み出ていた。 安心できそう。理由も分からず、ノアはそう思った。 「何と呼んだら?」 「あの、普通に…」 「では、ノア…と」 アレンの視線がアルフレッドに自然と流れた。その呼び方で良いのか、ノアではなくアルフレッドに問う目だった。 「そうだな。侍女に様をつけて呼ばれる度に、恥ずかしそうな顔をしているからな」 「今は違う!」 「慣れたのか。それも残念だな」 本当は未だに気恥ずかしい気分にはなるものの、自然と返事をできるし、会話もできるようにはなっている。 しかし、わざわざ誰かに敬称をつけて呼んで欲しいと思うはずはなく、アルフレッドの後押しに少しばかり安心した。彼の言葉があれば、基本的に周囲の者たちは言う通りにしてくれる。 その中で、レティシアが真剣な眼差しで話題を切り出した。 「──殿下。少しは帰ってあげてはいかがでしょうか」 様子を伺うようにしていたノアは、アルフレッドが視線だけを彼女へ移すのが見えた。 「ノアくんは、ずっと一人で寂しかったとこの前話したみたいですよ」 「えっ」 「まあ、最近殿下はずっと王宮に籠りっぱなしでしたからね。寂しくもなりますよ」 「え…っ」 「二週間、いや、三週間か?ノアもつまらなかったろ」 「え?」 「ねえ?」 「あ、うん………」 次々に事実を作り上げられていき、ノアが何かを言う余地はなかった。 レティシアの嘘か本当か判断のつきにくい話にアレンが同意を示し、シエルが頷き、ノアが困惑している間にレティシアの言葉が続く。 しかし、ここで否定の言葉を口にするのは、どうしてか違うということは感じ取れたため、ノアはレティシアに流れを託すことにした。 もともと、ノアはアルフレッドの体調が心配だったから来たのだ。彼女がその順序を作ってくれているのだから、文句はない。 「いい子じゃないですか健気で。俺を待っているのは冷たいベッドですからね」 「さっさと妻を娶れ」 一拍の間。 アレンが目を閉じながら少し笑い、言葉を返した。 「それができないほど、こき使われているのですが」 ノアはその二人のやり取りを見ているだけだった。 少しだけ、会話のリズムに何かがあった。その何かまでは、分からなかった。 普段なら横からその手の話題には軽口を挟むはずのシエルが、その時は何も言わなかったことにも気づかなかった。 多忙なアルフレッド同様、騎士である彼もまた忙しい日々に埋没してしまっているようだ。 アレンの方が少しばかり歳は上だろうか。 三十代に見えるものの、その地位に就くにはあまりにも若すぎることに変わりないだろう。 成り行きに身を任せるようにしていたものの、いつの間にかアルフレッドの手が腰に添えられ、雰囲気が一変したことに気がつく。 「な、なに…っ?」 何となく予想はできているのいうのに、それを認めるには羞恥心が勝ってしまい、ノアは正面から見つめ合うことになったアルフレッドを見上げ、動揺に口ごもる。 腰を抱く手に力が加わる。腰に絡んだ手に身体ごと抱き寄せられた。 「や…っ、ひ、人前!」 非難するような眼差しで男を見上げるものの、赤く染まった頬と大したことのない拒絶では説得力がない。 「ここをどこだと思っている?俺が番と触れ合って、眉をひそめる奴などいない」 「でもっ」 あの時。夜の庭園で会った時に、しないと言ったのにと内心で文句を零す。 動揺するノアをよそにアルフレッドは一切悪びれた様子はないし、アレンたちは勿論使用人たちも驚いた様子は見せていない。 むしろ、使用人たちは、久方振りに帰還した主人と、最近来たばかりの少年の触れ合いを歓迎していた。 これがここでは普通なのかと驚きつつも、ノアはどうにかアルフレッドから逃れようと身動いだ。いくら周りが良かろうと、自分にとってはアルフレッドとの身体的な接触は恥ずかしさが勝った。 「ノアくん」 「う…」 しかし、レティシアの圧力が強く、まともに動くことはできなかった。 肩に触れるアルフレッドの手のひらは、温かかった。抱き寄せられ密着した身体からも、その熱がよく分かった。 「小さいし子どもの体温は温かい。確かに癒されるな」 「こ、子どもって」 片手で抱きしめられたまま、ノアは羞恥に目元を赤く染め、どうにか大した意味を持たない言葉を呟く。 ただ、少しだけ申し訳ないと思った。多分、見えないだけで疲れているのは本当だった。 最初に姿を見た時、顔色や見た目で判断してしまった自分を心の内だけで少し責めた。 そんな二人の様子を眺めていたアレンが、顎に手を添えながら感心したように感想を述べる。 「素直な子はかわいいですね」 「そうでしょう」 「中佐、誇らしげっすね」 「軍人…戦いに身を置く人間にとって、帰りを待ってくれる存在は大切よ」 レティシアは睫毛を伏せながら、そう言った。アレンとシエルは、その言葉に何も返さなかった。 三人の会話を遠くに聞いていたノアには、自分を抱く体温のせいで何かを言い返せる気持ちの余裕がなかった。 僅か数秒の間、公衆の面前で肩を抱かれるという恥ずかしさに耐えながらも、疲労の程度を心配してしまう。 ほんの少し身体が離れ、抱いていた腕が解かれる。軽く肩に手を乗せられ、ノアはアルフレッドを見上げた。 「身体が冷えるな。寝室に戻った方がいい」 「え、あ…うん」 そのまま、来た道を帰ることを促すよう、手に力を入れられるが、そこに乱暴さはなかった。 確かに、外の空気と交わる空間である大広間は寝室よりも気温は低い。以前指摘を受けたため、寝衣ではなく用意された私室着で出歩いていたものの、それも薄手であるため言われてみると肌寒さはあった。 アルフレッドに帰る様子はない。 困惑した眼差しでアルフレッドを見上げ、ノアは問いかけた。 「あの、アルフは…?一緒じゃ、ないの?」 部屋まで戻って睡眠をとってもらわなければ、レティシアの視線も痛い。 当初の目的はアルフレッドが仕事を手放して、離宮でしっかりと休息をとることである。出迎えるという目標は達成したものの、それだけではたぶん、意味をなさないのだ。 「──誘っているのか?」 「なに?」 顎を指先でくすぐられる。 アルフレッドの言葉の意味をいまいち理解できず、ノアは小首を傾げてしまう。そんな子どもの反応を予測していたのか、特に何の変化も見せず…少し、睫毛を伏せ、独り言のように呟いた。 「恥じらう反応を見せないほど、経験のないことを愛らしく思うべきか…」 余計にわからなくて、ノアは困り切った様子を見せる。 レティシアに視線を向けて助けを求めるが、彼女はこのことに関しては我関せずといった様子だった。 「部屋に運ぶ物もある。お前は先に戻って良い」 「く、来る?」 「ああ」 返事を聞いて、役目は終えたと思った。ノアはようやく安堵に胸を撫で下ろすことができた。 背中をやんわりと押されて、ノアはアルフレッドを除く三人を見回す。シエルは手を振ってノアを見送ろうとしているし、アレンも小さく笑んでいた。肝心のレティシアが何も言わないなら、これで良いのだろうかと考えて、ノアは多少の不安は抱えたままひとり寝室を目指そうと一歩踏み出した。 「お前は、心の準備をしておいた方が良いだろう?」 何のことか分からなくてアルフレッドを振り返るが、それ以上は何も言われなかった。

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