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6章(4)

ノアにその日を告げてから、四日が過ぎた。 特殊な王位継承条件を持つアルドヘイムには、王族の中でもアルファ性を持つ者に限定して、あらかじめ王位継承の順位が与えられていた。 最初は年功序列に、二十歳を迎えた者に与えられていた。それが、いつの間にか継承戦を生み、第一位以外は絶えず変動するようになった歴史がある。王位継承十位までの王族には、アルドヘイムに伝わる精霊の名前を冠した離宮を与えられる特権があった。それ以外にも、十位以内とそれより下とでは待遇に大きな差が生じるのだ。 第七位であるアルフレッドは、八年前のピリンキピウム戦争の功績により、特例の十八歳でその継承権と共に離宮を授かった。 十のうちの『イグニス』の名前を持つ離宮の中、彼は何度も歩いた長い通路を進んでいた。 繰り返される日々であるものの、日常の中に変化は入り込んでいた。 自らが過去に連れて来た少年の存在は、思いの外すぐ周りの者たちの中に馴染んでいたのだ。 アルドヘイムを知らない子どもは無自覚に、新鮮な涼風のような清涼感をもたらしている。最初の頃は、あの小さな身体を更に小さくさせながら、自分の後ろをついて来ていた子どもが、今では気の赴くままに離宮内苑の中を歩き回っているらしい。好奇心は旺盛な方だ、興味を引くものがあれば身を乗り出す。自らの忠実な部下や使用人たちは、求めなくとも事細かく少年の日々の様子を話してきた。最近は、腰が曲がり始めた温厚な庭師と、そして、自らが離宮に移り住むよりも前から厩で働く厩番と過ごす時間が多いようだ。 アルドヘイム──特に首都であるカルディアには、アルファやベータを利用しようと画策するオメガも少数ではあるが存在していた。 軍の中にもオメガはいる。ただ他の性に比べれば狭き門であり、一定の身分の家に生まれたオメガのみが、フェロモンや発情期を抑制する術を身に着け、徹底したうえで軍属になり得る。庶民のオメガにはそもそもの入口がない。 狭き門であっても、入れば市井のオメガより安定した暮らしを得られる。軍人たちも、オメガであっても良家出身の者を粗末には扱えない。 それらとは一線を画しているのが、アルファやベータを利用するために画策するオメガたちだ。 必然的に地位や権力を持つことの多いアルファを誑し込むことができれば、自身の身の安全も将来も守られる。大半のオメガは自身の境遇に悲嘆的になり、肩身を狭くしていることが多いものの、アルファやベータを利用してのし上がろうとする強かなオメガも稀にいるのだ。特に、王族や貴族に関係する者の中に。 アルフレッド自身もそうした欲深なオメガと接することは多くあったため、部外者に対し己の部下や使用人たちが警戒心を抱くのも当然の結果である。式典へ行けば、全ての人の目を引く着飾ったオメガが美しく誘うように踊っていることもある。わざと発情期をぶつけて欲に負けたアルファを寝台へと自ら招き、うまく既成事実を作るオメガもいた。 背景をよく知る使用人たちは、主人に対して無害な子どもを、大層可愛がっていた。 だからか、国儀とはいえ、まだ離宮に来て日も浅いノアを王宮に連れて行くことを、彼らは内心では心配しているのだ。 それは、数日前からノアの準備を始めた彼らの動作に躊躇として現れている。 アルフレッドは、ひとつ息を吐いてから扉に手をかけた。 部屋に入れば、数人の使用人に囲まれ椅子に座らされているノアがいた。 亜麻色の髪は細い飾り紐で部分的にまとめられ、額に巻かれたリボンは普段よりも手の込んだ結び方をされている。襟元を詰めた白の上衣には、普段の離宮服から少しだけ装飾が盛られていた。 その姿を鏡を介して見ていると、ノアがアルフレッドに気づき振り返った。侍女たちは波が引けるように脇に下がる。ほとんど支度は終えられているようだった。 「アルフ」 「ああ」 歩み寄ったアルフレッドは、椅子に座ったままのノアの正面に立った。 何も言わずに、ノアの額のリボンに指先を絡める。解こうとはしなかった。ただ、結び目の輪郭をなぞるように撫でれば、ノアが少し首を傾げるのが分かった。アルフレッドの指の動きは、髪を通じて頭に伝わってくる。 「……アルフ?」 「動くな」 立ち上がろうと身動いだノアの肩をやんわりと制止し、アルフレッドは身を屈めた。 アルフレッドの唇がリボンのすぐ下のノアの額に寄せられ、それからこめかみへと移る。頬に添えられた指先がノアの耳元まで撫で上げてきて、ノアの小さな唇から微かな吐息が漏れ出た。 全てが軽い触れ方だった。深くもなく、性急でもなく、その肌の温度を確認するようにアルフレッドは唇で触れた。いつの間にか目を閉じていたノアは、瞼に覆われた視界の中でアルフレッドの動きを追っていた。頬から離れた唇が、先ほどまで指で触れていたノアの耳元で止まる。 「いい子だ」 耳元で囁かれた声に、ノアの肩が跳ねる。 「……そのままでいろ」 ノアが目を開けて見上げてみれば、アルフレッドの口の端が僅かに上がっているのがわかった。 「ア、アルフ…」 「動くなと言った」 アルフレッドの言葉も行動の意味も掴むことができないまま、ただ頬が熱くなった。そんな様子に気づいているのかいないのか、アルフレッドの指がノアの耳元から首筋へ滑っていき、襟元の結び目のすぐ上で止まる。 指先がさらに下に行きそうになったところで、ノアがアルフレッドから目を逸らし、その手を見ながら息を詰めたのを見て、アルフレッドの指はようやく止まった。 姿勢を正しながらノアの髪を一度だけ撫でて、部屋に入ってきた時と同じようにノアの姿を今度は鏡越しではなく目で確認した。 飾り紐が少しだけ緩み、額のリボンも僅かにだがずれている。 アルフレッドはそれらを直すことをしないままに、距離を置いて控えていた侍女に短く言った。 「直してやれ」 「は、はい」 主人の言葉にすぐ反応した侍女が慌てて近づいてきた。アルフレッドはノアから少し離れた位置に下がり、それから窓の方を向いた。 侍女が髪を直し始める動きを感じながら座っていたが、頬がほんの少し熱いままだった。それを隠す手段がなくて、そして髪や服に触れている侍女たちには、それがお見通しだろうということがわかって、ノアは黙り込むしかなかった。 直されている間、アルフレッドはこちらを見なかった。 窓の外を見ているのか、それとも何も見ていないのかは分からなかったが、視線が合わないことが少しだけ寂しかった——その感覚も、何故そう感じたのかノアには分からなかった。 支度が再び整い始めた頃、扉に控えめなノックの音がした。

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