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6章(11)
喧騒が元の宴の温度に戻った頃に、人の流れがまた一つ寄って来た。
その先頭にいるのは若いオメガだった。薄紅の衣の、肩の落ちる仕立て。何を意図しているのか一目でわかる格好だった。
連れてきた貴族が半歩下がって道を空け、少年と青年の狭間にあるような身体が、そのまま前へ押し出される。甘く重い、男の情を掻き立てるようなフェロモンと共に来たのは偶然の動きではなかった。
押し出された当人もそれを理解したうえで微笑んで、アルフレッドの方へと体重を預けてきた。アルフレッドの黒い袖口に、白くて細い指がかかる寸でのところで、アルフレッドの手はグラスを持ち替えていた。
「失礼。手が塞がっている」
持ち替えた腕が自然な動作でそのまま上がっていくことで、しなだれかかることができなかった華奢なオメガの身体が通り抜ける。アルフレッドは押し返すことも触れることすらもしなかった。
「ぁっ……」
オメガは小さくか細い声を漏らすだけで、微笑を崩すことも、言葉を加えることもできていなかった。
アルフレッドの声には冷たさも嘲りも何も含まれておらず、ただ手が塞がっているという一言しか告げられず、そのオメガは何も返せない。
すれ違いざまに、発情し身体を傾けるオメガに例え介抱の手でも触れればそれは触れたことになる。その先の社交の噂は派手に広がっていくものだ。双璧の儀の妨害を想像しても実行に移せない者たちが、こうして小さな罠をしかけてくる。第七皇子が発情したオメガに触れたという醜聞を作るはずだった連れの貴族の方へと、そのオメガは回収されていった。
別の所では、広間の端の扉へ連れて行かれる身体もあった。少女は素直に歩いていたが、一度だけ振り返って扇の並ぶ方を見た。扇はどれも動いていたが、彼らの姿を誰も見ていなかった。意識したものではない。この空間では、給仕がグラスを下げるのと同じほどに当たり前の光景だった。
酒に酔ったアルファが、使いの制止を振り切りながらオメガの腰を抱いて連れて行こうとする姿もある。あれは、おそらくオメガに既成事実を作られる側だ。
「……何も変わりませんね」
「王宮主催だからな。個室を押さえているんだろう」
アレンの呟きに、アルフレッドはグラスを傾けながら答えた。液面が動いて、天井の灯りが割れる。
「オメガの身売りを容認して、それで優秀なアルファが増えるなら国としては成長できる」
「妹君は、随分と勇敢で」
「あれに中てられて手を出せば、王族に危害を加えたとして処分される。大半のアルファは訓練で自他のフェロモンの影響を受けないようにするか、俺のように魔術でどうにかできるからな。やらないのは、あわよくばという意思の表れだ」
ロベリアはオメガのフェロモンを抑えることはおろか、強くさせながらこうした宴に現れる。それは、何年も前から変わらない。
大半の、特に軍に所属するアルファは自分のフェロモンを抑え、そして他者のフェロモンに影響を受けないよう訓練をしている。アルフレッドはそれに重ねるように、魔術を編み込んで自分のフェロモンの一切を遮断している。
存在として感知することはできるが、性的欲求として取り込まない。それが、アルドヘイムにおける優秀なアルファたちが当然のこととして身に着けている技術とも言えた。
その時、アレンが半歩だけ距離を詰め声の高さを落としながらアルフレッドへと話しかけた。
「殿下。南側の回廊に、不自然な動きを見せる者が三名、と。会場内の給仕にも、名簿にない顔が混じっております」
アルフレッドは目を伏せたまま、手元のグラスを少しだけ傾けた。
ワインの液面に会場の灯りが映り、その奥に一人の人影が動いた。見覚えのある王族が、人混みの中をすり抜けるように動いて行き、その先で誰かと短く視線を交わし立ち位置を変える。ほんの一瞬の動作でしかなく、注意を払っていなければ気づかない。
「それと、南西区画の守衛が配置表より二名少ないです」
「───」
「先日の変更が、そのまま生きているようです」
アルフレッドは会場内の動きをグラス越しに見届け、視線は上げなかった。
声の調子を落としたまま、アレンにだけ聞こえる声で会話を続ける。
「……やはり、我慢ができなかったか」
「いかがなさいますか」
「ここが戦場になれば、陛下に顔が立たん」
そして、それまで潜めていた声をアルフレッドは不意に張った。
周囲の数組が会話を止めるほどの声の大きさであり、彼の声はよく通った。
「双璧の儀の刻限が近い。南の庭園にいる俺の番を、控えの間へ移すようレティシアに伝えろ」
「は。伝令で出します」
「一つで足りるか」
「───二つ、出します」
その受け答えを、聞かせるつもりで聞かせた者と、聞いたことに気づかないまま聞いた者とがこの広間には両方いた。そうしてすぐに、皇帝直下の守衛騎士が丁寧な動作で歩み寄ってくるのを、アレンは定められた動作で道を開けた。
「アルフレッド殿下。授与式のお時間です、どうぞこちらへ───」
アルフレッドは一度だけ頷いて、腰に提げたアルドヘイムの紋様が刻まれた剣の柄を撫でた。
謁見の間へ続く扉の手前まで守衛騎士の後を歩いて行くと、半歩後ろを歩いていた騎士の足音が離れた。アレンは扉の脇に控えていた伝令を目だけで呼び寄せ、同じ内容を二度言った。復唱はさせていない。
別々の方向へ走り出す靴音が二つ鳴るのを聞いて、彼は主君が立つ祭壇の側へは向かわず、後方──徽章の多い列の方へとまわった。
彼らが去った会場の中は、なお喧騒に包まれていた。
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