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6章(24)

謁見の間は、再び人で満たされていた。 叙勲の儀が結ばれた後、大広間の祝宴へと流れていった人の波がもう一度この部屋へ戻ってきているのだ。 玉座に主の姿はない。 王族の中にも空白の場所があった。第六皇子カシアン。 玉座に主の姿がない場へあの男が現れたことは一度もない。出御と共に現れ、退座と共に消え、研究へと戻る。正確な男だった。だからこの場にいなくとも誰も怪訝に思わなかった。 儀の支度が整った報せと共に再び出御するのが正しい順である。 御前で儀の始まりを待つ間は、誰も動かないことが作法だった。 その作法を表面に滑らせながらも、扇を動かす音と、礼装の裾が石の床を擦る音は、時間が経つごとに増えていく。 守衛騎士の一人が儀典官の耳へ短く何かを告げ、儀典官が先ほどと同じように最前列の端まで歩いて行った。 「南西区画にて、侵入者数名が確認されました。既に処理されたようでございます」 「処理されたとは?」 「アルフレッド殿下が現場へ駆けつけ、対応されたとのこと」 儀典官の言葉を聞いていたバルトロメウスが眉尻を上げた。 その表情を見ることをしないまま、近くにいたユリウスは呟くような声の小ささで口を開く。 「……早いですね」 「それだけ早く動けたということは、最初から向かう場所が決まっていたのだろう。報せを受けた時点で、頭の中に地図があったということだ」 ゲオルグの話を聞き終えてから、ジークフリートが身体を壁の側へ寄せた。 誰にともなく言うふりをしながら、声だけは三人に届く角度に置かれていた。 「守衛の歪みだの王宮の機密だのは後から着せた衣で、侵入者以外の何かがその場所にあったのでは──」 「ジークフリート。ここは御前だ」 「しかし、姉上」 「二度言わせるつもりか」 後の声の方が低かった。ジークフリートが口を閉じ、視線だけを床へ落とした。 十数年前までアルドヘイムの功として重宝されていた武の時代の名残として評価を受け、王位継承順位を授かったジークフリートにとって、その最たるものとして頂点に立つ異母姉には強く出られない。 ゲオルグとジークフリートとユリウスの三人が、双璧の儀の開始を待っている顔をしているのを、シュヴァルツは眺めていた。 刻限はとうに過ぎている。皇帝を迎える報せは、まだ誰の手からも出ていない。 バルトロメウスは儀典書を閉じなかった。開かれた頁に記されているのは、番の拝謁である。そこに連れて来られるはずの者は、今もこの場にいない。それどころか、番を宣言する皇子すら姿を見せない。ただ、先ほどの報せだけが、来ない者の少なくとも一人の居場所を、この空間に置いていった。 「──双璧の儀の扱いを決めねばならん」 バルトロメウスの声は張り上げていないというのに、その場に立つ全員の耳によく入った。 「双璧の儀は国儀だ。陛下の勅で今宵に定められた…当人の状態を確認せずに、続けるとも中止とも申し上げられん」 バルトロメウスが明確な目的地を持って動き出すのを見て、後に続く足音が三人分響いた。 「私も参ります」 ジークフリートが続いた。ゲオルグは何も言葉にはしなかったものの歩き出す方向が同じだった。そして、最後にユリウスが戸惑いがちではあるが続く。彼らには儀の扱いを決めるための役割はないものの、決めに行く者に随行する分には特に役割も理由もいらなかった。好奇心というものは、公務の影にいくらでも隠すことができる。 第一皇子エグバートは席を立たなかった。彼はこの夜ひとつも言葉を発しておらず、そして何も理解できていない顔をしている。 形骸化した席に座る男は今日も一寸も変わりがない。 そして、第四皇女ヴィレリアも動かなかった。儀の間の御前について口にしたのは彼女自身であり、それに従って御前に残った。元より、あの異母弟に判断を任せていれば問題はないという認識も彼女の今宵の立ち位置を決めている。 歩き出したユリウスが振り返った時、第二皇子の姿が消えていた。 ───いつどこに行ったのか、誰も見ていなかった。 彼らが廊下に着いた時、既に状況は落ち着きを取り戻しつつあった。 廊下には、大小異なる硝子の破片が床に散らばっており、一欠けらも片付けられていないのがわかった。窓のひとつが外側から砕かれており、月光が何も介さず床に残された戦いの跡を不気味に照らしている。 片腕を失った男の延命と、倒れている三人の移送のために守衛が動いている。片腕の男は無理矢理に意識を保たれたまま運ばれていこうとしているものの、誰もそれに目を向けなかった。 アルフレッドの騎士であるアレンと、副官を務めるレティシアが兵たちに指示を出していた。指示を受けた兵たちの動きには余分なものが一切なく、この廊下で起こった事態が完全に制御下にあることが、隅々にまで伝わる動きの洗練ぶりだった。 そして、通路側にアルフレッドがいた。 窓を蹴破った時の細かな破片が黒いシャツの上に乗っており、角度が変わる度に微かに光を返している。誰も払い落とすことなく、彼自身も気にしていなかった。 儀の中で着ていたはずの上衣は、彼のすぐ横にあるものを覆うために使われていた。 何かがその黒い布の中に収まっている。 黒い裾から白い足が見えるがそれだけで、顔も中の身体が震えているのかさえ見えない。アルフレッドの片腕の中に静かに収まっているのを見て、バルトロメウスが足取りを乱れさせないまま近づいていった。その場ですれ違う兵たちが規定通りの礼をするのを視界の端に捉えながら、双璧の儀の行方に必要となる情報をまずは問いかけようと口を開いた。 「アルフレッド。番は無事か」 「ええ。ご心配には及びません」 それから手を離して立ち上がったアルフレッドの返答は短いものの、視線はバルトロメウスに合わせていた。 合わせていたが、言葉からも、その瞳からもそれ以上の情報は何一つ漏らさなかった。社交の場の、自分のものを何一つ渡さない応対の温度に近いものの、社交の場では決して使われない短さに削ぎ落とされている。 「怪我はないか」 「軽傷です。治療も済ませております」 「見せてもらえるか。双璧の儀を続けられる状態かどうか、確認せねばならん」 バルトロメウスが一歩近づこうと動き、その足が床に散乱した硝子の破片を一粒だけ踏んだ。 靴底が踏みにじる乾いた音が立った時、アルフレッドの身体が動いた。 一歩を踏み出したわけでも、手を伸ばしたわけでも何でもない。 ただ、黒衣に覆われたものとバルトロメウスの間にアルフレッドの身体が入った。半歩程度の動きだったものの、その僅かな距離が壁になっていた。いつ、どこを起点にアルフレッドが動いたのか誰にもわからなかった。何に警戒したのか、何に反応したのか、そして何の理由があったのか、目の前に立つ彼らにも何ひとつ見えていなかった。 「──双璧の儀は、今宵は続けられません」 問いには答えない返答だった。バルトロメウスが訝しむように眉根を寄せ、一度口元を引き結んだ。 答えないまま、バルトロメウスに必要な事実だけが差し出されている。 「……儀に関する判断は、私の任だ」 「ですから、ご判断に必要となる事実を申し上げています。…傷を負った番候補を御前に立たせた先例が、儀典書のどこかにございますか」 バルトロメウスの手が、抱えた儀典書の上で止まった。中を開くまでもないことは、この場の誰よりもこの男が知っている。 「しかし、王宮内で番候補が襲撃を受けたとなれば、検分と、記録のためにも」 「何もなかったことにせよと、陛下は仰せられました」 アルフレッドの言葉に感情の温度はなかった。 言葉としては否定を乗せているというのに、事実を渡しているだけの返答だった。 「今宵の賊は、この王宮には最初からいなかったことになります。いなかった賊に襲われた者を、殿下はどのように記録されるのですか」 儀典書の内側から並べられる言葉が尽きた。 思考を何巡かさせた後、バルトロメウスがようやく答える。 「……では、番候補が怪我をした以上…双璧の儀は、この夜には行わぬこととする」 「はい」 「陛下へのご報告は、私から行おう」 「お手数をおかけします」 儀の延期と皇帝への報告を自分の管轄として申し出ることで、辛うじてこの場における第三皇子としての立場を保とうとしていた。アルフレッドはその申し出を断らず、彼を立てたまま自分の目的を全て確保したのだということには、誰も気づけていない。 バルトロメウスが他の三人と共に踵を返した。 「……宝石の力が、それほどのものならば──」

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