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ドレス02

 一週間後。  淳さんからメッセージを貰い、Aomi屋さんを訪れた。レースの見本が出来たからという。 「どうですか? 決まりませんか?」  レースの切れ端をじっと見ている僕に淳さんが声をかけてくる。 「決まりません?」 「はい……」  どれも違う。どのレースも綺麗な模様でいいと思う。いいと思うんだけど、あのドレスに合う”これだ!”という1枚が見つからない。悪くはないんだけど。 「そうか……」 「いつもはもっと自信を持って判断できるんだけどな」  ぽつりと漏らす。 「昔は見た瞬間に、これだ! って思ったんですよ」 「今は違う?」 「なにを見ても自信がない」  言った途端、自分でも驚いた。まさかこんなことを口にするなんて。  淳さんは静かにレースをしまいながら言った。 「もしかして焦ってます?」  言い当てられて少し笑ってしまう。やっぱりわかってしまうんだろうか。 「……焦ってるのかも」  そう口にした言葉は胸の中に沈めていたものだ。それを口にした瞬間に、蓋が少し開いてしまった気がする。  淳さんはお茶を飲みながら穏やかに言った。 「期限があるんですか?」 「いいえ」  そう首を横に振る。期限はない。ただ自信を持ち直したいからだ。まだデザイナーとして終わりたくないから。 「急かされているわけじゃないんです。ただ、自分が納得できないだけで」 「厳しいですね」 「昔からです」  そう言って笑って見せるけれど、うまく笑えていたかわからない。デザインはできた。レース以外のところは随分出来てきた。完成が見えそうで見えない。ほんの少し前までは生地を見るだけでデザインが浮かんだし、デザインが先行しても生地はすぐに決められた。それができないのは失恋してからだ。  このレースならこう使う。このドレープならこんなシルエットになる。そう考えることが楽しかった。それが今は違う。頭で組み立てても心が動かない。 「変なんです」  気がつけば独り言のようにこぼしていた。 「作りたい気持ちはあるんです」 「はい」 「でも、できない。作れないんです」  淳さんはなにも言わない。僕は淹れて貰ったお茶をすすって視線を落とした。 「だから初心に戻ろうと思ったんです」  最初に憧れたドレス。何のしがらみもなく、美しいものを作りたいと願っていた頃の気持ち。あの頃を思い出せば作れる、そう思った。でも、そんなに簡単じゃなかった。 「それでも、ダメですか」 「はい」  短く答える。 「生地は理想なんだ」  淳さんが集めてくれたレースを思う。 「これ以上ないくらい綺麗で」 「ありがとうございます」 「礼をいうのはこっちです。こんなにたくさん集めてくれて。大変だったでしょう」 「いえ。そんなことないですよ。それに、これが俺の仕事ですから」 「レースの束を見たとき、ほんとに嬉しかったです」  その気持ちは嘘じゃない。久しぶりに胸が高鳴った。だけど……。 「最後の一歩が踏み出せない」  会話が止むと店の中は静かで、外の荷物を運ぶトラックの音だけが聞こえる。 「聞いていいのかわからないけど、なにかあったんですか?」  淳さんは戸惑いながらも静かに訊いてきた。そう思うだろう。興味本位で訊いているのではない。それがわかる。でも、答えを言っていいんだろうか。仕事の相手に話すことじゃない。そう思う。でも、作れなくなった理由は知りたいだろうな、と思う。僕が決められないと淳さんだって困ってしまうだろうから。 「失恋、したんです」  言っていいのかと考えた割には、あっさりと言葉が出てきた。あまりにも自然だった。そして、それを聞いた淳さんは表情を変えずに僕の顔を見ている。 「好きな人がいて。片想いだったんです」  何年片想いをしていたかと考え、2年だとわかる。あのお店ができてすぐにコーヒーを飲みに行って、あまりにも若いマスターにびっくりして。でも、同時に恋をした。仕事で疲れてコーヒーが飲みたくなると飲みに行っていた。アトリエにはインスタントコーヒーしかないから、飲みに行くのはいい口実だった。  穏やかに笑う湊斗くん。コーヒーを淹れる真剣な顔。少しずつ距離が縮まって、いつか想いが届くんじゃないかと勝手に期待した。なんて自惚れだろう。今ならそう思う。 「で、告白したんだ」  ずっと会っていないけど、恋人がいると言われた。長い間連絡も取らずに、ただ待っている湊斗くんを見て、僕ならそんな悲しむようなことはしないのに。そう思った。そう思うから告白した。 「振られた。それだけなんだけど」  そう言って俺は笑顔を作る。作れていたかはわからないけれど。 「それだけなのに作れなくなったんだ。子供みたいですよね」 「そんなことありませんよ」  静かに聞いていた淳さんが即座に否定した。 「好きだったんですよね」  静かに問うてくる言葉に僕は頷いた。 「好きだった……」 「それならすぐに元気になる方がおかしいです。真剣に好きだったから、そこから立ち直るのに時間がかかるんです」  その言葉になにも返せなかった。”忘れれば良い”、”次がある”そんな言葉なら何度も聞いた。でも、淳さんは違った。忘れろとも前を向けとも言わない。ただ頷いてくれる。その優しさが胸に沁みた。 「ありがとう、ございます」  鼻の奥がツンとして泣きそうになる。でも、歯を食いしばって泣かない。こんなところで泣いたら迷惑だ。 「俺、なにもしてませんよ」 「してますよ」  そう答えて店内を見渡す。この店にいるときは湊斗くんのことを考えないでいられた。ここは居心地がいい。いつの間にか、来ることを楽しみにしている自分がいる。 「ここ、居心地が良すぎる」 「それなら良かったです。そんな場所、必要ですよ」  まだレースは決まっていない。ドレスも完成してはいない。失恋も乗り越えられてはいない。それでも、またこの店に来る。生地を求めて。レースを求めて。ドレスが出来るまで何度でも相談しに来よう。そう思えたことが何故か少しうれしかった。

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