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過去3
「パリへは俺ひとりでも行きます。吉澤さんのそのドレスが完成したのを見たいから。それに、パリには結構重みのあるいい生地を扱っているお店があるんですよ。そこで買付けをしたいんです。そこには何回か行っていて、日本に取り寄せてもいるんです。そんなお店、吉澤さんにも紹介したいです。これからの仕事にいいんじゃないかな?」
その言葉はデザイナーの心を揺さぶった。過去は忘れましょうとか、乗り越えなきゃだめですとも言わない。ただ、デザイナー吉澤優馬にいいんじゃないかと言っているんだ。淳さんは今回のドレス作りだけじゃなく、デザイナーとしても僕に寄り添おうとしてくれている。湊斗くんが知っているのはお店の常連と言うだけの僕で、デザイナー吉澤優馬は知らない。でも今、デザイナー吉澤優馬は死にかけている。それを淳さんは助けようとしてくれているんだ。そしてデザイナー吉澤優馬が生き返ったら、僕自身が立ち直れる、そう思った。
「吉澤さんが行かなくてもどちらにしても俺はパリに行きます。でも、一緒に行けたら嬉しいです。色んな資材を見て話しをしたい」
その言葉に、なんだかふっと心が軽くなった気がした。新しい思い出を作りましょうとは言わない。一緒に行きましょうとも言わない。ただ、一緒に行けたら嬉しいですと言う。決して重い言葉ではない。心を押しつぶす言葉はひとつもない。その優しい誘い方が淳さんという人なんだろうな、と思った。
「俺は店に必要な資材を探しに歩きます。吉澤さんはまだ見ぬレースを探してください」
淳さんの言葉を聞いて僕は店の外へ目をやった。差し込む西日。そうか。もうそんな時間なのか。ドレスを作り出してから時間をあまり考えたことがないかもしれない。西日か……。西日が差す中モンマルトルの街を歩いたなと思い出す。あれは確か夕食を食べに行くときだったか。
パリへ行けば傷は消えるだろうか。いや、その前に、怖い怖いと言っているけれど、実際にパリに行ってしまったら意外と僕の家の近所みたいに湊斗くんを思い出すものは見かけるけれど、なんとかなるものなんだろうか。怖いというのは僕が作り上げているものなんだろうか。いや、そんなことはないだろう。僕の家の周りを歩くのは辛いのは事実だ。だからと言ってアトリエのこともあるから簡単に引っ越すこともできない。だからいるだけだ。だからパリへ行けば辛いだろう。心が痛むだろう。それでもまたパリコレは見に行きたい。そうなるとパリへ行かないということはできない。デザイナーをしている以上、パリを避けていることはできないんだ。パリへ行ったら心は痛いだろう。それでも、止まったままの僕の時間をゆっくりと動かせることはできるかもしれない。そう思った。
「……少しだけ、考えさせて貰ってもいいですか?」
「もちろん」
返事を急かさないゆとり。なんだかそんなのがいいなと思った。今の僕は同じ場所をクルクルと走り回っているから。そんなゆとりのある淳さんのことをいいなと思った。
「とりあえず今日は帰ります。返事決まったらメッセージ送ります」
「はい。待ってます」
そう言って僕はAomi屋さんを出て、駐車場まで歩いた。西日も差せば熱い。今の寒い時期にはちょうどいいかもしれない。冬のパリか……。冬の寒さはほんとにキツいんだ。気温は大差ないけれど、湿度が低くて風が強い。それに、石造りの街並みは暖を取ることはできない。それに曇天が多いから余計に寒さを感じる。湊斗くんとパリの街を歩いたのは冬じゃない。だから冬のパリに湊斗くんはいない。それならパリの街も歩けるだろうか。それに隣を歩くのは湊斗くんじゃない。淳さんだ。淳さんは多分僕より数才歳が下だと思う。でも、落ち着いていてゆとりがある。だからつい弱音を吐いてしまう。
車に乗り込み、まっすぐ家を目指す。期待のレースは見つからなかったけれど、まだたくさんのコサージュは作らなくてはいけない。自分でレースを探しにパリに行かないにしても、淳さんはきっとレースを仕入れてきてくれる。でも、淳さんは言ったじゃないか、足りないものはレースだけじゃないんじゃないかって。だから淳さんがレースを買い付けて来てくれてもきっと僕のドレスは完成しない。だとしたらドレスを完成させるにはパリに行くのは必要なのかもしれない。
車は一般道を走り、首都1号線に乗る。この先は僕の住んでいる街まで1本だ。だから僕は思考の中に沈んでしまう。
ドレスを完成させるためにも。デザイナー吉澤優馬を復活させるためにも僕は一歩を踏み出さないといけないのかもしれない。少なくともこのままでいいとは思わない。そのために外へ行くのはいいと思う。ただ、それが湊斗くんとの思い出のある街だということが怖いだけで。いい歳して失恋したからって服が作れなくなるなんてデザイナーとして失格だと思う。いい大人がみっともないとも思う。だけど、ほんとに湊斗くんのことが好きだったから……。でも、こんなことで服作りを諦めてしまうのは嫌だ。
幼い頃、親戚のお姉さんの結婚式のときの写真を見せて貰ったとき、童話の中のお姫様がいると思った。いつもはカジュアルな服装ばかりしているのに、ドレスを着たらお姫様になれるんだ。そう思ったらドレスというものに俄然興味がわいた。僕がデザイナーを目指したのはその瞬間だ。だからスランプになって、売り物でなく作るものにドレスを選んだ。女の人をお姫様に変える魔法のアイテムをこれからも作っていきたい。そう思った。
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