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狐神の約束
「しかし最近、椿屋に神様が集まってきやすいなぁ。なんでだろう?」
「私がこの宿に来たことで、神々が引き寄せられて来ているんだろう。まぁ、そもそも温泉は、八百万の神々が集まる聖なる場所とされているがな」
「……あ、そういえば、虎徹がそんな話をしてたっけ」
「佐之助のご機嫌をとれば、今年の稲は豊作になるかもしれんぞ?」
「あ、確かに! ……って、湯玄様、今度は佐之助様にヤキモチかよ?」
明らかに不機嫌そうな顔になった湯玄を見て、凪は大きく息を吐く。この男が機嫌を損ねると、後々面倒くさいことになるのが目に見えているのだ。
「ヤキモチなど妬いてはおらん。私が五穀豊穣の神でなくて申し訳なかったな」
そう言い残すと、不貞腐れた顔をしながら湯玄はどこかに行ってしまったのだった。
「湯玄はご機嫌斜めなんでしょうか?」
「いや、いつもあんな感じなんです。気にしないでください」
「そう言われてみれば、五十年くらい前に会ったときも、あんな風に不貞腐れていたような気がします」
「五十年くらい前?」
「はい。私たち神は長寿なので、老いを感じたりもしませんよ」
「へぇ、そうなんですね」
佐之助は出されたほうじ茶をすすりながら心配そうな顔をしているが、凪は神がそんなにも長寿だと知らなかったから驚いてしまった。
――じゃあ一体湯玄様は何年くらい生きているのだろう。
ふと頭を過る疑問。自分が知らない湯玄がいることに少しだけ寂しさを感じた。
「あの、佐之助様。もしよかったら温泉にも入っていってください。今温泉には玄関に咲いている姫椿の花を湯船に浮かべてあるんです。甘くていい香りがしますよ」
「本当ですか? ではお言葉に甘えて」
佐之助の笑顔は最初の頃は胡散臭く思えたけれど、慣れてくるとその無邪気さにこちらまで笑顔になってしまう。やはり神様というものは、どこか魅力があるのだと凪は感じていた。
「そうだ。君、お名前は?」
「あ、俺は凪っていいます」
「凪、いい名ですね。こんなに美味しい稲荷寿司は生まれて初めてでした。しかもお湯までいただけるなんて。こんなに親切にしていただけて、私は感激しております。ついでにと言っては恐縮なのですが、大変厚かましいお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「お願い、ですか?」
神様からのお願いとはなんだろう……凪は思わず身構えてしまう。
「私は遥か遠くの稲荷神社よりここに来たため、とても疲れてしまっております。もし、この宿にしばらく置いてくださるのであれば、お礼に五穀豊穣をお約束いたしますよ」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。私がみたところ、この村の作物は今にも枯れ果ててしまいそうですが、私の神力をもってすればなんとかなるでしょう。それに、温泉にゆっくりつかれば力もみなぎってくるはずですから」
佐之助の言葉を聞いた凪は、思わず胸に抱えていたお盆を落としそうになってしまった。
もし佐之助の力でこの春、稲が豊作になったら……どんなに助かることだろうか。たわわに穂を実らせ頭 を垂らす稲穂を想像するだけで、凪の心が熱くなった。
「佐之助様、どうぞ好きなだけここにいてください!」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
「あの、稲荷寿司もっと召し上がってください! 俺、持ってきますね」
「本当ですか? 嬉しいなぁ」
あぁ、よかった……。凪は叫び出したくなるのを、必死の思いで堪えたのだった。
◇◆◇◆
風呂上がりの佐之助が「とてもいいお湯でしたよ」と凪に声をかける。佐之助は元々肌が綺麗だったが、温泉につかった後はより一層肌がきめ細かに見える気がした。
「湯上りに甘酒をいただいたのですが、それも美味しかったです」
「本当ですか? それはよかった」
「湯滝村はいい所ですね」
佐之助が満足そうに微笑む。どんなに親しみを感じても、やはり神様は人間とは違う……佐之助を見た凪は、そう感じていた。湯玄や泰富もだが、所作に品があり、貫禄もある。それに、なんとなく近寄りがたい雰囲気があるのだ。
そんなことを言ったら、また湯玄を怒らせてしまうもかもしれないけれど……。
そんな神々しさを隠し切れない神々に、凪は常に圧倒されてしまうのだ。
「あの稲荷寿司を作ってくれたのは、泰富だったのですね? 先程厨房を覗いたら偶然お会いしました。彼にも何十年ぶりに会えたので嬉しかったです」
「佐之助様は泰富様とも知り合いなんですか?」
「はい。商売繁盛の神と五穀豊穣の神は相性がいいので、昔はよく一緒に酒を飲んだものです」
懐かしそうに目を細める佐之助が、突然何かを思い出したかのように目を見開いた。
「あ、そうだ。ちょっと椿屋の裏にある畑を見せてください。このお宿の畑はかなり広いんですね」
「はい。畑もですが、すぐ近くには田んぼもあります。でも、最近は作物がほとんど実らなくて……」
「そのようですね。では拝見させていただきます」
「あ、佐之助様。俺も一緒に行きます」
「はい。ではご一緒に」
にこやかに微笑む佐之助の後を追い、椿屋を後にしたのだった。
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