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湯玄の本心
「凪、凪!」
「あ、湯玄様……」
自分を呼ぶ湯玄の声に、凪はハッと我に返る。いつの間にか雪は辺りを白く覆いつくしていた。凪の吐息が白い煙となり、空高くに登っていく。思わずブルッと身震いをした。
「凪……こんな所にいたのか? 馬鹿が、こんなにも体が冷え切って……風邪でもひいたらどうするんだ? 其方たち人間は、我々のように体が頑丈ではないのだぞ」
「……ごめんなさい……」
「はぁ、凪よ。会えてよかった……」
湯玄は震える凪に自分が着ていた羽織をかけてくれる。湯玄の羽織は凪には大きかったが、とても温かい。思わず羽織に包《くる》まった。
「温かい……」
凪が呟いた時、湯玄に抱き寄せられる。抵抗する間もなく、凪は湯玄の逞しい腕に抱き締められてしまった。凪の鼓動が徐々に速くなっていき、堪えきれずに全身に力を込める。それでも湯玄の腕の中は温かい。凪は様子を窺いながら、恐る恐る湯玄の腕に身を委ねた。
「謝るのは私のほうだ」
「はぁ?」
「だから、謝るのは私のほうだと言っているんだ。すまなかった、凪」
不貞腐れたように耳元で囁かれる湯玄の言葉が信じられなくて、凪は大きく目を見開く。このどこまでも傲慢で、自分本位な男が謝罪をするなんて……凪は自分の耳を疑ってしまう程だった。明日、槍でも降るのではないか……そんなことさえ考えてしまう。
静寂が辺りを包み込み、雪が降り積もる音だけが響き渡る。そんな中、湯玄が静かに言葉を紡いだ。
「今まで私の元に花嫁としてやって来た娘たちは、この世の不幸を全て背負ったような顔をしていた。私に生力を与えるために、泣きながら抱かれる娘さえいたほどだ。そんな花嫁を迎えることが、私はひどく憂鬱だった」
初めて聞く湯玄のか細い声。それは今にも消えてしまいそうだった。
心配になった凪は、湯玄から体を離してその顔を覗き込む。湯玄は子供のように泣きそうな顔をしていたから、その頬を撫でてやった。
「しかし、其方は今までの花嫁とは違った。私のことが好きだと、初恋だったと真正面からぶつかってきてくれたのだ。私はそれがたまらなく嬉しかったし、其方のことを愛しいと感じた。其方を花嫁として迎え、我々の住む世界へと連れて行くことができたら、どんなに幸せだろうと何度も考えたさ」
「じゃあ、じゃあ、なんでだよ? なんであの時、湯玄様は俺を追い返したんだ?」
「それは、其方が椿屋の一人息子だからだ。湯滝村で一番老舗とされている椿屋の一人息子を、神が住む世界へと連れて帰ることなんてできない。ただでさえ其方の父親は体が弱い。だから、其方を花嫁として迎えることはできなかった」
「そんな……」
湯玄の本心を初めて知った凪は、全身から力が抜けていくのを感じる。
自分は男だから……出来損ないの花嫁だから……追い返されたのだとばかり思っていた凪は、目頭が熱くなるのを感じた。
――湯玄様が、こんなにも自分と椿屋のことを考えていてくれたなんて、知らなかった……。
それなのに、湯玄の元に嫁ぎたくないだとか、独りよがりなことを言っていたことが情けなくなる。自分のことしか考えていなかったのは自分だったのだと、凪の心は張り裂けんばかりに痛んだ。
「私はいつも源泉に遊びに来る其方を見ていた。其方はどんどん美しく成長していく。それを見守っているだけでよかったんだ。しかしあの日、其方が源泉に落ちそうになったから……」
「あ、そうだ……」
「もしかしたら、私はずっと前から凪に惹かれていたのかもしれないな」
湯玄が優しく微笑む。その笑顔はいつもの悪戯っ子のようなものではなく、愛情に満ち溢れたもののように凪には感じられた。
「私は其方を諦めなくてはならない。でも、源泉のお湯を守るためには若い娘の生力が必要だ。だから遊郭に出向いた」
「え? そうだったの?」
「まぁ、其方のような力を持つ遊女などいるはずもないから、早々に退散したがな」
「そうだったのか。ごめん、湯玄様……俺、そんなこと全然知らなかった」
「別に気にするな。私だって今まで黙っていたのだから」
そう照れくさそうに頬を赤らめる湯玄を見ていると、凪の心が小さく震える。湯玄への思いが温泉のように湧き出して、凪の心の中に水溜りを作っていった。
「湯玄様、ありがとう。こんなにも俺と椿屋を大切に思っていてくれて。俺、嬉しい」
「フンッ。別に礼には及ばん」
凪が湯玄の胸にそっと頬ずりをすると、再び顔を真っ赤に染めた湯玄が、フイッと顔を背けてしまった。
「ねぇ、湯玄様」
「……なんだ?」
素直になれない不器用さが愛おしくて。凪はついっと背伸びをする。湯玄の肩にそっと手を載せ、その形のいい唇に自分の唇を重ねた。
自分から湯玄に口付けをしたことなんてなかった凪は、緊張のあまり小さく手が震える。突然の口付けに湯玄が驚いたように目を見開いたが、「ありがとう」と、すぐに笑顔を見せた。
「湯玄様、もっと口付けして?」
「どうした? 今日はやけに積極的ではないか?」
「違う……媚薬の効果がまだ残ってるだけだ……」
「ほう。媚薬の、ね」
先程までの優しい笑みは影を潜め、湯玄がまた不敵に笑う。そんな姿を見た凪は、恥ずかしくなってしまい湯玄の腕の中から逃げ出す。素直になんかなるんじゃなかった……湯玄に背を向けて俯いた。
雪が降り続いて体は凍える程寒いのに、湯石は温かい。凪は着物の上から、湯石を握り締めた。
「すまん、凪。そうむくれるな? 其方があまりにも可愛らしいから、つい虐めてやりたくなるのだ」
「なんだよ、それ趣味が悪いだろう」
「仕方がないだろう? 私は神なんだから、傲慢なのだ……」
ふざけるな、そう言い返そうとした凪の唇は湯玄により塞がれてしまう。首を横に振り湯玄から逃れようとしたが、離してもらえるはずなどない。諦めた凪は大人しく湯玄の口付けを受け止めた。
――でも、湯玄様の口付けって気持ちいい。
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