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【九、湯祭り】父が取り戻した笑顔
義盛から譲り受けた酒を飲んだ凪の父親は見る見るうちに元気を取り戻した。表情は以前のように生き生きとしているし、声にも張りがある。それは長年見ることのなかった父親の姿だった。
「義盛様、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「いやいや、ご子息の結婚祝いだ。気にするな! ガハハハハ!」
「け、結婚祝い……?」
凪の両親は、涙を浮かべながら義盛に向って深々と頭を下げる。そんな両親の肩を力強く叩きながら、義盛はいつものように豪快に笑った。
義盛の言うご子息の結婚祝いとは、凪の結婚祝いということだが、それを聞いた凪の顔から火が出そうになる。「ま、まだ何も決まってないから!」とまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている両親に笑いかけた。
まだ正式に湯玄の花嫁になると決まったわけでないだけに、凪は焦ってしまう。皆に勘違いをされたら厄介だ……凪の額から嫌な汗が流れた。
「別にいいではないか。いつか本当に夫婦になるのだから」
「ちょ、ちょっと湯玄様⁉ いい加減なことを言わないでくれ!」
「照れることはなかろう? 事実なのだから」
「ガハハハハ! 相変わらず痴話喧嘩か? 仲がよろしいことだ!」
湯玄と凪のやり取りを見た義盛が楽しそうに笑っている。
「おい、義盛! 凪さんが困っているではないか!?」
「まぁまぁ、泰富も落ち着きなさい」
凪を庇おうと口を挟んだ泰富を、今度は佐之助が宥めている。
そんな言い争いが怖いのか、虎徹は凪の母親にしがみついていて……。いつの間にか椿屋はこんなにも賑やかになっていた。
湯玄が来てからというもの、椿屋は以前のような活気をとり戻しつつある。凪はそれが嬉しかった。
泰富に「凪さんを困らせるな!」とお説教を受けているにも関わらず、涼しい顔をしている湯玄を見て凪は胸が熱くなる。
「全部湯玄様のおかげだ。ありがとう」
素直になれない凪は、湯玄に聞こえないようにそっと呟いたのだった。
すっかり元気を取り戻した凪の父親は、近々行われる湯祭りの準備に大忙しだ。
湯祭りは湯滝村に何百年も前から受け継がれている、温泉の神である湯玄を称えるための祭りだ。村総出で準備に取り掛かり、盛大に祭りは終わっていく。
湯花神社の石段には灯篭が並べられ、中庭には所狭しに出店が並ぶ。林檎飴に餅菓子。輪投げや金魚掬いもあるものだから、凪は幼い頃から湯祭りが楽しみで仕方がなかった。
それは昨年の湯祭りの出来事。凪はこっそりと巫女の元へと向かった。こんな祭りの日にも巫女は独りぼっちなのだろうか……そう思うと凪の心は痛む。凪は人目を気にしながらも、そっと巫女に話しかけた。
すると、凪の存在に気が付いたのだろう。嬉しそうな声が聞こえてきた。
「凪、今日は湯祭りなんですね。賑やかで嬉しい」
神殿を覗くと、巫女が楽しそうに笑っている。巫女は例え祭りの日でも神殿から出ることは許されていない。神社の庭からは楽しそうなお囃子に合わせて、村人たちの歌声が聞こえてくる。皆はすっかり酔っ払い、どんちゃん騒ぎだ。
「巫女様はここから出ることができないの?」
「えぇ。私は神社から出ると湯玄様から授かった神力が弱ってしまうから」
「そっか……。じゃあ、これあげる」
「え? これはなに?」
「綿菓子だよ。さっき出店で買ったんだ。半分こしよう」
「まぁ……ありがとう、凪。綿菓子なんて久し振りよ」
凪が神殿の入り口に置いた綿菓子を、巫女がそっと受け取ったのがわかった。その姿を見ることが凪にはできなかったけれど、きっと喜んでいるに違いない。
「来年は何が食べたい? 巫女様は何が好き?」
「そうねえ。大判焼きとかあったかしら? 私、甘いものが大好きなの」
「わかった。じゃあ来年は大判焼きを持ってくるね」
「それは楽しみだわ。凪、ありがとう」
ふと、昨年の湯祭りの記憶が蘇る。結局、巫女はその後すぐに息を引き取ってしまったから、その約束は果たされることはなかった。
その果たされなかった約束は、今も尚、凪の心に棘のように刺さっている。
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