48 / 61
湯祭りの夜へ
湯花神社の境内は色とりどりの横断幕が飾り付けられ、村人が一つ一つ丹精を籠めて手作りをした灯篭が、あちらこちらに並べられている。この灯篭に火が灯されると、辺りは途端に幻想的な雰囲気に包まれるのだ。
佐之助が収穫した作物に、義盛が作った酒。当日は泰富が作った手料理も祭壇に並べられることだろう。今までにないほどの盛大な祭りになる予感に、凪の心は高揚感を隠せない。
「私は野菜が苦手なんだ。なにもあんなに供えなくても……」
「こら、子供じゃないんだから好き嫌いすんなよ」
「しかし……」
凪を背中から抱き締める湯玄が、クスンと鼻を鳴らしている。最近は自然と凪の体に触れるようになってきた湯玄。はじめの頃は戸惑いを感じたが、神様のくせに実は甘えん坊な湯玄のことが最近は可愛いと思えるから不思議だ。
普段は威張り散らして、湯の神を気取っているくせに、本当はとてもヤキモチ妬きで寂しがり屋なのだ。それに凪が困ってしまう程の甘えん坊……初めて見せる湯玄の素顔を見つける度に凪はときめきを隠し切れない。その全てに愛おしさを感じるのだ。
「野菜も魚もちゃんと食べなきゃ駄目だよ」
「わかっておる」
「ふふっ。湯玄様は本当に子供みたいだ」
「うるさい。……こんな風に誰かに甘えたことを言うなんて初めてなのだ。その……少しは目を瞑ってほしい」
「え? そうなの?」
「フンッ!」
まるで野良猫のように不器用な甘え方をしてくる湯玄。でも凪はそんな湯玄が心配で仕方がない。
源泉の湯は日に日に干上がり、村の真ん中を流れる川は小川のようだ。そして湯玄は日に日に弱っていくのがわかる。湯玄は凪に弱音なんて吐くことはないが、時々このまま消えてしまうのではないかと不安になるくらいだ。
――湯玄様、もう一度俺をお嫁さんに迎えてくれる?
弱り続ける湯玄を見る度に、凪の口から零れ落ちそうになる言葉。
しかし、凪は湯玄から決定的なことをもうすでに告げられている。凪は椿屋の一人息子だから、諦めなくてはならないだ……と。もし今凪が、湯玄の花嫁になりたいなどと言い出したら、強情な湯玄のことだから、きっと「駄目だと言っているだろう⁉」と怒り出すに違いない。
ここに来て、凪と湯玄の気持ちがどんどんすれ違ってきてしまっている。凪が真剣に、もう一度湯玄の花嫁になりたいと思えば思う程、湯玄は凪を拒む。あんなに自分を花嫁にしたいと言っていたくせに……そう思えば湯玄に拒絶されることが歯痒くも、悲しくもあった。
でもそれはきっと、ただ「夫婦になるのだ!」と言っていた湯玄が、凪と自分の将来にきちんと向き合ってくれている証のようにも思えて。凪は嬉しくもあったのだ。
一時の湯の神と花嫁という関係ではなく、夫と妻という、もっと深い絆で結ばれている関係。そしてそれは、花嫁としての役目を終えたとしても変わらずにあり続けてほしい。
少なくとも、凪は湯玄に生力を分け与えてお仕舞、という関係は嫌だった。
湯の神である湯玄と夫婦になる……そんな夢物語が、現実のものとして形を変えていこうとしていることに、凪は喜びと戸惑いを隠しきれずにいる。
ただ、今はもう意地を張っている時ではない。凪は焦りを感じずにはいられなかった。
「何もしてあげられなくてごめんね」
凪は手を伸ばし、優しく湯玄の髪を撫でてやった。
「誰かに頭を撫でられるということは、こんなにも気持ちがいいのだな」
「うん。そうだね」
気持ちよさそうに目を細める湯玄を見ているうちに凪の目頭が熱くなり、目の前の景色が揺らいで見えた。
ともだちにシェアしよう!

