3 / 6
第三話 宮殿の寝室で価値の転換とふたりの蜜月
白亜のラファエル邸の最奥にある寝室。その静まり返った部屋で、大天使ラファエルは豪奢な天蓋付きベッドの下の隙間に向かって、優しく声をかけていた。
「怖くないよ、出ておいで」
ラファエルはひょいと腰を下ろして、その暗がりの中を覗き込んだ。
狭い隙間の奥には、灰色のマントに包まった小さな影が、まるで野生の小動物のように張り詰めた警戒を発している。
ラファエルの美しい瞳に見据えられた影は、びくりと肩を跳ね上げて顔を上げた。その拍子に、深く被っていたフードがハラリと落ちる。
黒いクリクリの髪の頭が現れる。
悪魔の証であるはずの二つの角は、その豊かな黒髪の中に隠れてしまいそうなほど、小さかった。
ルウは涙をいっぱいに溜めた大きな瞳でラファエルを見上げ、必死に声を絞り出した。
「僕に近づいたら、皆んな白い灰になっちゃうんだ………!だから、お願い、離れて………っ」
地獄での記憶が、ルウの心を締め付けていた。触れる仲間を次々と消滅させた己の浄化の力。それはルウにとって、誰もを不幸にする最悪の呪いだった。
しかし、怯える悪魔の少年を見つめる大天使、神への疑いの罪をルウによって浄化されたラファエルの表情は、どこまでも穏やかだった。
「私は大丈夫だよ」
ラファエルが静かに、微笑みを含んだ声で言う。
「え………?」
驚きのあまり、ルウは呆然と目を見開いた。その目に溜まっていた大粒の涙が零れ落ちる。今までの誰もが恐怖し、激怒し、自分を追い払ったのに、なぜ?
「それは、相手が悪魔だったからだよ。ここでは………もう大丈夫だよ」
ラファエルはもう一度、今度は確信を込めて優しく繰り返した。
そして、長い腕をベッドの下へと伸ばすと、固まっているルウの小さな身体を、驚くほど簡単にひっぱって外へと連れ出した。
そのまま、ラファエルはベッドの縁へ腰を下ろし、ルウを自分の膝の上へと優しく乗せ
る。
「あ………」
頬を打たれるのではなく、ふわりと自分の体が持ち上げられてルウは驚いた。上質な白い衣の柔らかな肌触りに包まれて、今までに経験したことのない温かさを感じた。
ルウは信じられない!という顔で大天使の腕にすっぽりと収まりながら、呟きを漏らした。
「僕、抱っこ初めて………っ!」
その声には、先ほどまでの恐怖は消え失せ、純粋な喜びと驚きが満ち溢れていた。
愛おしさに目を細めたラファエルが、ルウの頭を撫でようと広げた掌を上げた。
――その瞬間、ルウはびくりと激しく体を震わせ、両腕で頭を庇って縮こまった。
振り上げられた手が、ルウを打つことはなかったが、ラファエルの胸に鋭い痛みが走る。
虐待の記憶が、悲しい程に身体に染みついている事をラファエルは察した。
ラファエルは、怯えるルウを優しく抱き直すと、少しでも恐怖を紛らわせようとするように、明るいトーンで提案した。
「ルウ。お前のその可愛いクリクリの黒髪に、色とりどりのリボンを付けてみないか?」
「え………?リボン………?」
ルウが不思議そうに大きな目でラファエルを見つめると、ラファエルは聖者のように微笑んだ。
「うん。きっとね、可愛いから見てみたいんだ」
ラファエルはそう言うと、細い指先でルウの柔らかな黒髪を優しく、慈しむように梳いていった。そして、箱から取り出した色鮮やかなリボンを、小さな二つの角を隠すように、沢山結びつけていく。
「うん、よく似合っている。とても可愛いよ、ルウ」
ラファエルは何度も、飽きることなく「可愛い」と言葉を注ぎ込んだ。
「お前は本当に可愛い。私の素敵なお人形のようだ」
「かわいい………」
呪われた出来損ないだと罵られ続けたルウの胸が、生まれて初めての喜びと、熱い温もりでいっぱいになっていく。大天使に認められ、愛されているという事実が、ルウの小さな世界を真っ白に塗り替えていくようだった。
ルウは狂信的なほどの幸福感に包まれ、もっとこの主の温もりに触れたくて、熱い吐息の漏れるラファエルの唇へと自然に顔を近づけた。
しかし、その唇が重なる直前。
ラファエルは、優しい手つきで、冷たい指先をルウの小さな唇の上にそっと置いた。
「――キスは駄目だよ。肉欲は罪だからね」
ラファエルは完璧な大天使の微笑みを浮かベ、ルウの髪のリボンに触れた。
「私はまだ、神の愛のなかにいる。私たちが交わすのは、精神の救済という、もっと清らかな儀式だ。………そうだね、ルウ?」
「はい、ラファエル様………」
ルウにはその言葉の意味が分からなかったが、喜んでうっとりと頷いた。
ともだちにシェアしよう!

