11 / 13
第十一話 最初で最後の逃避行、――甘美な狂乱飛翔
憧れの美しい人を背に乗せて、ルウは誇らしく遊戯のように空を滑走していた。
「追手が付いてきているね。――巻くよ、ルウ」
遮るものなどない広い空の中、ルウの大きな黒い羽根が見失われるはずもない。
「ラファエル様、どうやって?」
ルウが問いかけると、背の上のラファエルはルウの首元にぎゆっとしがみ付き、その耳元へひそひそと内緒話をした。間もなく、ルウはラファエルを乗せたまま垂直に急降下した。
風を切り裂いていく一筋の黒い軌跡が目指すのは、かつて天使たちが興々のままに造り、捨て去ったコロシアムの遺跡だ。
地上すれすれを滑空しながらラファエルが、「治癒」から反転し「腐食」となった力を撒き散らす。
「ルウの風で、吹き飛ばして!」
ルウは巨大な翼で暴風を起こし、その紫色の毒を遺跡全体へ一気に拡散させた。
「はははっ、面白い!」
ラファエルが真っ赤な唇の両端を美しく引き上げて無邪気に笑う。
目前で恐ろしい惨劇が巻き起こった。
紫色の毒を浴びた古代の石柱や観覧席が、まるで数千年の時を一瞬で飛び越えたかのように、音もなく黒ずみ、みるみる脆い砂へと風化していく。
神々の姿を象った美しく繊細なレリーフは端からポロポロと崩れ落ち、巨石の表面には、蜘蛛の巣状の亀裂が走り出していた。
「美しいね……、崩してしまえ!」
ラファエルの声に応え、ルウの巨大な黒い翼が極大の暴風を叩きつける。
ドガガァァァン!
コロシアム全体がぐらりと大きく傾いた。要石を失った重厚なアーチの連なりが、悲鳴をあげて瓦解する。すり鉢状の観覧席が地下構造へと崩落し呑み込まれていった。
崩れ去った巨構の跡からは、砂煙がモクモクと空高く立ち登り、視界を白く遮り、砕けた石の礫が、激しい雨となって降り注いだ。
追手の下級天使たちは、粉塵の嵐を前に戦慄の叫びを上げ、逃げ惑っていた。
「あはは、すごい、すごいや!次はテーマパークだ!行こう、ルウ!」
とラファエルは目を輝かせ、ピクニックに行く子どものような高揚した笑い声を上げた。
(ラファエル様とずっと、このまま一緒に……)ルウは儚い願いを、胸の中で力いっぱいに祈った。
その破壊の響きを背中に受けながら、ラファエルを乗せた黒い影は、青い空の彼方へと、いとも易々と消え去っていった。
◇
天界を飛び出した二人が、最後に降り立ったのは、かつて出逢った思い出の地「境界の森」だった。
地を踏みしめた瞬間、堕天使となったラファエルの足元から「腐敗」の力が波紋のように広がり、森の命を奪っていく。 干からびた草木の骸は脆く崩れ去り、地表は一瞬にして白い灰で覆い尽くされていった。
だが次の瞬間には、地面に降り積もった白い灰を割って、緑の双葉が顔を出していた。
次々と芽吹きが始まり、新芽はすくすくと伸びるそばから首を折るように倒れ、一瞬で灰となって土へ還っていく。そしてすぐさま、同じ場所から新しい命が芽吹くのだった。
ルウの浄化の力と、ラファエルの腐敗の力が激しく押し合い、引き分けた結果、「境界の森」は超高速の生命循環の中で停滞していた。
この美しく異様な光景を見たラファエルは、変わってしまった今の自分の姿を、残酷なほどに思い知らされる。
(もう二度と、元へは戻れないんだな――)
二人の危うい均衡は、長くは続かなかった。逃亡のさなかにも、ルウは片時も絶やさずラファエルの闇の力を吸い込み蓄積を重ねていたのだ。
優位の天秤が、今、ルウに動いた。
その時、怒涛のごとき生命力がもの凄いスピードで、森を緑に塗り替えていった。
ともだちにシェアしよう!

