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Episode03 魔王の産声【R18】

― 魔王side ― ――痛い。 痛い、痛い、痛い……! 胸骨を、内臓を、欲望のままに掴んだ手で引き摺り出されるような激痛だった。 人通りのない、薄暗い路地裏に、彼はいた。 そこはまるで、世界から一区画だけ切り取られたような、或いは目に見えぬ高い壁で遮断されたような、そんな孤独を孕む場所だった。 澱んだ水の臭いと、血の臭いが混ざり合う、この世の終わりを象ったような泥濘(でいねい)の中。 細い体躯が、身の置き場のない苛烈な苦痛にのたうち回る。 伸ばした手は縋るものも得られず虚しく宙を掻き、逸らされた白い喉は息を吸うのもままならず、細かく痙攣するばかりだった。 喉の奥から猛烈に込み上げて、開いた唇から嫌な音を立てて溢れ続けるどす黒い朱色に、みるみる視界が覆われていく。 突然この身に降り掛かった惨劇に、混乱と恐怖に染まった瞳はおかしなくらいに揺れていた。 ――誰か。 喉の奥まで出かかった声を、決死の思いで飲み込んだ。 声を出すな。 助けを呼ぶな。 人目に触れるな。 ――見つかれば、終わる。 自分の中の何かがそう理解し、生きたい助かりたいと浅ましく願う本能を必死に抑えつけてくるようだった。 絶望に震える身体から、肉の裂ける滑った音と、骨の砕ける音が響く。 これほどまでに悍ましい音を、自分の身体が奏でているという事実に気が触れそうになる。 血を通わせることを忘れてしまった蒼白の唇はその形を大きく歪ませて、声にもならぬ悲鳴を上げた。 華奢な体躯を無残にも突き破って現れたのは、闇を編み上げたような漆黒の剣だった。 泥濘(ぬかる)んだ地に打ち棄てられたように転がる躰は、涙に濡れそぼった眸で、己の肉体から産まれた恐怖を見上げた。 遠くで、鐘の音がした。 空を伝って鳴り響くそれは、神殿が光の中にある誰かを祝福する音だった。 絶望に沈んだ澱(おり)の中で、その忌まわしい音を聞く。 剣が霞に煙るように形を失い、そしてヒトの輪郭を成した。 褐色の肌に漆黒の髪をしたそれは、暗闇に融けるようでありながら、その双眸だけは金色に耀いていた。 真闇の中でただひとつ齎された黄金は、迷える魂を導く光明のようでもあり、到底触れることの叶わぬ天上の神域を思わせた。 高嶺の彩を帯びた眼差しは、しかし、温かな慈愛に満ちながら、今にも消え入らんとする小さな命を静かに捉えた。 「――痛いか」 音の粒子が耳の奥に融け残るような、深い残響を帯びた声音だった。 魔剣から現れた男は赤く染まった地に膝をつき、血と泥に塗れた華奢な躰を、ゆっくりと抱き上げた。 涙で濡れる頬に触れる指先は驚くほど冷たい。それなのに、触れられた場所だけが焼けるように熱を帯びていた。 「見事に産み落としてくれた。礼を言う。……頑張ったな」 冷ややかな腕(かいな)が、ズタズタに裂けた身を包むように抱き竦める。 その声音は、母体を労わるようであり、生まれたばかりの赤子に囁き落とすようでもあった。 男の手が、血に濡れた金の髪を愛おしそうに撫で、節の目立たぬ長い指が、細く滑らかな髪を梳く。 「……僕は……死ぬの?」 殆ど声にならぬ音で問うた。 ならば眼前のこの男は死神だろうか。 優しい死神もあったものだと、慈しみに溢れた所作と、注がれる眼差しにそう思った。 「死なせはしない」 胸の裡へと深く沈む、揺るぎない響きだった。 男の腕に、力が篭るのが分かる。 漸く見つけた宝物を、誰にも奪われまいとするかのような。 そんな強い意志を感じさせる、確かな力だった。 「私だけはお前の味方だ」 例え世界中がお前を拒絶しようとも。 男はそう囁いて、そっと額を重ね合わせた。 幼子の熱を測る母親のような挙措は、己が身を産み落としたヒトに対する敬意を孕み、そして至高の象徴に祈りを捧げるふうでもあった。 「――魔王よ」 虚ろに開かれた瞳には、もう何も映らなかった。 ただ己の身を包んでくれる冷たい体温だけが、肌を融かすように伝わってきた。 ――約束を、したのに。 意識がすべての感覚を攫い、昏い深淵へと堕ちていく。 手繰り寄せることも叶わぬような、細い、細い糸が千切れるその瞬間まで、その指先は男の裾を掴んで離さなかった。           ※ 街はずれにある古びた宿屋。その薄暗い一室に、もう長らく苦痛に喘ぐ声が落ちていた。 荒い呼吸の音に合わせ、寝具が忙しなく上下している。 その傍らに佇むのは、あの褐色の肌色をした男だ。寝具に包まる身の額に浮かぶ汗を、濡れた布でそっと拭ってやっている。 痛みに朦朧とした眼差しが、至近に覗き込んでくる物憂げな面持ちを捉えた。 「……貴方は……誰……?」 暗がりの中に浮かぶ金色の双眸が、すと細められた。目尻が、穏やかに緩む。 「私の名はオルフェ。魔王に産み落とされし魔剣だ」 「……僕が……魔王……?」 「そうだ。神がお前を選び、そしてお前が私を生んだ」 「どう、して……僕……ッあ、――っく……!」 思考を焼き潰すような痛みが、波のように寄せては返す。 寝具をきつく握りしめた手を、上から包むように握り込まれた。 触れられている感覚ですら、今の身体にはひどく遠い。 「つらいだろうが、耐えてくれ。その痛みは、お前の身体を魔王へと書き換えるための痛みだ。魔痕が完成すれば、痛みは消える」 生理的な涙が浮かび、零れた。 雫が伝う眦(まなじり)を、オルフェの指先が静かに拭う。触れれば容易に壊れてしまうものを扱うような、繊細な指だった。 「……っ……い……た、い……」 「魔痕が完成するまでの辛抱だ」 「それって……いつ……」 「ひと月かふた月か」 「そん、なに……?」 「斯様な細い身体に……神も慈悲がない。だが、その痛みこそが神の齎す祝福だ。お前は、神に選ばれた唯一の存在なのだから」 憐みを含んだ眼差しは、他人に向けられるそれではなく、自分のことのようにこの身を労わってくれている。まるで痛みを分かち合っているかのような面差しに、荒立つ波が凪いでいくようだった。 「……神様……僕に、怒ってる……?」 「断じてそのようなことはない。言っただろう、祝福だと。この試練は罰などでは決してない」 その言葉に、ほっと息を吐いた。涙に濡れた双眸が、僅かに緩む。 「神の真意は神のみぞ知る。お前にそれを知る術はない。ないが……お前は神にとって揺るぎのない存在となった。然らば私も命を賭してお前を護ろう」 金の瞳が、じっとこちらを見つめてくる。胸の裡に潜む何かが、おかしなほどにその彩を求めていた。 躰の奥で、骨の軋む音がする。激痛を伴うその音が、人の身体を魔王へと変えていく。 「――あ、っ」 びくんと身体が跳ねた。 痛い。痛いが、それだけではない。 疼きの奥底に、奇妙な高揚が混じる。 魔王へとまたひとつ、近づく音がした。 「身体が癒えるまで、『契約』はしない。今はゆっくり休め」 「ん……んん……っ」 意思と切り離されたように震える躰を、止められない。 下腹部が、熱い。得体の知れぬ熱が、腹部の奥底へ収束していく。 「っは……どう、して……?」 身体が、自分のものではないようだった。 呼吸が、荒くなる。瞳が、潤む。 伸ばした手が、シーツをきゅっと掴んだ。 「魔王の本能が、私の力を求めているんだろう」 オルフェはその手を、掬うように握ってくれた。 「今のお前と、無理に繋がることはしたくない。熱を吐き出せば、楽になるはずだ」 オルフェの逞しい手が、寝具の中へと差し入れられる。 下衣の中へと滑り込んできた手で、硬くなっている場所を握り込まれた。 「あっ……んぁ……ッ」 ひんやりとした感触が、滾る熱を奪っていく。 長い指に包み込まれただけで、身体はおかしなくらいにびくびくと震えた。 優しい手つきで、ゆっくりと扱かれる。じんわりと溢れ出した蜜を塗り拡げるように、先端を指の腹でぐりぐりと圧し潰された。 電流が全身を駆け巡るような、激しい快楽に襲われる。 「あ、あぁっ……だめ……ッ」 「つらかったら言え。すぐに止めてやる」 「あ……っ……やめちゃ、や……」 「気持ちいいか?」 「んっ、んん……ッ……きもち、い……っあ、も、……出ちゃ……」 「吐き出せ。そうすれば楽になる」 「ぁん……、あ、あ、ああぁ……――ッ!」 寝具の中で、細い体躯が激しく痙攣した。 溜まっていた熱の全てを、相手の手の中に吐き出す。 やがてくたりとその身を脱力させて、気怠げな眼差しでオルフェを見た。 「っは……、はぁ……、ごめ……なさ……」 「何を謝ることがある」 「……っ……だって、こんな……恥ずかし、……こと……」 涙に濡れた瞳を前に、オルフェは見せつけるように、手を濡らす白濁に唇を寄せた。 褐色の肌に映える紅い舌が、淫らに滑った液体を舐め取っていく。 「や、めて……!そんな……汚いよ……!」 「魔王が吐き出すものが、汚いわけがないだろう」 ふと笑ったオルフェの顔が、近づいてくる。 キスされる――そう思って目を閉じたとき、こつんと彼の額が重なった。 ひんやりとした額の熱が、火照った肌に心地良い。 長い漆黒の髪がさらりと頬を撫で、静かに離れていった。 何となく物寂しい思いで、それを見上げる。 「もう休め。身体が癒えたら、続きをしよう」 「……はい……」 心地の良い声音が、微睡みに誘う。 促されるまま、ゆっくりと瞼を落とした。 あれだけ苛烈だった痛みが、気づけば随分と遠くなっていた。 吐息に篭る熱の正体を、このときはまだ知らなかった。

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