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Episode07 停滞と進化

― 勇者side ― 神殿の豪奢な中庭で、ルイアスはただ、狂ったように木剣を振り抜いていた。 汗が滝のように流れ、手のひらの皮が破れて血が滲んでも、剣を止めることはしない。 ラグエルとの交わりによって与えられる不快な神の力ではなく、自分の筋肉、自分の骨、自分の意思だけで強くなってやるという、せめてもの抵抗だった。 「――ルイアス様、もうお止めください。本日の神聖幾何学と、古代結界術の講義の時間がとうに過ぎております」 回廊から、神官たちの困惑と苛立ちの混ざった声が飛んでくる。だがルイアスは、彼らを見向きもしない。 「るせぇ!んな机の上の文字なんて、魔王を斬る役に立たねぇだろ!俺は剣士だ。それ以外はいらねぇんだよ!」 「座学を疎かにするなと言っている」 不意に、背後から音もなく現れたラグエルが、ルイアスの木剣の刃先を、生身の二本の指だけで軽々と受け止めた。どれだけ渾身の力を込めようとも、1ミリも動かない。 「いつまで駄々を捏ねるつもりだ。我儘も大概にしておけ。お前がどれだけ生身を痛めつけようと、神の与えし光の魔力を纏わねば魔王には届かない。時間の無駄だ」 「無駄だと……ッ!?」 自分の血の滲むような努力を「駄々」「我儘」「無駄」と吐き捨てられ、ルイアスの苛立ちはより一層激しいものとなる。 「くそっ……」 己が身の上を呪い、焦燥ばかりを募らせながら、ルイアスは手の木刀をきつく握り締めた。           ※ ― 魔王side ― 魔王はオルフェに手を引かれ、外を歩いていた。 久方ぶりの外出だったが、身体は驚くほど軽かった。 ただ青いはずの空は灰色として眼に映り、頬を掠める風は何の香りも運んでこなかった。 辿り着いたのは、王都の地下深くに眠る、忘れ去られた遺構だった。 石造りの通路には永い年月の湿気が染みつき、足を踏み出すたび、靴底がぬめりを帯びた床を僅かに鳴らす。 そして、その先で彼は言葉を失った。 壁を。 床を。 天井すらも。 大小様々な卵が、隙間なく埋め尽くしていた。 白濁した粘液に濡れたそれらは、まるで遺構そのものが腐敗した内臓を剥き出しにしているかのようだった。 脈打つように微かに収縮するもの。 殻の内側で何かが蠢いたように見えるもの。 人の頭ほどの大きさのものもあれば、幼子の身体ほどもある巨大なものもある。 粘つく糸を引く透明な液体が、壁面を伝い、ぽたり、ぽたりと床へ落ちていた。 その音だけが、異様な静寂の中に響く。 生まれてはならないものが、ここで息を潜めている。 そう理解した瞬間、奇妙な高揚が這い上がった。 「……すごい」 廃墟は死んでいなかった。 壁も床も天井も、白濁した命に埋め尽くされている。 それは巣だった。 或いは、巨大な子宮だった。 王都の真下で、誰にも知られぬまま脈打ち続けていた禁忌の揺籠。 「――……」 魔王がその中に足を踏み入れ、ただそこに佇んだ、その瞬間だった。 ぴき、ぴきり、と。 薄い殻の内側から押し広げられるように亀裂が走る。 次の瞬間、 ――ベキ。 湿った破砕音とともに殻が内側から弾け飛んだ。 粘液に濡れた破片が床を叩き、ぬらりとした液体が糸を引いて滴り落ちる。 世界に祝福されぬものが、殻の内側から這い出ようとしていた。 ひとつ、ふたつ。 やがては数えきれないほどの無数の卵が、一斉に孵化をはじめる。 それは、魔王の意志ではない。 魔剣の闇を受け入れている存在が、魔王としてそこに在り、息をしている。 その事実だけで、卵たちは一斉に命のときを刻みだし、殻の下で脈打ち始めた。 ドロリとした紫黒の羊水が溢れ出し、肉の裂けるような音を立て、中から無数の、畸形なる魔物が這い出てきた。 あるものは目がいくつもあり、あるものは骨が剥き出しだった。 それらは産まれ出ずるや否や、粘液を撒き散らしながら、一斉に魔王の足元へと這い寄ってくる。 悍ましいはずの彼らを見ても、不思議と嫌悪の情は感じなかった。 それどころか、彼らを見つめる瞳は慈しみに満ちていた。 産み落とされたオルフェが魔王へ向けた眼差しと同じものを、今度は魔王が彼らへと向けている。 彼らにとっては、魔王こそが絶対的な『母』であり『神』だった。 「キュ……、ピィ……」 一匹の、血濡れた小さな魔物が、魔王の靴に無邪気に頭を擦り付ける。 魔王は膝をついてその異形を抱き上げ、腕の中の小さな命を見つめた。 傍らに立つオルフェは、静かにそれを見下ろしていた。 「彼らはお前を愛している。お前がただここにいるだけで、彼らは命を得る。人の世がどれほどお前を拒もうと、この者たちは皆お前の味方だ」 「……うん。僕の、可愛い子供たち……」 魔王はそっと、粘液に塗れた魔物の頭を撫でる。 異形は悍ましくも無垢な鳴声を上げて、その手に擦り寄った。 小さな身体は何かに怯えるように震え、大きな瞳は縋るように魔王を映していた。 ノアがそっと口づけると、異形は瞼を落とした。滑った粘液は生暖かく、ノアの唇をねっとりと濡らした。 「大丈夫だよ。何も怖くない」 その声を合図にしたように、遺構を埋め尽くす無数の魔物たちが静かに声を上げる。 まるで祝福だった。 この地下深くの闇だけが、新たな王の誕生を歓んでいた。 やがて彼らは世界を滅ぼす軍勢として、遺構という名の揺籠から外へと出ていくのだろう。 魔王はその引き金を引く『受動的な絶対悪』なのだ。 最早その存在は、到底ヒトとは呼べないものとなっていた。 「お前の成長は驚くほど早い。今この世界に、お前に敵う者など存在しない」 オルフェの声に、魔物たちは一斉に咆哮を上げた。 それは、歓呼の雄叫びのようでもあり、亡者の慟哭にも似ていた。 「もう、お前の存在を隠す必要もなくなった。始めよう、世界の崩壊を」 魔王は立ち上がり、静かに前を見据えた。 けたたましい咆哮が、いつまでも地下の空気を震わせていた。

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