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Episode13 蒼穹の独白【R18】
― 勇者side ―
ルイアスがラグエルをその身に受け入れてから、一カ月が経とうとしていた。
その間、胸の聖痕が疼くこともなく、拍子抜けするほど、身体には何の変化も現れなかった。
ただ、光の気配だけは確かに胸の裡に感じていた。
心臓のすぐ隣で、静かに、眠るように揺らいでいる、温かで強大な気配。
「ったく……早く出て来いよな」
神殿内の厳かな図書館。
山積みにされた神聖魔法の書物を捲りながら、ルイアスはぽつりと独りごちた。
この一か月、剣の鍛錬はこれまで通り一日も欠かさなかったが、それ以上に座学にも血を吐くような思いで力を注いだ。
歴史、魔術理論、世界の構造。どうやら自分はやればできる子だったらしい。知識の飲み込みの早さに、教える神官や魔術師たちは皆「さすが勇者様だ」と口を揃えて褒め湛えた。
だが、欲しいのはそんな言葉ではない。どれほど称賛の言葉を浴びせられようと、胸の渇きが癒えることはなかった。
「……ノア……今、どこで何してる?」
ペンを置き、大きく開かれた窓の外を眺める。
王都の空は、毎日変わらず穏やかで、残酷なほどに青い。
硝子玉を溶かしたような、懐かしいあの色だった。
「お前のオムレツが食いたくてさ。ここの料理番に我が儘言って、同じ材料で同じように作って貰ったんだ。……けど、やっぱり全然違うんだよな。何でだろ」
ふと、空を純白の鳥が横切って飛んでいった。
何という鳥であるのか、その名前は今も知らない。
けれど、昔ノアと一緒に草原に寝転がって空を仰いだときも、あんな風に白い鳥が飛んでいた。
あの頃の自分たちはただの人間で、世界のことなんて何も知らなくて、ただ明日も一緒にいられることだけを信じて疑わなかった。
「ちゃんと飯食ってるか? もともと細いんだから、しっかり食えよな」
白い雲が、蒼穹を流れていく。風に吹かれ、少しずつそのかたちを変えながら、ゆっくりと、どこかへ。
「なぁ、ノア。痛い思い、してないか? つらくは、ないか?」
遠く、どこかの空の下にいるであろう幼馴染へと囁き落としながら、ふと、脳裏にあの一件の――あの宿屋の部屋で見た、褐色の逞しい男の腕が思い出された。
大切なノアを強引に奪い去り、その身体に無遠慮に触れていた、忌々しい魔剣。
けれど、激しい憎悪の隙間で、妙に落ち着き払った理性が働く。
魔剣の腕はあの時、執拗なほどに強く、ノアの身を護ろうとしていた。
あれと共に在る限り、ノアが不当に傷つくようなことはないのかもしれない。
「ノアを傷つけたら、絶対に許さねぇからな……」
ならば、己が力を蓄え、完全な勇者としてノアを救い出すそのときまで、精々大切にしてやってくれ。
敵であるはずの魔剣にそう願いながら、ルイアスは広げていた書物を静かに閉じた。
「必ず、助け出すから。そしたら、一緒に帰ろうな」
戻りたい場所がある。
静かに繰り返されていた、穏やかな日常。二人で共にあった、かつての日々。
――決して、諦めはしない。
決意を秘めたルイアスの呟きは、誰に聞かれることもなく、静寂の中に融けて消えた。
窓の外の蒼穹を、ただ白い雲だけが往く宛もなく流れていった。
※
深夜。
自室の寝台の上で寝具に包まりながら、ルイアスは身を丸めていた。
「――っは……」
零す吐息は、ひどく熱い。
「んっ……ぁ、」
呼吸の合間に漏れる声は、甘かった。
自ら握り込んだモノは、手の中で熱く、硬く育て上げられていた。
先端から溢れる蜜を塗り拡げるように、指の腹で鈴口の割れ目をなぞる。電流が走ったように、ぴりぴりとした快楽が下腹部から全身に広がった。
「……、っく」
限界が近い。昂る中心を握っていないほうの手は、きつくシーツを握り締めていた。
本来疼くべきではない場所が、ヒクついている。
もの欲しそうに求めてしまう身体は、今はこの身の中にいる男の手によって、知らないものに書き換えられてしまった。
脳裏に思い浮かぶ顔がある。彼の瞳。唇。肌。指先。記憶の引き出しを、ひとつひとつ開けていく。
彼が、笑う。穏やかに。少しだけ困ったように。
月光に照らされた姿。月明りと同じ彩をした、肌。浮かび上がる、輪郭。揺れる。ベッドの上で。開かれた唇。漏れる声。そして水音。
その瞬間、自分の中の熱が弾けた。
「あっ――……ッ!」
指に、よりいっそう力が篭る。びくんと身体が跳ねて、その後もびくびくと全身が痙攣した。愉楽の頂上が、数秒続く。
しばらくして、静かになる。波が、引いていく。四肢が、脱力する。大きく吐いた息は、ひどく気怠いものだった。どこか虚ろな眼差しが、何もない場所を見つめている。
オルフェがいなくなって、もう一カ月。
彼と交わっていたときは、自分でする必要もなかった。
男の身体というものは、どれだけ不必要な場合であっても精を作り続けている。作られる以上、吐き出さなければならない。
勇者のために、神殿は美しい女性を用意できると言った。断ると、ならば男性にいたしましょうかと、的外れなことを言ってきた。うんざりした思いでそれを聞き、当然それも断った。
神殿は、勇者の性事情すら把握しているらしい。空恐ろしいものを感じ得ないが、それが勇者の宿命なのだろう。嘆いても仕方がない。
頭の中が静かになるこの時間は、ひどく虚しい。独りで処理したときは、いつもこの空虚感と向き合わなくてはならない。
恋人と交われるならば、事後は余韻を楽しむ時間に違いなく、きっと心を満たしてくれるのだろう。それを考えると、よりいっそう虚しくなった。
重い溜息を吐きながら、身を起こす。白濁に濡れた手を紙で拭いつつ、寝台から脚を下ろした――そのときだった。
兆候は、前触れもなく現れた。
心臓ではない、胸の奥のもう一つの『核』が、ドク、と大きく脈打つ。
凄まじい熱量と圧力に、ルイアスは思わず床に膝を折った。
「っは……、……やっとかよ」
ぞくりと全身の毛が逆立つ。かつて味わった、あの肉体を引き裂かれる悍ましい痛みの記憶が、意思とは関係なく身体をガタガタと震わせた。
しかし、あのときのような絶望も拒絶も、今のルイアスは感じていなかった。
――これで前へ進める。
そこにあったのは、確かな悦びだった。
「うっ……、っく、……」
灼け付くように熱い胸元を手で押さえながら、荒い息のまま視線を巡らせる。
ここでは駄目だ。真新しい白い寝具を、血で汚したくはない。
妙に冷静な思考を働かせながら、血を撒き散らさぬよう部屋の隅へと這って移動した。
大理石の壁に背を預け、そのままずるずると床へ座り込む。
大きく息を吸って、吐いて、激しく暴れる魔力をなだめるように呼吸を整えた。
「――ッあ、ぐ……!」
みし、と肋骨の内側から凄まじい圧がかかり、骨が軋む。かつて味わった身を裂かれる痛みが、鮮明な記憶となって蘇る。
ともすれば取り乱してしまいそうになる意識を、必死に落ち着かせる。
歯を食いしばって、覚悟を決めた。
「……いつでも、来い」
しかし、どれだけ待っても、痛みがそれ以上強くなることはなかった。
この肉体を気遣うように、あるいは刃を突き立てることを躊躇うように、胸の奥でぴたりと停滞している光の気配。
そのあまりにも過保護で、どこか人間臭い相棒の迷いを感じ取り、ルイアスは痛みに震える吐息を逃した。
「……ってか、このまま生殺しは、逆につらいんですけど……」
宙を仰ぐ。視線の先に現れるであろう白金の姿を、待ち望みながら。
「……っ……何、ビビってんだよ……早く、出て来いって。俺なら、大丈夫だって、言っただろ……!」
荒い呼吸に途切れる声音が、静かな室内に響き渡る。
一拍の、短い静寂のあと。
ばき、と鈍い音を立てて内側から胸骨が圧砕された。
濡れた音を立てて肉が割れ、皮膚が大きく裂ける。
「――――ッ、あ、――――!!!!」
声にならぬ悲鳴が、喉を駆け抜ける。
激痛に、視界が真っ白に染まる。
勇者は自らの肉体を割り、再びその聖剣をこの世界へと産み落とした。
溢れ出た鮮血が床を赤く染めていく。
痛みで朦朧とする視界の先で、光の粒子が寄り集まっていく。
懐かしい、あの白金の髪と端正な顔立ちが目の前に顕現した。
「……おせぇ、んだよ……心配、させんな……」
肩を上下させ、血を吐き出しながら笑うルイアスに、ラグエルはその美しい金の瞳を、これまでになく穏やかに細めた。
「待たせたな、ルイアス。……見事な辛抱だ」
聖剣が、初めて勇者の名を呼んだ。
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