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Episode16 忘却の輪廻

― ???side ― 茜に染まった陽が、山の稜線へゆっくりと身を預けていく。 一面に咲き誇る名も知らぬ花が、燃えるような夕日に染まっていた。 長く伸びた二人の影が、静かに寄り添っている。 「やっぱこの場所で見る夕日が、一番きれいだよな」 「そうかな」 「あれ、違う?」 「景色なんて、どうでもいい」 「え?」 「お前が隣にいるなら、それで」 「……なにそれ。……恥ずかしいんだけど」 やがて陽は山の向こうへと沈み、空には淡い紫が滲み始める。 草原を吹き抜ける風が、昼の名残を攫っていった。 二人に、それ以上言葉は要らなかった。 手を握った。指を、一本ずつ絡めるように結ぶ。 ぎゅっと、握り返してくる。 甘やかな空気が流れた。 風だけが、二人の間を縫うように吹き抜ける。 どちらともなく、隣の相手を見た。 すぐ至近で、視線が交わる。 夕日の余韻を残す空の色を、その瞳は映していた。 唇が重なる。ほんの一瞬、触れるだけの口づけ。 一人が穏やかに笑う。もう一人もまた、つられるように肩を揺らした。 二人の顔は離れることなく、そのままコツンと額が合わさった。 額に伝わる互いの熱で、その存在を確かめ合う。 夕陽は、何も語らぬまま山の向こうへと沈んでいく。 茜色に燃えていた空は少しずつ熱を失い、世界は静かな薄暮へと溶けていった。 今日という一日が終わることを惜しみながら、世界は眠りへと落ちていく。 明日もまた、この陽は昇る。 二人は、疑いもしなかった。 二つの影は境界をなくし、まるでひとつであるかのように重なり合っていた。 これが、二人で共に見た最後の夕日だった。           ※ 彼は、血に塗れていた。 髪も、頬も、指先も。 全てを昏い赤に染めて、佇んでいる。 周囲には既に、生きたものの気配はなかった。 ただ、数多の骸だけが転がり、積み重なっていた。 一面に咲き誇っていた花はすべて枯れ落ち、辺りは荒野と成り果てていた。 山の稜線だけが、以前と変わらぬ形をしていた。 その手には、剣が握られていた。 それもまた、本来の色が分からぬほどに血に塗れている。 血に塗れた青年の瞳は、鈍く金色を宿していた。 そして向かい合う青年もまた、同じ光を映していた。 どちらも、あの夕日の空の下にあったときの彩をしていなかった。 対峙する青年の握る剣は、眩い光を放っていた。 世界が祝福する光。 ただ一人、その剣を握る青年だけが、それを祝福できないでいた。 闇を纏う青年は、血塗れの両手をゆっくりと広げた。 光を纏う青年は、その胸へ切っ先を向けた。 次の瞬間。 光は、闇を貫いた。 それは、一瞬の出来事だった。 しかし、永遠にも感じられた。 光の剣が引き抜かれる。 世界は、瞬く間に赤く染まった。 光は、崩れ落ちる闇を抱き留める。 腕の中の青年は、穏やかに笑った。 あの日、夕日の下で見せた、あの笑顔のまま。 止まらない。 血が、止まらない。 唇から溢れ、腕を伝い、大地を濡らしていく。 何度も、その名を呼んだ。 繰り返し、繰り返し。 腕の中のたった一人の名を。 返事は、もうなかった。 手を握る。 あの日のように、一本ずつ指を絡める。 微かに、握り返す力があった。 それが最後だった。 握った手を離さぬまま、光は静かに額を寄せた。 冷え始めた肌に、自分の熱を分け与えるように。 神に選ばれた光は、何よりも大切だった闇を失った。 冷たくなっていく身体を抱き締めて、彼は涙を零した。 零れ落ちた雫が、頬を伝い、闇だった彼の顔を濡らした。 それは、これまでで一番冷たい雫だった。 世界に、平和が訪れた。 世界は、それで満足だった。 泣いていたのは、彼だけだった。 彩を失った夕日が、山の向こうへ沈んでいった。           ※ ― 勇者side ― ルイアスは、泣いていた。 止め処なく溢れる涙が肌を伝い、髪を濡らし、枕に染みを作った。 少しずつ、意識が確かなものになっていく。 眼に映るのは夕日ではなく、見慣れた天蓋だった。 「ルイアス……気がついたか」 確かな記憶に刻まれた声が、降ってきた。 視線を向けると、ラグエルがこちらを見下ろしていた。 「……泣いてる?」 「泣いているのは、お前の方だ」 ラグエルの金の瞳は、涙を流さない。 それでも何故かルイアスには、ラグエルが泣いているように見えた。 「なんか……夢、見てた……」 どんな夢だったかは、思い出せない。 ただ、何処かで見たことのある景色、聞いたことのある声音だった気がする。 「……ただの夢だ」 震えるルイアスの手を、ラグエルは握っていた。 おそらくずっとそうしてくれていたのだろう。互いの体温が、均一になっていた。 指を一本一本絡め、しっかりと握り込んでくる大きな手。 この手の繋ぎ方を、自分は知っているような気がした。 「……っ……」 涙が、止まらない。理由など、解らなかった。 ただおかしなくらいに、心が搔き乱されていた。 胸の奥に、大きな穴が開いてしまったようだった。 きっとそこには、大切なものが埋まっていた。 嗚咽を漏らし、泣きじゃくる。 見下ろしてくる金の瞳は、静かだった。 涙など流していない。 それでも、その金の瞳は、泣いているようにしか見えなかった。 「ルイアス。息を整えろ」 「っ……、ぁ……」 「大丈夫だ。落ち着け。言っただろう、あれはただの夢だと」 まるでラグエルも同じものを見てきたかのように言う。 親指の腹で、眦を拭われた。それでも止まることの知らない雫が、ラグエルの指を濡らしていく。 「なん、なんだよ……これ……っ、……わけ、わかんねぇ……」 「……すまない。……私の所為だ」 嗚咽が止まらない。呼吸が乱れる。 胸がひどく締め付けられて、息苦しい。 頭がくらくらして、拍動に合わせて頭の深いところが痛んだ。 「息を吐け。ゆっくりだ」 「……吐い、てるよ……ッ……」 息苦しさを何とかしようと、何度も深く息を吸う。 しかし、そのたびに肺は痙攣するように震え、吸い込んだ空気が喉の奥で引っ掛かった。 いっこうに、肺は満たされない。 足りない。もっと、と身体が悲鳴を上げていた。 「はっ……、は……っ」 「そうじゃない。吐け。吸うな」 無茶を言う。握った手に、力が篭った。 焦るほど呼吸は浅く、速くなる。 喉がひゅう、と細く鳴り、何度吸っても酸素が身体の奥まで行き届かない。 落ち着け、と自分に言い聞かせる。 ゆっくり吸え。ゆっくり吐け。 命じれば命じるほど、身体はその命令を拒むように呼吸を速めた。 制御の効かない身体に、焦燥ばかりが募る。 空気を貪るように吸い込み、それでも息苦しさはひどくなるばかりだった。 指先が痺れ、視界の縁が白く霞み始める。 「っは、……ぁ……」 「――ルイアス」 次の瞬間、ラグエルの手が頭部を支え、そのまま唇が重ねられた。 吐き出そうとした息ごと塞がれる。 「――っ……!」 吸えない。 もがこうとした身体を、大きな手が静かに押さえた。 落ち着け、と。頭の中に直接響く声がある。 強制的に呼吸の間隔を止められると、不思議なほど暴れていた肺が少しずつ静かになっていく。 瞼を落とし、片方の腕を縋るように相手の背へまわした。 もう片方の手は、ずっと握られている。指の痺れが、次第に治まってきた。 少しずつ、頭の中に立ち込めていた霧が晴れていく。 呼吸が落ち着いた頃、ラグエルの唇は離れていった。 「……っはぁ……」 「少しは落ち着いたか?」 ラグエルの瞳が、至近に覗き込んでくる。 あんなに疎ましかった色が、今は不思議と心を落ち着かせてくれた。 「熱は――下がったようだ。痛みはどうだ?」 「……大したことない。……だるいけど」 「随分と長く寝込んでいたからな」 瞼に掛かる前髪を、ラグエルの手が払う。 火照った肌の上を、ひんやりとした指先が掠めていく。 「お前の方は……もう、大丈夫なのか?」 「あぁ。お前のお陰だ、ルイアス。礼を言う」 「……やめろよ。そんなこと言われると調子狂う」 ふと小さく笑うと、ラグエルの双眸が僅かに細められた。 さきほどと変わらず、平静なようでいて、その瞳だけが本音を隠し切れていなかった。 長い睫毛の奥で、危うく揺れる瞳。 しかし何を聞くよりも先に、握っていた手が離れていった。 「――ゆっくり休め」 立ち上がろうとする気配を見せたラグエルの服を、気がつけば掴んでいた。 掴んでおかなければ、何処かへ行ってしまうような気がした。 勿論、そんなことはあり得ない。分かっているはずであるのに、漠然とした不安が胸を過った。 「……今日は、いいのかよ」 「何だ。そんなもの欲しそうな顔をするな」 「なっ……そういうんじゃねぇって……!」 「今は身体を休めろ。じゃあな」 それきり、姿が見えなくなった。 「……んだよ……」 しんと静まり返った室内を見回す。 この部屋は、こんなに広かっただろうか。 胸の中には、なおもすきま風が吹いていた。 ルイアスは寝具を深く被り、暗闇の中で目を閉じた。 次第に微睡んでいく意識の中。 瞼の裏には、朱に染まる空のような色が広がっていた。 疲れてシーツに沈む身体は、手のひらの温もりだけを、いつまでも連れていた。

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