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Episode24 二振の選択

― 勇者side ― 魔物たちが去り、静寂が取り戻された戦場の中心で、ルイアスは差し出した右手をノアにしっかりと握り返されていた。 ノアの手のひらは驚くほど冷たく、けれど確かにルイアスの体温を吸い上げようとしていた。 頭上の竜が、再び鳴いた。 大地を震わせるその咆哮は、主の涙を祝福するようでもあり、失われたものを嘆くようでもあった。 「先に帰って大丈夫だよ」 ノアが、空へ向かって告げる。 主の翼はその声に暫し逡巡するかのように弧を描いていたが、やがてその漆黒の翼をひと際大きく羽ばたかせると、その場から飛び去って行った。 その悠然とした姿を見送ってから、改めてノアへと向き直る。 「きっと、何か方法があるはずだ。現に、ノアは戻って来てくれた。カミサマだか何だか知らねぇけど、言いなりになんかなってやるかっての」 ルイアスの言葉に、ノアは穏やかに双眸を細めた。 そうして、小さく頷く。 「僕もオルフェに、聞いてみる。オルフェなら、何か知ってるかも」 気がつけば、少し離れた場所に魔剣が立っていた。 「いってくるね」と、そう言ってノアは笑う。 名残惜しい気持ちで、繋いでいた手を離した。 オルフェの元へ駆け寄る背中を見ていると、胸の奥がざわりと波立つ。 あの日宿屋で向けられた冷え切った眼が、否が応にも脳裏を掠めた。 振り切るようにかぶりを振る。 今はもう、あのときの自分ではない。 「ラグエル」 ルイアスが名を呼ぶと、携えていた聖剣が消え、光を散らしながら目の前にラグエルが現れた。 「神のシステムを、この狂った輪廻を壊す方法を教えてくれ。何かあるんだろ」 ラグエルはルイアスから視線を逸らしたまま、口を噤んでいた。ルイアスはそれを見て、やはり方法はあるのだと確信する。 「頼む。ラグエル。方法があるのなら、教えてくれ。俺はノアに、これ以上世界を壊させたくない」 沈黙が流れる。 ラグエルは、逸らしていた視線を一瞬だけルイアスへ向けた。 そこにある諦めることを知らない瞳に、彼は何を思うのか。 神の欠片にとって、神の理に背くというのは大罪なのだろう。迷うのも無理はないと、ルイアスはその沈黙が破られるのを待った。 ラグエルは一度緩く瞬いた。 何かを決心したような眼が、ルイアスを射抜く。 「方法なら、ある。神核に勇者と魔王の二人が同時に触れることだ。そうすれば、勇者と魔王の輪廻は瓦解する」 「触れるだけでいいのか?そんな簡単なことで壊れるものを、何故今まで誰もしなかったんだ?」 「知らないからだ。この方法を知るのは、神の欠片である私と、そして同じく魔剣だけだ。これまで誰一人にとて話したことはない」 「……俺には、教えてくれるのか」 「……何故だろうな。お前になら、託してみたくなった。――だがルイアス、覚悟はあるか。神の理を壊せば、もう二度と、元には戻らんぞ」 「そんなの、最初から覚悟の上だ」 ルイアスは笑った。 何が元には戻らなくとも、ノアと共にいることができるのなら、そんな代償は安いものだった。 「けど、お前は?勇者と魔王がいなくなったら、お前たちはどうなる」 「聖剣と魔剣は神核のある部屋へ行く『鍵』の役割を果たす。私と魔剣でその場に向かい、お前たちを神核の元へと送ろう」 「……消えてしまうのか?」 「気に病むことはない。元より、我らはこの仕組みを維持するための欠片に過ぎん。幾度も同じことの繰り返しを強いられて、飽き飽きとしていたところだ」 「……ラグエル……」 「その程度で揺らぐ覚悟なら、神に牙を剥くことはやめておけ。……ノアに、これ以上世界を壊させたくないんだろう」 「……うん。……ごめん、ラグエル」 「謝る必要はない。言っただろう、いい加減もう嫌になったと。幾度も同じ役目を果たし続けるだけの存在に、未練などない」 ラグエルは金の中に黒が混じるルイアスの瞳を、真っ直ぐに見据えた。 最後まで消えることのなかった彼の彩を見る眼は、ひどく穏やかだった。 「以前、お前に夢を見せたことがある。見せてしまった、と言った方が正しいが。あれは、昔の勇者と魔王の記憶の断片だ。あの記憶は、私の中に刻まれている。あれだけではない。すべての勇者の記憶が……いや、勇者という存在そのものが、聖剣という媒体に入っている」 「え……?」 「お前も、そうなる予定だった。その手で魔王を倒し、世界に平和を齎し、その寿命が尽きたあと、お前は私の一部となって次の勇者を導く立場となるはずだったのだ。魔王とて同じ。勇者に討たれた瞬間から、魔剣に取り込まれ、次の魔王の誕生を待つ」 「死んで……終わりじゃないのか」 「そうだ。勇者と魔王に選ばれた時点で、神の手の内からは逃れられない。神は何度でもその魂を使い潰す。彼らがどれだけ泣こうが喚こうが、神がその声を聞くことはない」 「……そんな……」 「終わらせろ、ルイアス。お前がこの輪廻が間違っていると思うのであれば、その手で」 「――あぁ。そうすれば、お前の中に眠る勇者の魂も、魔剣の中に眠る魔王の魂も、穏やかに眠れるんだな」 「どうだろうな。試したことがないから分かりようもないが……試してみる価値はあるのではないか」 ラグエルは微笑んだ。 その微笑みは、彼自身のものなのか。或いは、永劫に縛られ続けてきた幾多の勇者たちのものなのか。 目の前で運命に抗おうとする心優しき勇者の頭を、ラグエルの大きな手がくしゃりと撫でる。 ルイアスはその眼を真っ直ぐに見つめ返し、力強く頷いた。 光が揺らぎ、オルフェは再び聖剣の形をとって、ルイアスの腰に落ち着いた。 「ノア! やり方があるってさ。ラグエルが教えてくれた」 ルイアスは弾んだ声で振り返り、少し離れた黒霧の境界に佇むノアへと駆け寄った。 ノアは胸元に大剣オルフェを抱き締めるようにして、冷たい地面に視線を落としていた。 「……ノア?」 ルイアスの再度の声にビクッと肩を揺らし、弾かれたように顔を上げる。その金色の瞳は酷く揺らいでいるように見えた。 「どうしたんだ?ノア」 「……ううん。僕もオルフェに聞いた。方法、あるんだね」 そう言って微笑むノアの笑顔は、少しの翳を帯びていた。 ルイアスには、それが決意を固める前の不安に見えた。 誰もが成し得たことのないことをしようとしているのだ。不安に思うのも無理はない。 「あと少しだ。あと少しで、魔王も勇者もなくなって、全部終わる。俺たちの手で、このフザけた物語を終わらせよう、ノア」 ノアの視線が、ルイアスの温かな手から、自らの抱える魔剣へとゆっくりと移る。 ノアの腕の中で、冷たい漆黒が濡れたような光沢を放っていた。 「……うん」 ノアは小さく頷いた。 金の瞳を縁取る長い睫毛が、微かに震えた。 その小さな震えは、ルイアスの視界には届かなかった。 「ルイが、助かるなら……僕、なんでもするよ」 「ああ、俺たち二人で終わらせるんだ。だからさ、もう変な嘘ついて一人で抱え込もうとするなよ」 ルイアスはノアを安心させるように、その細い肩を抱き寄せた。 ノアはその腕の中に、大人しく納まった。 「オルフェも、ありがとな。ずっとノアの傍で、ノアを護ってくれて」 魔剣は、勇者の声に応えない。 「オルフェ、なんか言ってる?」 ノアは困ったように笑った。 「オルフェは恥ずかりやさんだから。大丈夫、きっとルイの気持ちは伝わってるよ」 「そっか」 神核のある場所を目指すのは、明日の黎明と決めた。 今宵が二人で日常を取り戻す前の、最後の夜になる。 低く雲が立ち込める地上に、冷たい雨が降り始めた。 片割れの二振りに雨粒が流れ落ち、黒と金の刀身を静かに濡らしていた。

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