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Episode Final 忘却の輪廻
― 勇者side ―
黎明の光が、雨に濡れた世界を煌めかせていた。
城下町を見渡せる小高い丘の上に、四人は立っていた。
雲の切れ間から差し込む朝陽が、天へと伸びる神殿の尖塔を照らしている。
「ここでお別れだ」
ラグエルの口調は軽かった。
まるですぐに戻ってくるとでも言うかのような口調だった。
それでも、ルイアスは知っている。
ここで別れた後は、もう二度と会えないということを。
「……ラグエル」
「しみったれた顔をするな、鬱陶しい」
「……ごめん、俺……」
「ルイアス」
ラグエルはルイアスの言葉を遮って、互いの距離を一歩詰めた。
ルイアスは唇を引き結び、ラグエルの視線を真正面で受け止めながら、続く言葉を待った。
「お前は、ノアの願いを叶えてやりたいか」
唐突な問いだった。
ルイアスは迷う素振りもなく即答する。
「当たり前だろ」
ラグエルはなおも畳み掛けるように問うてきた。
「それは、お前の願いよりも優先させたいものなのか」
やはり、ルイアスは迷わない。
「当然だ。ノアの願いが叶えてやることが、俺の一番の願いだからな」
「――そうか」
ラグエルの双眸がすと細められた。
ルイアスは首を傾げてそれを見遣る。
「何だよラグエル……どうしたんだ?」
「いや。それを確認したかっただけだ」
ラグエルの手が、くしゃりとルイアスの頭を撫でた。
わしゃわしゃと搔き乱されて、ルイアスは思わず笑った。
「じゃあな。お前と共に在った時間は、それなりに楽しかった」
「おう。俺も。最初は嫌いだったけどな」
「ふん、生意気を」
ラグエルはルイアスに背を向けた。
その背に、ルイアスは投げかける。
「ありがとう、ラグエル。お前は最高の相棒だったよ」
ラグエルは半身だけ振り返り、ふと笑った。
傲慢で高潔で、けれど誇らしげな笑みだった。
「行くぞ、オルフェ」
隣を見遣れば、オルフェもまたノアと向き合っていた。
ルイアスからはノアの顔は見えないが、オルフェは穏やかな微笑をノアへと向けていた。
ノアを見るオルフェの眼差しは、いつだって慈しみに満ちている。
オルフェの眼には、ノア以外のものは映り込んですらいないようにも見えた。
二振りの剣は肩を並べると、まるで長い旅を終えた友のように、音もなくその場から姿を消した。
ルイアスとノアは小高い丘の上から、ただじっと二人が向かったであろう神殿を眺め続けた。
※
― 聖剣・魔剣side ―
神殿最深部。
幾千年もの時を閉ざしてきた封印の扉の前に、二振りの剣が静かに佇んでいた。
外からは誰も立ち入ることのできないこの場所の存在を、知る者さえいない。
ただ、神核を護るためだけに造られた部屋だった。
神核の間に続く扉には、もう読み解くことのできる者はいないであろう古代の文字で、厳重な封印がなされている。
「まさかここに立つ日が来ようとはな。あれだけ神に従順だったお前が、一体どんな気の迷いだ」
ラグエルが言うと、オルフェは前を向いたまま、静かに答えた。
「それはこちらの台詞だ。貴様も、後悔するのではないか」
ラグエルは少しだけ視線を彷徨わせた。
脳裏に思い浮かぶのは、今しがた別れを告げてきた、『最後の勇者』の笑顔だった。
「私は、あれに生きて欲しい」
オルフェはラグエルの横顔を一瞥し、そうして再び扉の封印へと向き直る。
「私は、あの子を独りにしたくない」
自らに縋りつき、孤独に身を震わせて泣いていた姿を思い浮かべ、オルフェは掌を握り締めた。
「同じだな」
「貴様と一緒にするな」
「同じだよ。俺もお前も、不器用な人間に入れ込んでしまった。……とんだ失態だが、こういう終わり方も悪くない」
どちらともなく、封印の前へと歩み寄る。
光と闇。二対の剣が並ぶ。
「……これで、すべてが終わる」
差し出した手を、封印の上へと宛がった。
描かれた魔法陣が、淡く浮かび上がる。
「あぁ。……ようやくだ」
二人は、二振りの剣となった。
ひとつは、聖なる光を宿す剣。
白金の刃は眩い輝きを放ち、その刀身には神の加護を示す紋章が刻まれている。
もうひとつは、深き闇を纏う剣。
黒き刃は光すら飲み込むように沈み、禍々しい魔力がその身から絶えず溢れ出していた。
本来ならば、決して交わることのない二つの力。
久遠の輪廻の中で、この日初めて光と闇が交わった。
聖剣ラグエルと、魔剣オルフェ。
勇者と魔王を支え続けた二振りの剣は、互いを拒むことなく、封印の扉へと吸い込まれていく。
光が闇へ触れる。
闇が光を包む。
その瞬間、轟音と共に扉全体に刻まれた古代文字が輝き始めた。
白き光と黒き魔力が、まるで初めからひとつであったかのように絡み合う。
扉は、二つの力を認識した。
――勇者の証。
――魔王の証。
世界を調整するために生まれた二つの存在。
同時に、世界の理を越えるために必要だった唯一の鍵。
巨大な封印の門が、ゆっくりと震え始める。
長き眠りから目覚めるように、重厚な石扉が左右へ開いていく。
その隙間から溢れ出したのは、遥かな時を閉じ込めていた神の力。
風が吹き抜け、二振りの剣の刃が揺らめく。
そして――役目を終えたかのように、二つの剣は光と闇の粒子へと変わり始めた。
白い光が舞う。
黒い影がほどける。
それは消滅ではなかった。
聖剣と魔剣は最後の役目を果たすため、自らの意思で新たな楔となった。
光と闇は絡み合いながら、開かれた封印の奥へ吸い込まれていく。
まるで二人の存在そのものが、この世界に残した最後の証であるかのように。
扉の前には何も残らなかった。
ただひとつ。
開かれた道だけが、静かにその先を示していた。
※
― 勇者side ―
その先にあったのは、巨大な空間だった。
壁も、床も、天井もない。
ただ静寂だけが満ちた、世界の外側に置かれた場所。
世界の真理に最も近い場所の中心に、それは浮かんでいた。
神核。
世界を創り、理を定め、すべての生命の運命を管理する――神の心臓。
それは宝玉のような形をしていた。
しかし、美しいという言葉だけでは足りない。
幾重もの光の輪がその周囲を巡り、内部では無数の光の粒子が絶えず流れている。
まるで星々が生まれ、消えていく宇宙そのものを閉じ込めたかのようだった。
眩いほどの輝きを放ちながら、同時に恐ろしいほどの静けさを纏っている。
そこには意思があった。
声もなく、表情もない。
けれど確かに、世界を見下ろし続けてきた存在の気配があった。
勇者が選ばれること。
魔王が生まれること。
聖剣が現れること。
魔剣が産声を上げること。
すべては、この小さな光の中で定められていた。
ルイアスとノアは、神核の前に音もなく立っていた。
気がついたときには既に、二人はこの場所にいた。
ルイアスは息を呑む。
目の前にあるものは、神そのものではない。
けれど、神が世界に残した、絶対なる意志の欠片だった。
神核の中心で、光が揺らめく。
歓迎しているのか。
拒絶しているのか。
それすら、人の身には理解できない。
ただひとつだけ分かった。
これを壊せば、世界は変わる。
勇者と魔王を生み続ける歪んだ理も、誰かの犠牲の上に成り立つ運命も、すべてが終わる。
あの温かな宿屋のベッドで約束した日常が、戻ってくるのだ。
ルイアスが前を見据える隣で、ノアもまた静かに神核を見つめていた。
その表情は穏やかだった。
まるで、もう何も怖くないと言うように。
「せーの、で触ろう。一緒に終わらせるんだ」
「うん。せーの、でね」
ノアはルイアスの顔を真っ直ぐに見つめながら、優しく微笑んだ。
その眼差しを信じ切り、ルイアスはノアと息を合わせて、同時に神核へと手を伸ばした。
二人の手のひらが、冷徹な結晶の表面に触れる。
次の瞬間、空間全体が鳴動し、視界が真っ白な光で埋め尽くされた。
世界のシステムが、内側から瓦解していく。
凄まじいエネルギーの奔流が、身を貫いた。
ルイアスは己の身体が、勇者という役割から解き放たれ、現世の人間としての肉体へとしなやかに繋ぎ止められていく確かな感覚を覚えていた。
聖痕が、消えていく。
重力が増したように、身体が重くなる。
人の身とは、これほどまでに動きづらいものだったか。
「帰ろう、ノア」
手を差し出すルイアスに、ノアは微笑んだ。
「ごめんね、ルイ」
「……ノア?」
ルイアスは、言葉を失った。
「……え……?」
光の奔流の中で、ノアの身体が、足元から静かに透け始めていた。
魔痕が光の粒子となって剥がれ落ち、彼の身体そのものが、世界から消滅していくかのように儚く融けていく。
魔王の証だった金色の瞳からも、その禍々しい輝きが失われていった。
そこにいたのは、間違いなくノアだった。
幼い頃からずっと見てきた、泣き虫で、優しくて、誰よりも自分を後回しにする――ルイアスの大切な幼馴染だった。
「ノア……? なんで……何が……」
ルイアスは、咄嗟にノアの身体を抱きしめようと両腕を伸ばした。
しかし、触れたはずのノアの肩は、まるで陽炎のようにルイアスの手のひらをすり抜けていく。
「僕、行かなきゃ」
「行くって、どこに……!」
「僕はもう、魔王の完全体なんだって。完全体は神様の一部だから、還らなきゃいけないって」
「……っ……、なら、俺も一緒に……!」
「ルイは、一緒には行けない」
「……は?……なんで……」
「ルイはまだ、人だから」
ノアはルイアスを見つめていた。
その瞳は昨日、宿屋のベッドの中で約束を交わした時のものと同じ、瞬きすら惜しむように、真っ直ぐにルイアスだけを射抜く眼差しだった。
「――まさか……」
すべてのパズルのピースが、最悪の形で噛み合っていく。
『お前は嘘をつくとき、いつも目を伏せる』
かつてノアに告げた自身の言葉が、呪詛のように木霊する。
ノアの、逸らされることのない眼差し。
どこまでも、真っ直ぐに見つめてくる、その理由。
「そんな……待てって……おい!そんなの、聞いてない!」
「……ごめんね、ルイ……ごめん……」
「……知ってたのか……?知らなかったのは、俺だけか!?」
ラグエルも、魔剣も、そしてノアも。
全員が知っていて、知らされていなかったのは自分だけ。
それを――その完璧な嘘を、ルイアスは絶望と共に理解した。
ノアはいつだって分かりやすかった。
嘘をつく時は目を伏せる。
悲しい時は笑う。
苦しい時ほど「大丈夫」と言う。
ずっと、そうだった。
なのに。
自分はまた、気づけなかった。
どうして、気づいてやれなかった。
ノアの腕が、ルイの首へと回される。
そのままぎゅっと、抱きついてくる。
「……ルイに嘘つくの、大変だった。すぐ、見破られちゃうから」
「……ノア……!」
「上手、だったでしょ……?」
少しだけ身を離したノアは、以前のように、微笑んでいた。
花が綻ぶような、ルイがずっと焦がれてきた微笑だった。
「ありがとう、ルイ」
「嘘だ……約束しただろ……ノア……冗談はやめろって……」
「一緒に帰ろうって言ってくれて、嬉しかった」
「違う……違うだろ、ノア……二人で帰るんだろ……?なぁ、ノア……!」
そっと、唇が寄せられる。触れたはずのそれは、もう体温を感じなかった。
「ルイ。大好き」
「……っ……待っ……!」
伸ばした手が、虚空を掴む。
その刹那、闇は光に融けて消えた。
同時に、神格は音を立てて砕け散った。
光が収束した空間には、もう聖剣も、魔剣も、魔王も、勇者もいなかった。
残されたのは、何も掴めなかった手を見つめるちっぽけな青年ただ独り。
勇者だった青年の声にならない慟哭が、理の失われた世界にいつまでも響いていた。
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