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《第1話》代わりがきかない運命に捕まったのは果たしてどちらなのか⑤

 最初に出会ったのは、真白が十歳の時だった。  あの頃の記憶は強烈すぎて、今も昨日のことのように色鮮やかに思い出せる。  あれから十年以上たって、あの頃のままではないことはわかっている。  精神的にはまだ幼いところがあるが、一応肉体的にも社会的にも大人の部類と呼んでもいいだろうこともわかっている。たとえ相手が自分でなかったとしても、恋やセックスを経験してもおかしくない年であることもわかりきっている。  なのに、どうしても幼い頃のイメージが強く残りすぎて、こういうことをするたび、罪悪感がこみあげてくる。とてつもなくいけないことをしているような背徳感もある。  だったらやめればいいという話なのだが、求められたら、無視できない。  自分の代わりとなる人間を他で見つけてくれた方がいい、と考えて離れてみたこともあるけど、結局いつもこいつは自分のところに来てしまう。  二年間、渡米している間、こちらからいくら連絡しても通話は繋がらないしメッセージの返事も返ってこないのでとうとう愛想を尽かされたかと思ったが、連絡が取れない間、胸の中に居座っていた感情は、安堵ではなく苛立ちと焦燥感だった。  帰ってきて早々玄関の前にいるのを見た時は、正直嬉しかった。  だけど、自分がいなかった間のことを聞いて憤りを感じた。  頭の中がぐちゃぐちゃだ。  解放されて、楽になりたいのに、気づけばまた絡め取られている。 「は……」  もういいよ、もういいからいれて、と何度か懇願されたが、そのまま続けて、前もしゃぶってやったら、真白は一度達したあと、とろんとした目でされるがままになっていた。 「大丈夫か?」  さすがにやりすぎたかと心配になって顔を覗き込むと、キスをされて、腰に脚を絡められる。 「……ねぇ、チカちゃん、上手くなったよね。やっぱりオレとしてない間、他の誰かを抱いてた? ねぇ、どんな人だったの?」 「してないって言ってるだろ」 「じゃあ、ひとりエッチの時のオカズはどうしてた? ……どんな人を思い浮かべてた?」 「……意外としつこいよな、おまえ」 「教えてよ。おっぱいの大きい女の子? それとも、顔がキレーで歌が上手くてダンスも上手い男の子? どういうのがタイプなの? いつも、聞いてもはぐらかしてちゃんと答えてくれなかったよね」  腰を引き寄せられているせいで、下腹部が擦れ合う。  正直、こっちも限界だったので、中途半端に煽られるのはキツかった。 「どういう子なら、いつもチカちゃんのそばに置いてもらえるの? 演じてあげるよ、オレ」 「おまえなぁ……」  片脚を掴んで、腰を抱え直す。 「え……? あ、ああぁぁ……っ」  たっぷり時間をかけてほぐしてやったから挿入はスムーズにできたが、いきなりの圧迫感に、真白は眉根を寄せて悶えている。 「せっかく……優しくしてやろうと思ってたんだから、最後まで優しくさせろよ」 「だ、って……! チカちゃんがちゃんと答えてくれないから……ぁっ……」 「おまえだよ」 「なに、が……」  奥を擦られて、泣きそうな顔になりながらも、真白は問い返してくる。 「オカズの話だよ。いつも、おまえのことを考えていた。……これで満足か?」  暴かれたくなかった本性を、いつもこいつに暴かれる。腹立たしくて、無茶苦茶にしてやりたくなる。 「……嘘でも嬉しいよ」 「嘘ならもっと上手い嘘をつくさ。……まぁ、妄想の中のおまえの方がしおらしくて可愛かった気がするけどな」 「なにそれ。やだ……わがまま言わないから、現実のオレのことも可愛がってよ」  甘ったれた声音でしがみつかれる。 「じゅうぶん可愛がってるだろ……?」  今だって、強引に揺さぶりたい衝動をこらえて、慣れるのを待ちながらゆっくり動いてやっているのだ。 「ふふ……あのね、チカちゃん……」  ――オレも妄想の中で、千回以上、チカちゃんに抱かれたよ。  耳元で、かろうじて聞き取れる声で色っぽく囁かれて、ゾクゾクとしたものが全身に走る。 「……おまえこそ、男をその気にさせるのが上手くなった」 「う、そ……じゃ、な……ぁっ」  根元までおさめると、宙に浮いていたつま先が切なげに揺れる。 「オレのものになりたい、だっけ? それが本当にどういうことかわかって言ってるのか?」  服越しに二の腕に手を這わせて、腕を撫でるようにしてから指先を絡め取る。 「オレをからかって遊びたいだけなら、さっさと逃げろ」  今ならまだ逃がしてやれる。多分。  お互いに、『若気の至り』ですませられる。 「は……ぁ、あ、ぅ……や、ん……ひ……」  真白はもう答えるどころではなくなっていて、細い首を仰け反らせながらただ揺さぶられている。  苦しげだが、気持ちよさそうな顔だ。  ぼんやりと見蕩れながら、千夏は無言で腰を振る。  自分が彼に求めていたのはセックスではなかったはずだ。  なのに、繋がりあった部分から全身に広がる熱が気持ちよすぎて、他のことがどうでもよく思えてくる。  なんて愚かで、動物的で、情動的なんだろう。  最後に触れたのはいつだっけ。  確か、渡米する半年くらい前だっただろうか。  あの時も揉めて、話が噛み合わないまま抱き合った。  なにも進歩していない。  この先も同じことを繰り返しそうなのが、すごく嫌だった。  性欲だけぶつけられたら、どんなによかっただろう。  欲のためだと割り切れないまま、甘やかすように抱いてしまう。  ただ、このところは忙しすぎて自慰すらろくにしていなかったから、前の時よりはもたなかった。 「悪い……いっかい、出していいか……?」  懇願の口調で言った千夏の顔に真白の視線が向けられる。  ぱちぱちと目が瞬かれたあと、全身でぎゅっとしがみつかれた。 「おい……」 「やだ……出ていかないで……」  完全に、駄々をこねる口調だ。 「もう出るから……」  ゴムをつけなかったのは、この家にそんなものがないからだ。ちゃんと、腹に出すつもりだった。 「オレの中に出すのが嫌なら、このままずっと我慢してて」 「…………」  とんだ生殺しだ。  こいつは時々、おそろしいわがままを言う。 「……中に出されるの、気持ち悪くないのか?」 「きもちいいよ。チカちゃんにこの感覚がわからないなんて、残念だね」  頬を擦りつけられながら言われる。  繋がりあった部分からは、ぐちゅりといやらしい音があがった。 「……く」  腹の底が熱い。  感覚が鋭くなりすぎて、ひりつくような痛みにも似ている。 「はは……すごい。オレのなかで脈打ってるのがわかる……」  吐息まじりの掠れた声は色っぽい。  口では余裕そうに煽ってくるわりに、下半身はどろどろにとろけている。  汗ばんだ顔はうっとりとした恍惚の表情を浮かべている。  服を全部脱がせておけばよかった。肌と肌が触れあうのを邪魔する布地の感触が、すごく煩わしく感じられる。 「シロ……」 「ふふ、チカちゃんにそう呼ばれるの、好き」  何かが頭の中で弾ける感じがして、腰を突き動かしていた。  真白が一番弱いところを強く擦ってやって、ビクビクと痙攣するナカの感触を堪能する。 「ふぁ……ん、ぁぁあ……っ、あ、ッ……チカちゃ……ん……チカ、ちゃん……」  ――オレもおまえにそう呼ばれるの、好きだよ。今まで、言ったことなかった気がするけど。最初にそう呼ばれた時は、びっくりしたけど。顔を合わせるたびにチカちゃん、チカちゃん、って嬉しそうに呼んでくるおまえが可愛くてしょうがなかったよ。  荒い吐息が混ざり合う。  じっとりと汗ばんだ掌を繋いだまま、互いの欲を吐き出しあった。  余韻すら心地よく、離れたくなくて、しばらくそのまま言葉もなく抱き合っていた。  すん、と鼻で息を吸う音が聞こえてようやく真白の顔を見ると、ぼろぼろと涙がこぼれていてぎょっとした。  先ほども泣いていたが、それの比ではない量の涙だ。 「ごめん、痛かったか? やっぱり気持ち悪かったか? それとも、オレとするのが嫌だったとか……」  慌てて抜いてやって、頭を撫でる。 「ちがう、ちがうよ……」  泣き止む気配はない。  ひとまず、濡れた下肢を拭いて綺麗にしてやる。差し出したズボンは、拒否された。 「……オレが言ったことに怒ってるのか?」 「どれのはなし?」 「オレをからかって遊んでるなら、ってあたりとか……」  よく考えたら言い過ぎだったかもしれないと、今にして思う。  真白は苦笑して首を横に振っただけで、涙はあとからあとから溢れてくる。  他になだめるすべが思いつかなかったので、抱きしめて背中をさする。 「言ってくれ。おまえがなにを考えているのか知りたい」  真白は好き勝手なことを言って自由に振る舞っているようで、いつも、肝心な本心は隠すくせがある。昔からそうだ。  最初に一緒に仕事をした時は、利口そうな優等生みたいな振る舞いをしていた。でも、だんだんそれが、緩くて奔放そうな振る舞いに変わっていったのは、本人の性格の変化ではなく、その方がまわりの大人から疎まれずにすむせいであることを、千夏は知っている。  頭が弱そうなふりをしていても、こいつは昔から空気を読むのが上手い。幼い頃から二世タレントとしての処世術を身につけていて、打算と私欲にまみれた大人たちの中でうまく立ち回れるよう、『宮部真白という役』を常に演じていたことに、千夏は気づいていた。 「……たいしたことじゃないんだ。ただ、えっちするならやっぱり好きな人とじゃないと嫌だな、って思った。それだけ」  腕の中で、か細い声がぽつりとこぼれ落ちた。 「……ごめん。悪かった。もう二度としない」  さすがに頭から血の気が引いたが、そう答えるより他になかった。 「なんで?」  即座に問い返されて、言葉に詰まる。 「なんで、って……」 「……オレは……久々に好きな人に抱いてもらえたのが嬉しくて……やっぱり今までの自分は間違いだったんだな、って気づいたのが悲しくて情けなくて……それで泣いてるのに、どうしてもう二度としないなんて言うの?」  語気がだんだん荒くなっていく。悲痛な声だった。 「今まで、って……オレとの過去のことについて言ってるんだろ?」  また微妙に話が噛み合っていない気がした。だけど、ここでちゃんと確かめないと、また同じことの繰り返しになる。 「ちがうよ! そっちじゃない! 金のために、おっさんの愛人やってたこと……」  口にするのも嫌なのか、今度はだんだん声が小さくなっていく。 「ああ……」 「騙されて、ついていかなきゃよかった。もっと早く逃げてればよかった……」 「待て、騙されたってどういうことだ」 「……パーティのコンパニオンのバイトやらないかって誘われて……最初は普通にお酒ついだり話し相手になったりしてただけで変なことはされなかったんだけど、話の流れで、露出の多いえっちな感じの女の子用の衣装に着替えさせられて……写真撮られて、いつの間にか会場の別の部屋であの社長と二人きりにされてて……」 「その写真、週刊誌に売るって脅されたのか?」 「……そう」  元人気俳優、宮部恭司の息子が女装姿で乱交パーティに、とかいう見出しで記事を書いたら、それなりに話題になりそうだとすぐに想像がつく。 「そういうことは! 早く言え! ばか!」 「……ごめんなさい」 「誰かに相談はしたのか?」  肩のあたりで、真白は首を横に振る。 「親は?」 「無理だよ……お母さんはシンガポールでお金持ちのおじさんと再婚して楽しそうにやってて、年に一回、誕生日プレゼント送ってくれるだけで全然連絡くれないし、お父さんは新しい恋人に夢中で、息子になんて興味ないし……」 「だったらオレに言え! 何度も連絡しただろ! なんで無視してたんだよ!」 「だって……アイドルの仕事がダメになっただけでも情けなくて会わせる顔がないのに、そんなバカみたいな話、できないよ……。今度こそ呆れられて嫌われたらどうしよう、って思ったら怖くて……」 「オレがそこまで薄情な男に見えるか?」 「チカちゃんが優しいのは知ってる。でも、オレはチカちゃんの恋人でもなんでもないんだし、そこまでオレの面倒見る義理なんてないじゃん。……それに、留学先ですごくがんばってる時に心配かけるようなこと言うのも、迷惑かなって……」 「…………」  理由はだいたいわかった。今さら言っても仕方がないこともある。  千夏はため息をついた。 「わかった。とりあえず、アビレス飲料の社長のおっさんについてはこれ以上変なことをしてこないように手を打つから、もう関わるな。いいな? それから、あとでいいから、最初のパーティの時にいたやつの名前をわかる範囲で教えろ」 「……うん」  小さく頷いたあとで、さらに小さな声で「迷惑じゃない?」と聞かれる。 「まぁ厄介な案件ではあるが、なんとかなるだろ」  面倒だけど、そんなことはどうでもいいのだ。 「おまえをほっといたらろくなことにならないのがよくわかったから、もうこれからはオレがおまえの面倒を見る。わかったな?」  どうせ、他に頼るやつもいないんだろう。  反論は許さないとばかりに、言い切った。  千夏は腹をくくることを決めた。 「……うん。……ここにいていいの?」  なんでそんなに消え入りそうな声で聞いてくるんだろう。  天真爛漫な笑顔の下に隠されていたのは、まだ大人の庇護が必要な、幼い子供のような素顔だった。 「いいよ。いろいろ落ち着くまではゆっくりしてろ。今後のことについては……まぁ、ひとまず、おまえが健康で、元気にすごせるようになれればそれでいい。復帰したいなら全力で力になるし、大学に行くのもありかもしれないし……」  本音を言うなら復帰してもらいたいところだが、今はぐっとこらえる。  真白は、親と仕事のせいで青春時代を潰されたようなものなのだ。生き急ぐこともないだろう。 「……ありがとう」  ぎゅっとしがみつかれる。 「うん」  顔は見えないけど、もう泣いている気配がないことにほっとした。 「……チカちゃん、あのね、オレ、チカちゃんのことが好きだよ」  さっきよりもしっかりとした口調で、真白が言い出した。 「チカちゃんの善意につけ込むような真似をしたくないから、今の時点で、希望があるのかないのかだけ、先に教えてほしい」 「希望って?」 「……この先、オレと付き合う可能性があるのかないのか、って話」  そもそも、真白の方が付き合う気があるのかどうか謎だと思っていた千夏は返答に困る。 「……愛人じゃなくて恋人にしてほしい、って話で合ってるか?」  背中に回していた腕をほどいて、顔を見る。  千夏の眼差しから逃れるように、真白は視線をそらした。 「恋人がダメなら愛人でもいいよ。……スキャンダルになったら困るのはわかってるから……どっちもダメなら、いざとなった時に『なにもなかった』と言い切れる『友達』でもいいんだけど……でも、チカちゃんのことを絶対誰にも渡したくないから、他に恋人や愛人は作らないでほしい」  控えめなんだか独占欲があるんだがわからない申し出だ。 「……あのな、わかってると思うが、オレは来年には三十になるおっさんだぞ?」 「そんな感じのこと、二十歳になった時も言ってたよね。オレがはじめてまともに告白した時。オレはもう二十だからおまえとは無理だ、って……オレももう二十こえたよ!? もうさすがにいいよね!?」  告白、されただろうか?  もしかしれあれか? 二十歳の誕生日プレゼントで花をもらって、今度、手を繋いでデートしてほしいと誘われた時の――。 「あ、あのなぁ……! あの時おまえ、まだ中学生だっただろ! 親戚でも兄弟でもない二十歳の男が、ついこの間までランドセル背負ってたようなガキと仲良くデートしてたら、どう考えても犯罪の匂いしかしないだろ!」  おまけにその頃、千夏は映像の仕事で犯罪者を演じることが何度かあり、ファンでもない視聴者から『なんか悪そうなやつ』という目で見られることが多かったのだ。  人目を引く可愛らしい容姿をしていた中学生の真白とのビジュアル的相性は最悪だ。  ショタコンの変態か、誘拐犯のどちらかに見られることはほぼ確定といっていいレベルだった。 「子供だから相手にされてないのはわかってたよ! だから十八歳になったら改めて告白しようと思ってたのに! お父さんのせいで人生めちゃくちゃだし、チカちゃんはアメリカ行っちゃうとか言い出すし……遠距離恋愛は無理とか言われたらしんどいから、とりあえず既成事実だけ作っておこうと……」 「既成事実っておまえ……」 「だって、えっちしたら、チカちゃんはオレのこと忘れられなくなるでしょ」 「……えっちしなくても忘れねぇよ」 「一回だけじゃなくて何回も誘いに乗ってくれたからさ、オレ、チカちゃんももしかしたらオレのこと好きなのかも、と勘違いしちゃったんだよね。でも……二年前に最後にした時……『オレのこと好き?』って聞いたの、覚えてる?」 「ああ……」 「その時、チカちゃんがなんて答えたのかも覚えてる?」 「……なんて言った?」  真白からそう聞かれたのはなんとなく覚えているが、一番興奮している最中だったので、詳細まではあやふやだ。 「恋愛感情という意味でなら答えることはできない。おまえは今、恋愛なんかにうつつを抜かしてる場合じゃないだろ。……って言われたんだよ」 「……ああ」  確かにそんなようなことを言ったかもしれない。 「事実その通りだったから反論しなかったけどさ、なんかもう無性にショックで、オレ、帰ってから、ついカっとなってチカちゃんの連絡先消しちゃって、アプリでもブロックしちゃったんだよね。いま思えばバカなことしたな、って感じなんだけど」  電話に出なかったのも、メッセージに返信がなかったのもそのせいか。つまり、メッセージに関しては届いてすらいなかったということか。 「……悪い。そこまでショック受けてるとは思わなかった」 「いいよ。だってオレ、チカちゃんの前では全然平気な顔してたし」  そういう演技が得意なやつだということを、誰よりもわかっていたはずなのに、どうして気づいてやれなかったのだろう。  言い訳になるかもしれないが、当時は真白も再デビューに向けてバタバタしている時期で、千夏も渡米の準備で忙しかったし、仕事について悩んでいる時期で、とても個人的感情だけで話ができるような余裕はなかったのだ。 「でもやっぱり、どうせならちゃんと失恋したいなぁと思って、チカちゃんが戻ってきたら今度こそ告白しようと思ってたんだけど……再デビューでも失敗しちゃって、合わせる顔もなくなっちゃって……でも一目会いたくて、それであの、わけのわからないドッキリを思いついたってわけ」  真白の顔に、自嘲気味の笑みが浮かぶ。 「……もし、二年前のあの時……おまえのこと好きかどうかと聞かれた時、一言でも『好きだ』と答えていたら、いざという時、ちゃんとオレを頼ってくれてたか……?」 「そりゃあね。……そんなの、チカちゃん以外、頼る人いないわけだし」 「……ごめん。本当に申し訳なかった」  今更言ったって仕方のないことだろうが、どうしようもないほどに後悔の念がこみ上げてくる。  間違えたのは、やはり自分の方だったのだ。  どうしてこんなに、自分は不器用なのだろう。つくづく嫌になる。 「いいよ、別に。もう。……好きだって言ってもらえるほどの価値が、オレになかっただけの話だから」 「それは違う」 「なにが違うの?」  千夏は即座に反論したが、すぐに切り返された。 「本気で好意を向けられるほどの価値が自分にないと思ってたのは、オレの方だ」  お互いに、いろいろとタイミングが悪すぎたせいもあるが、それだけじゃない。 「……それ、今も同じこと思ってる?」 「そうだな。オレはおまえよりもおっさんだし、おまけに、この年になってもいまだに二流の俳優だ。あんまりおすすめ物件ではないと思うぞ」 「チカちゃんは二流じゃない! 主演は一度もないし、悪役とか狂人とか裏切り者の役ばっかりやってるけど、今までずっと仕事が途切れたことはないし、ちゃんと第一線で活躍してるでしょ! もっと自信を持って!」  涙目で怒られた。耳に痛い言葉もあったが、真白にそう断言してもらえるなら、ありがたいことだ。 「……ハイ」 「あと、オレのお母さんの再婚相手なんて十五歳年上だし、オレのお父さんの今の恋人なんて二十三歳年下だよ!? それに比べたら、オレたちの七歳差なんて、ほぼ同級生レベルだと思わない!?」  同級生は言いすぎだが、初舞台は一緒だったし、まぁ同期的な感覚があるのは事実だ。 「おまえの家、なかなかすごいことになってたんだな……」  計算すると、真白の父親の現恋人と真白の年齢差は二歳ぐらいだろうか。ちょっとぞっとする話だ。 「そうだね。でも……お父さんのスキャンダルが発覚してうちの家が一番大変だった時、オレに対する態度が一切変わらなかったのは、チカちゃんだけだよ。……チカちゃんのそういうところ、すごい好き」  急にトーンを落とした真白が、ぎゅっとしがみついてくる。  服越しに伝わってくる涙は、あたたかかった。  なんともいえない感情がこみあげてくる。  背中をさすって、そのまま抱き返す。 「……一応聞くけど、いつからオレのこと、そういう意味で好きだった……?」 「ん……最初からハッキリ自覚してたわけじゃないけど……初舞台の、初日の時……」 「お、おお……」  予想以上に、だいぶ昔だ。 「本番前に階段に座り込んで真っ青になって震えてるチカちゃん見て、かわいいなぁと思って」 「そこかよ」  本番の演技に惚れられたわけではないのか、と思わずガックリきてしまう。 「だってチカちゃんって、稽古場ではずっと一匹狼風にツンとしてすましてて近寄りがたい感じだったから……てっきり、クールで怖い人なのかなと思ってたら……はじめて、すごい人間らしい一面を見れて、チカちゃんのことが気になってしょうがなくなっちゃったんだ」 「おまえの趣味、ちょっと変わってると思う」 「チカちゃんは、見かけは強気な俺様タイプなのに、実はお人好しで面倒見がよくて熱血でまじめで意外と繊細なところが、すごくいいと思う。全部ひっくるめて大好き」 「はは……」  そこまで言われたら、さすがに敵わない。 「オレのこと、めちゃくちゃ好きじゃん?」 「だから、そう言ってる」  ずっと、自分だけが一方的に、相手への感情をこじらせているのかと思っていた。  執着しているポイントは違うけど、同じだけの強い感情を向けられていたのだ。 「……今のオレの状態でこんなこと言う資格がないのはわかってるけど、オレ、まだチカちゃんのこと、好きでいていい……?」 「いいもなにも……」 「今すぐ恋人にしてほしいって言ってるんじゃないんだよ。……でも、これだけは約束して。次にオレを突き放す時は、ちゃんと振って。ちゃんと、失恋させてほしいんだよ」  千夏が言いかけた言葉を遮るようにして、真白が一気にまくしたてる。  涙はもう止まっていた。真っ赤に充血した目が、まっすぐに見つめてくる。  ずっと、そんなことを考えていたのだろうか。想像してみたら、胸が苦しくなるほどにいたたまれない。 「……おまえの舞台での演技を初めて見た時の衝撃は、正直、恋よりも激しい感情だったと思う。オレはいまだにあれ以上の強烈な感覚を知らない。だから、それを恋愛感情みたいなありきたりの感情と一緒にしたくはなかったっていう意地があった。……尊敬してたんだ、役者としてのおまえを」  相変わらず不器用な言い方しかできないけど、千夏も少しずつ、本心を晒しはじめる。 「……うん」 「抱いてほしいと言われてはじめて……おまえのこと、恋愛対象として見られるかどうかまともに考えるようになって……でも、正直よくわからなかった。考えれば考えるほど『オレよりも才能も実力もあるやつが、なんでわざわざ同性で、年上で、しかもたいした取り柄もないオレなんか選ぼうとするんだ』とか『もっと年の近い女の子を選んで、まっとうな恋愛をした方が真白のためになるんじゃないか』という考えが浮かんできて、自分の気持ちがどうとか考える余裕もなかった」 「うん……そっか」  ひとつひとつ、自分自身でも確かめながら気持ちを言葉にしていく千夏に、真白はじっと耳を傾けていた。  いくら言葉を重ねてもまた真白を傷つけてしまいそうな気がして怖くなったが、いま言わなければいけないような気がしたのだ。 「それに、恋愛にうつつを抜かしている場合じゃないっていうのは、オレ自身に言い聞かせた言葉でもある。オレはその頃の役者としての自分に、全然納得がいってなかったから……。それで、結論が出ないまま渡米の日を迎えて、結果的に、逃げるようなかたちになった」  言いながら、自分が情けなくなってくる。 「……チカちゃんはさ、ストイックすぎるんだよね。そんなに自分を厳しく評価しなくてもいいのに」  真白は苦笑をもらした。  おまえだってそうだろ、と千夏は内心思う。  もっと、自分を評価してやれよ。もっと、傲慢に振る舞ってもかまわないのに。どうして、無邪気に手を伸ばしてくるくせに、振り払われる覚悟を常に持っているような顔をしているんだ。昔から、いつもそうだ。 「……オレがチカちゃんの役者人生にとって邪魔だっていうなら、いつでも追い出してくれてもかまわないよ。なんなら、今すぐ出ていく」  聞き捨てならない言葉に、千夏の顔色が変わる。 「……オレが今も舞台に立っているのは、おまえのおかげだ。邪魔なわけないだろ。必要だから、ごちゃごちゃこだわってるんだろ。好きとか嫌いとか、そういう問題じゃねーんだよ。宮部真白という役者の存在が、必要なんだよ」  両肩を掴んで、強い眼差しで見つめ返した。  薄茶色の瞳が、大きく揺れる。  千夏は最初、ドラマや映画などの映像俳優志望だった。  舞台のオーデションを受けたのは、単なるキャリア作りの一環だった。それが、舞台の魅力に取りつかれて、戻ってこれなくなった。  映像の仕事をすることはあっても、舞台に立っている時が本当の自分だと思えるようになってしまった。  全部、こいつのせいで、こいつのおかげだ。 「……ごめん」  か細い声で真白が謝ってくる。  つい怒ったような言い方になってしまうのは、昔からの癖だった。  千夏は、力を入れすぎた手を緩めて、呆然と固まっている真白の頭をなだめるように撫でる。 「……邪魔じゃ、ない……?」 「ああ」  絞りだすような声で問いかけられて、当たり前だと言わんばかりに、千夏は頷く。 「オレが聞きたいのは、振られる覚悟があるかどうかじゃない。……逆の意味で、後悔しないかって話だ」 「逆って?」 「オレの芝居に対する尋常じゃない思い入れを見てたらわかると思うが、オレは本気にさせたらやばいタイプの男だぞ。いいのか? オレみたいな厄介なやつに捕まって」 「……もう、とっくに捕まってるよ」  冷たい指先が、頬を撫でてくる。 「チカちゃんに必要だって言ってもらえて嬉しい。……それだけで、生きていける気がするよ。だから、役者じゃないただの人間のオレを、チカちゃんはどうしたいのかも、教えてほしい。それを聞きたくてここにいる」  冷たい覚悟を秘めた眼差しだった。でも千夏は、そんなものが見たいわけじゃない。  強い力で、冷えた指先を握りこむ。 「オレはおまえに人生を変えられた。今度はおまえの人生をオレが変えたい。おまえがそれでもいいっていうなら、このままずっとオレのそばにいろ」  真白は目を見開いたあと、くしゃりと笑った。 「はは……チカちゃんも、作家の才能があるんじゃないの?」  生意気そうな言葉は、照れ隠しだとバレバレだった。 「バカ言え。オレは役者だ」 「……もういいよ。それが答えで。チカちゃんは相変わらず不器用だね」 「悪かったな」 「今は、オレとキスするのが嫌じゃなければ、それでいいよ」  じゃれあうようなキスをした。  今までしたキスの中で、一番くすぐったかった。 「そういえばチカちゃん、今日は仕事は?」 「ん……昼過ぎぐらいに、事務所行って打ち合わせしてくる。あと、実家に顔を出す約束をしているぐらいだな、今日の用事は」  今の時刻は、まだ八時ぐらいだ。ゆっくりと朝食を食べてもまだ余裕が残る。 「……さっきの続き、する?」 「いや、今はもうこれ以上泣かせたくないから、続きは今夜な」  泣きすぎて腫れた目元を親指でそっとなぞる。 「あとでちゃんと冷やせよ。可愛い顔が台無しだ」 「わーい、チカちゃんに可愛いって言われたー」  いつもの軽い調子が戻ってきたなら何よりだ。 「いつも可愛いと思ってる」 「…………」  しかし、真白が赤くなって黙り込んでしまったので、やっぱり今まで通りにはいかないかもしれない。

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