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《第2話》アンハッピーエンド症候群④
いつもにこにこと明るく笑っていれば、たいていの大人は優しくしてくれた。
同年代の同業者には妬まれることもあったけど、父親か母親の話をすると、急に媚びへつらうような態度になるやつもけっこういたし、あからさまにいじめられるようなことはなかった。
真白を取り巻く世界は、常に上っ面の偽善と安っぽい友好で成り立っていた。
上手く立ち回れれば、たくさん褒めてもらえるし、美味しいお菓子をもらえたりするし、これでいいんだと思っていた。
自分はなにも悪いことをしていないのに父親の悪事が暴かれただけで、あんなに一瞬でまわりの人たちに掌返しされるとは、思っていなかった。
表面上の信頼関係は、薄いガラスのように脆いことを知った。
真白ちゃん、かわいいねかわいいね、といつも言ってくれていた母は、なにか汚いものを見るような目で真白を見るようになり、あっという間に荷物をまとめて出ていった。
妻と愛人全員に絶縁状と慰謝料の請求を叩きつけられた父は、しばらくは『オレにはもうおまえしかいない』といった泣き言を息子にわめいていたが、半年もすると若くて新しい恋人に夢中になって、息子には見向きもしなくなった。
もともと、仕事を優先するために高校は通信制に行くと決めていたから、学校で噂話の的になるようにはならなかったのは幸いだ。
ご近所さんの噂話にはなっていたようだが、実家の周辺には他の芸能人の家も多く、すぐに忘れ去られた。
お芝居は好きだ。
歌も好きだ。
ダンスも好きだ。
何よりも、好きな人が『おまえには才能がある』と言ってくれている。
だから、まわりの人がみんないなくなっても、できれば仕事だけは続けたかった。
再起をかけた二度目の挑戦は、長いこと一緒に練習してきた仲間に裏切られることで、あっさりと終わりを告げた。
――オレはたぶんまた、失う。
漠然と、そんな予感ばかりがつきまとうようになった。
どんなに努力しても、愛想を振りまいても、信頼に値すると思える人を見つけても、自分はなにも悪いことをしていなくても、すべてを台無しにされることもある。
二度の挫折の経験は、『好き』と『才能』だけではどうにもならないこともあるという現実を、真白に教えてくれたのだった。
ずっと好きだった人が自分の好意を受け入れてくれたって、そこでハッピーエンドになるほど現実は甘くない。
いっそのこと、ハッピーエンドが約束された虚構の世界で一生暮らしていけたなら、どんなに幸せだろう。
窓の向こうから雨の音が聞こえてきたかと思ったら、急激に気温が下がり始めた。
夕飯はオムライスだった。
せっかく美味しく作ってもらったのに、食事の間、ほとんど目を合わせられなかった。
会話もないまま夕食は終わり、真白が食器の片付けをすることを申し出ると千夏は風呂に行って、そのままリビングには戻ってこなかった。
寝るには早すぎてなにをしていいのかわからなかった真白は、リビングに置きっぱなしになっていたさっきの台本を読んでいた。
気になるところを何度か読み返していたらいつの間にか日付が変わっていて、おそるおそる寝室を覗き込んだら、千夏はもう寝ていた。
ソファで寝てもよかった。
だけど、一度でも離れて寝てしまったら、明日も別々に寝なければいけないような気がして、物音をたてぬようそっとベッドにもぐりこんだ。
ぼんやりと明るいオレンジの常夜灯の下で、背を向け合う格好で横になる。
相手が寝ているのをいいことにこっそりと抱きつくぐらいの勇気があったらよかった。
いや、昔の自分ならそれぐらいできた気がするけど、いまはとても怖い。
眠れなくて、しばらく時計の秒針の音を聞いていた。
背後でもぞりと千夏が動く音を聞いた時は、とっさに息をひそめた。
もし、千夏が部屋を出て行ってしまったらどうしようとすら考えた。
しかし、予想に反し、背後から腕を回されてきたかと思うと、抱きしめられていた。
真白が息を詰めたまま固まっていると、後頭部に柔らかく口づけられる感触があった。
寝ぼけているわけではない、と直感して、真白は泣きそうになる。
それは、なだめるような優しい仕草だった。
「…………ありがとう。大好き」
「……こっち向け」
小声でぼそぼそ告げた真白に、ぶっきらぼうな声が返ってくる。
言われた通り体を反転させると、抱き込まれて、千夏の胸に顔を押しつけられる格好になる。
「おまえ、あったかいな」
「そう? チカちゃんは……めっちゃ足、つめた……」
何気なく触れた足の冷たさに、真白はびっくりする。
「末端冷え症なんだよ。知ってるだろ?」
「そういえば、見かけによらず寒がりだったねー。ニューヨークって、東京より寒いんじゃなかった? 大丈夫だったの?」
普通に会話できたことにほっとして、真白の顔がほころぶ。
「全然大丈夫じゃなかった。湯たんぽとして、おまえを連れていけばよかった」
「あはは」
「おまえはいくつになっても子供体温でいいな」
「さすがにもう子供体温って年じゃないよ」
千夏の手に触ったら、手も冷たかった。
「掛け布団、もう一枚出す?」
「いや……これでちょうどいい」
脚を絡めて体温を分け合う。
えっちなことをしている時とはまた違う。ただひたすらに心地よくて落ち着く、不思議な感じがあった。
「今年の冬はおまえがいてくれるから助かるな」
何気なく差し出された未来の約束に、真白は、なんと言っていいのかわからなかった。
無言でぎゅっとしがみつくと、ほんのりとあたたまってきた手で、頭を撫でられる。
「……一応言うけど、怒ってないからな」
「……ほんと?」
「いや、正直あの時はムカついたけど」
「どっち」
「オレも悪かったな、とか、一人になって冷静に考え直してた」
「…………」
「おまえ、さ……オレがおまえの顔と声と才能が好きなだけで、いまだに恋愛対象としては見てない、と思ってる?」
「…………違うの?」
あまり直視したくない現実だったが、言葉にすると、そういうことになるだろうと思っていた。
今まで、子供扱いされてまともに相手にしてもらえなかったことは数えきれないほどあるし、はじめて『セックスしてほしい』と要求した時だって、最初は断られた。
チカちゃんが相手してくれないなら別の男に頼む、とごねて、ようやく抱いてもらえたのだ。
「チカちゃんが好きなのは役者としてのオレで、芝居をやっていない素の宮部真白じゃないでしょ。……別に、それでもいいんだけど」
とりあえず他人に取られなければ、それでいい。
「……どう言ったらちゃんと伝わるのかわからないけど、素のおまえのことも、一生そばに置きたいぐらいには好きだぞ」
「……ちょっと待って、電気つけていい?」
今のは幻聴ではないはずだ。だったら、どんな顔をして千夏がそれを言っているのか。いまいち想像がつかなくて、真白は枕元のリモコンに手を伸ばした。
明るくなった室内で、顔を突き合わせる。
千夏は、いつもと同じような、ちょっと困り気味の、呆れたような顔をしていた。
「一生、って言った?」
「言ったよ」
「もっと感情こめて言ってよ! 役者でしょ!?」
「あー……もう」
めんどくさそうに起き上がった千夏が、前髪を掻き上げる。
「わかりづらいなら、言い方を変える。毎日抱きたいぐらいには好きだ。……これでいいか?」
乱れた前髪の奥から覗いた目は、壮絶な色気を放っていて、真白は思わず息を止める。
「ああ……でも、毎日はさすがに、おまえが嫌がるか」
俯いて固まっていたら、千夏が顔を近づけて覗き込んでくる。
やっぱり電気なんてつけなければよかった、と思っても、もう遅かった。
「……はは、顔まっか」
反論もできずに睨んだら唇を奪われ、ちゅっと軽い音があがった。
「もしかして、期待してる?」
艶のある声で耳元に囁かれて、相手が七つも年上の男であることを、嫌というほど痛感させられた。
「……オレはね、チカちゃんのためなら死んでもいいぐらい好きだよ」
動揺を隠すため、真白も負けじと言い返した。
「おまえに死なれたら困るな」
「言っとくけど、本気だから」
「じゃあ、死ぬほど抱いてやろうか?」
「……~~~っ!?」
悔しい。負けた、と思った。これは勝てない。
「オレを本気にさせていいのか? ってちゃんと確認した上でここにいろって言ったよな? 過去の遊びの話なんて持ち出しても、なんの意味もないだろ」
「それはそう、かもしれないけど……」
「あとな、真白……おまえが、人間不信気味になるのは仕方ないことだと思うけどな、他人のことは信じられなくても、自分自身のことだけは信じてやれよ。宮部真白は誰よりも魅力的だし、他のやつにはないものを持っている。自分が、いつ捨てられてもいい存在だなんて、間違っても思うなよ」
「…………」
真剣に語りかけてくる千夏の眼差しにはもうからかいの色はない。
胸の真ん中をまっすぐに射貫かれた気持ちになった。
ただ、それと同時に服を脱がされているのはどういうことだろう。
「な、なんで脱がせてるの……?」
つい数時間前に抱き合ったばかりだ。さすがに今夜はもうないだろうと思っていた。
「……こんな痕までたくさんつけてやったのに、オレの気持ちが全然伝わってなかったんだと思ってな。愛情表現の仕方について見直そうかと」
首筋をするりと撫でられる。
「……っ」
「鏡でちゃんと自分の姿見たか?」
「見たよ。その……すごかったね」
「……普通の男は、恋人相手であっても、ここまでしねーんだよ」
顎も撫でられて、ゾクゾクしたものが走る。
「……うん。それはなんとなく、わかるよ」
「オレもこんなこと、はじめてしたし、他に誰かにしたいと思ったこともない」
「……うん」
「オレのこと、怖くなったら、逃げ出したくなる前に言え」
「怖くてもいいよ。でも、チカちゃんの怖いところも含めて好き」
「……ふ」
千夏が笑ったのと同時に、顎を捉えられてキスをされる。
「オレが真白を手放すことがあるとすれば、それはオレが人生を諦めた時ぐらいだな」
間近から覗き込んだ瞳には、遠い未来を見ているような、少し寂しそうな色が滲んでいた。
「……じゃあ、チカちゃんにはもっと人生を楽しんでもらわないと」
「そうだな。楽しませてくれよ、おまえが」
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