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《第2話》アンハッピーエンド症候群⑤
「……チカちゃんって、いままでかなり手加減してくれてたんだね」
「当たり前だ」
翌朝。とっくに日が昇ったあとだというのに、真白はベッドから起き上がれずにいた。
全身、特に腰から下があまりにも重くて、力が入らない。
夜中にまた盛り上がってしまって、見事に抱き潰されたのだ。
「いきなりあそこまでやったらおまえもドン引きだろ」
「ドン引きはしないけどさぁ。チカちゃんってほんと……表面温度と内部温度の差が激しいよね」
「どういう意味だ?」
これから仕事の千夏は、とっくに着替えをすませた格好で、枕元に腰掛けて真白の様子を見下ろしている。
「表面上は涼しげなのに、腹の中にマグマみたいな灼熱の情熱を抱えているっていうか……芝居に対してもそうだよね」
「おまえだって、板の上に立つといきなり圧が十倍以上に跳ね上がるタイプだろうが」
乱れた髪を撫でられ、直される。
「……まぁ、ベッドの上のシロも相当やばいが」
「えー、なにそれ~」
千夏の手を掴んで、じゃれつくように頬を擦りつけた。
――あとちょっとで行ってしまう。寂しいな。まだ抱かれてたかったな。
『もうだめ、むり、死んじゃう』とかいう泣き言を終わる間際にこぼしていた気がするが、寝て起きてみたらまだ足りないと思ってしまうのだから、自分も相当欲深い。
「頭がおかしくなりそうなほど魅力的だった」
こういう、真面目な声で言う時の千夏は、おかしなことを言っていたとしても、わりと本気だ。
「……板の上に立ってないオレにも惚れてくれそう?」
「もう惚れてる」
覆い被さる格好で口づけられた。
短いキスだったが、気持ちはじゅうぶんに伝わってきた。
「……ふふ。泣きそう」
「泣くなよ。今日はいつまでも撫でていてやれないんだからな。……そうだ、トイレ行きたいなら、抱えて連れていってやるけど、どうする?」
「じゃあお願いしようかなー」
別に今すぐトイレに行きたいわけじゃなかったけど、せっかくなので、甘えてみることにする。
腕を回すと、千夏はなんでもないことのように、真白の体をあっさりと抱え上げた。
ベッドを出てから気づいたことだが、真白の体はいつの間にか綺麗にされていたし、清潔なパジャマを着せられていた。
昨夜はほぼ気絶に近いかたちで寝落ちしたような気がするが、そのあと風呂に入れてくれたみたいだ。
ほんとに、見た目のクールさに反し、千夏はびっくりするぐらい面倒見がいいのだ。
「見ててやろうか?」
「大丈夫だよ。トイレぐらい一人でできるから。……どうしても見たいっていうなら見てもいいけど」
トイレのドアの前でおろされた真白は、悪戯っぽい笑みで千夏を見上げる。
「いや、やめとく。さすがにそこまでアブノーマルな趣味はない」
「ほんとにぃ?」
他にもなにか、やばい性癖を隠していそうな気がしなくもない。
「いいから入れよ」
「はーい」
トイレを出たあとはリビングに連れて行かれて、朝食を用意された。
パンと目玉焼きと蒸し鶏が乗ったサラダとヨーグルトだ。おまけに野菜ジュースまでついている。
完璧すぎる朝食だ。
役者にとって体は資本なので、千夏は家での食事についてはすごく気を遣っている。
たまにこの間みたいに真白好みのオムライスとかを作ってくれたりはするが、それ以外は基本的に栄養バランス重視の、アスリート向けの食事みたいなのだ。
ちょっと前まで、ファストフードとコンビニ弁当ばかり食べていた真白からするとやや慣れない感はあるが、ここにきてからだいぶ健康的になった気がする。
「ちゃんと食べろよ」
あのままベッドでうだうだしていたら、朝食抜きで昼まで横になっていたかもしれないあたりも見抜いた上での対応だろう。
「ありがとう。夜のスタジオ練はちゃんと行くから心配しないでよ」
「そうか?」
今日は千夏とスタジオで練習する約束をしている。二人きりの練習はこれで三回目になる。
最初の一、二回は軽いリハビリ程度の遊びのようなものだったが、楽しかった。
今日は……どうだろう。体力的には自信がないが、まぁなにかできることはあるだろう。
「そういえばチカちゃん、あの台本、昨日の夜に全部読んだよ」
リビングのテーブルの端に置きっぱなしになっていた台本が目に入って、昨日言いそびれていたことを思い出す。
「ああ、読んでくれたのか」
隣に座った千夏が、台本を持ってきた。
「今回はミュージカルっていうよりも音楽劇なんだね。あと、チカちゃんが和モノの話に出るってなんか新鮮」
「ああ。オレもオファーもらった時はビックリしたけど、おもしろそうだと思ってな」
「シナリオもおもしろかったよ」
「だろ? 普段はストレートプレイ中心で書いてる劇作家のホンなんだけど、この人の作風、おもしろいんだよな」
「チカちゃん、また悪役なんだね」
「……ハハ」
サラダをもぐもぐしながら言った真白に、千夏は複雑そうな笑みをこぼす。
「でも、見せ場多いし、めちゃくちゃおいしいポジションじゃん」
「問題はその見せ場なんだけどな」
「殺陣のこと? ていうか今回、立ち回りのシーン多くない?」
「……そうなんだよ」
「あの演出家、けっこう激しい立ち回りのシーン入れるので有名だよね。チカちゃん、大丈夫なの? 殺陣の経験、あんまりないよね?」
「……実は、シロに相談したいことがあったというのはそのことなんだ」
「ん?」
サラダの入った深皿から顔を上げると、予想以上に深刻そうな顔がそこにあった。
「おまえ、昔、殺陣習ってたよな?」
「ああ……昔ね。お父さんが通ってた道場の子供向けコースに入れられてたんだよ。っていっても、実際にそれを仕事で使う機会はそんなになかったけど」
「でも、けっこう長いこと通ってたんじゃないのか?」
「えーと、五歳ぐらいの頃からだから……十年ぐらいはやってたかな。お父さんのスキャンダルで気まずくなって、十五の時にはやめちゃったんだよね」
「それだけ続けてれば、ある程度の基礎は覚えてるよな?」
千夏がなにを言いたいのかだんだん読めてきた真白の顔が引きつる。
「……まさかと思うけど、オレに殺陣の自主稽古を付き合ってくれないか、とか言うつもりじゃないよね?」
おそるおそる問いかけると、千夏はにこりと微笑んだ。素の千夏の笑い方ではないと、すぐにわかった。
「真白ならできるよな?」
千夏らしからぬ爽やかな物言いまでされて、もうダメだった。
「あ……あのね、チカちゃん、さすがにブランクがありすぎて無理だから。体力だってまだ完全に戻ってないし」
「大丈夫だ。振り付けの確認に付き合ってくれるだけでいい。本番レベルの動きをおまえに要求してるわけじゃないんだ」
「オレも基礎ぐらいしかできないし……」
「昔、発表会? みたいなのに招待してくれて、剣舞を見せてくれたことあったよな? すごい上手かったじゃないか。見惚れたぞ」
「う……あ、あれは……」
確か、中学ぐらいの時だ。好きな人にいいところを見せたい一心で誘ったのである。
千夏は、デートの誘いには一切興味を示さなかったくせに、年に一度の道場の発表会には興味津々でやってきて、ものすごく真剣に見てくれたのを覚えている。
終わったあとにベタ褒めされたのは、最高に嬉しかった。
「大河ドラマにも出てただろ、おまえ」
「武将の子供時代の回想担当の子役で、一話だけね。殺陣のシーンはほとんどなかったけど」
千夏の圧がだんだん強くなってくるのを察した真白は、逃げるように視線をそらして、パンにかじりつく。
「オレの動きでおかしいところがあったら指摘してくれるだけでもいいんだ」
「それぐらいなら……できると思うけど……」
「今回の舞台、オレの一番の見せ場で戦う相手の役者、知ってるか?」
「七瀬響希……だっけ? 大衆演劇出身の、若い役者だよね。確か、オレよりちょっと年上くらい……? 生で見たことはないけど、映像で見たことならあるよ。めちゃくちゃ殺陣が綺麗で上手かった……」
言いながら、千夏がなぜそんなに深刻そうなのか、理由が思い当たる。
「え? チカちゃん、あれと本気で戦って勝たなきゃいけないの? しんど……」
筋書きでは、そうなっていた。
芝居だから筋書きでそうなっている以上、負けるわけがない。殺陣の振り付け通りにやれば問題ない。
ただし、それにいかにリアリティと迫力を持たせられるかは、演じる役者の腕にかかっている。
「しかもその七瀬、別の作品の本番中で、オレたちよりも二週間遅れて稽古に参加するっていうんだ」
「あー……本人は多分、動きをすぐに覚えちゃうから、稽古時間短くても問題ないんだろうねー」
「オレは多分、あいつの何倍も稽古しないとまずい」
千夏は真面目だし、手を抜くということが嫌いだから、相手の最高にコンディションのいい演技と対等になれるぐらいまで自分の力を引っ張り上げなければ気が済まないというタイプだ。
「頼む。他に頼れる人間がいない。おまえの力が必要なんだ!」
頭を下げられて、真白は押し黙った。
十五歳ぐらいまでの、まだ調子に乗っていた頃の自分だったら、喜んで即答しただろう。
しかし、今の真白が頷くには、荷が重すぎる内容だった。
黙ったままパンをかじり続けていたら、食べ終わる頃に、千夏が肩を掴んできた。
「おまえは、オレともっと一緒にいたいと思わないのか」
「そ、それを言うのは卑怯じゃない!?」
たまらずに声をあげる。
そりゃあ、一秒でも長く一緒にいたい。
力になりたい。
でも――。
「オレがチカちゃんの足を引っ張らないかの方が心配だよ」
自分は多分、千夏の言う通り、ある種の才能に恵まれたタイプの人間なんだろうということはわかる。
でも、運も実力のうちだという言葉もある。自分は運にまでは恵まれてはいない。
がんばっても、いつかダメになる。それに千夏を巻き込むのだけは嫌だった。
「なに言ってるんだ。おまえがそばにいる時は、いつもオレにバフがかかってるようなもんだ」
「バフ?」
「ゲーム用語で、そういうのあるんだろ」
「キャラクターの攻撃力とか防御力を強化させる効果だかスキルみたいなやつ……?」
「そう、それだ」
真顔でキッパリと言い切られて、真白は一瞬固まったあと、爆笑した。
「あはははは! なにそれ! オレ、そんな魔法みたいなの使えないよ」
「いや、ほんとだって。初舞台の初日から……ずっとそうだった」
「いいこと教えてあげる、チカちゃん。その初舞台の初日にオレがいきなり化けたって話……チカちゃん、今まで何度も言ってるけど、それ、オレに舞台俳優の適性があったからじゃないよ」
「……どういうことだ?」
ネタばらしするのが、ずっと怖かった。言ったら、失望されそうな気がしていたから。
でも、もういいだろう。
「オレさ、稽古の時は、一応真面目にはやっていたけど、そこまでお芝居に対して本気じゃなかったんだよね。100%の本気でぶつからなくても、それなりに上手く立ち回れるやり方をそれまでの経験で学んできたから、必要な役割さえ果たせればいいかなーってノリでいたの」
「…………」
「でも、いつも稽古場の隅で黙々と自主稽古したり、本番前に吐きそうになるほど気合い入りすぎてるチカちゃん見て……こんなに真剣にお芝居と向き合ってる人が目の前にいるんだから、オレも本気でぶつからないと失礼だなーと思って……気づいたら、本番のスポットライト浴びた瞬間、なんか変なスイッチが入っちゃってた。……だからね、オレに特殊効果をつけたのは、チカちゃんの方だよ」
言い終わると同時に、抱きしめられていた。
「…………その話が本当なら、オレがもう一回おまえを本気にさせてやる」
長い指が髪の中にもぐりこんできたかと思うと、しっかりと押さえつけられた。
「チカちゃん……」
「オレは、一生見せるつもりのなかった『本気』をおまえに見せたぞ。真白も、いまのおまえの『本気』を見せろ」
それとこれとは話が違う、と言いたいところだが、でも多分、深いところでは繋がっている。
なんて飾り気のない、野生的なまでに剥き出しの欲求だろうと思った。
舞台の上で作り上げられるのは、いつだって虚構だ。
どんなにリアリティがあるように見えたって、偽物だからこその美しさがあり、現実とは違う芸術であり、観客はそれに心を打たれる。
だけど、その作り物を体現する役者の中身は空虚であってはならない。
映像作品みたいな加工も編集もない、ごまかしのきかないリアルタイムな空間の中で、生身の肉体すべてを使って、自分ではない人間の人生を表現しなければならない。
本気を出すのなんて当たり前。失敗なんて恐れていられない。時には、剥き出しの魂をぶつけ合うような激しさだって必要になる。
真白は、小さい頃から虚構を愛していた。
虚構は、自分の中の空白を埋めてくれるものだったから。
だけど別に、舞台演劇にこだわっていたわけじゃない。
それでも、他の仕事よりも舞台を選んだ理由は、『好きな人が夢中になっているものだったから』という、実に単純なものだった。
それからもう一つ挙げるとしたら、『好きな人が、板の上にいるオレのことを好きだって言ってくれるから』。
多分、他の人から見ればくだらなくて、取るに足らない理由。
でも、そんな単純なことすら忘れかけていたことに気づかされた。
「……そうだね。チカちゃんが今のオレを必要としてくれてるなら、それでいいや」
この先、どうなったっていいか。
幕はいつか下りるものだけど、終わったからといって、そこで生まれたものがなかったことにはならないから。
幕があいているうちは、せいぜい楽しく踊ってやろう。
「あー、もう! かんっぜんに、惚れた弱みだよね。しょうがないから、その殺陣の稽古、手伝ってあげる」
「本当か?」
嬉しそうな笑顔が、ぱっと浮かんだ。
こういう時は、子供みたいな純粋な笑顔を見せてくるのがずるい。
「でも、せっかくだから、なんかご褒美ちょうだい」
「いいけど、なにが欲しいんだ?」
「えーと……」
実は、欲しかったものは、もうだいぶ、手に余るぐらいもらってしまっている。
足りないものといえば……
「い、一度でいいから、『大好き』って言ってよ!」
部分的に『好き』という言葉を使われることはよくあるが、いかにもな睦言として『大好き』と言われたことはない。
なので真白としてはまっとうな要求のつもりだったが、千夏は怪訝そうな顔になった。
「……一度? 一度でいいのか?」
「いいよ。ほんとは毎日一回、って言いたいところだけど、それだとさすがに断られそうだから」
「……おまえはオレをなんだと思ってるんだ」
昨日も同じことを言われた気がする。
千夏は盛大なため息をついたあと、真白と目線を合わせて、じっと瞳を覗き込んでくる。
無垢でまっすぐで、真剣な眼差しだ。真白は、千夏のこの目がすごく好きだった。
目を奪われている間にいつのまにか距離が詰められていて、鼻先が触れあう。
「――愛してる」
そして、息を呑んだのと同時に唇が重なった。
「大好き、よりも、こっちの方がよくないか?」
口づけは一瞬で、すぐに耳元に移動した唇が低い声で囁いてくる。
たった一言だったのに、凄まじい破壊力だった。
心臓が、ものすごい勢いで全力疾走をはじめて、真白は言葉を返すどころではなくなっていた。
しばらく反応がない真白の様子を見て、耳まで赤くなった顔を覗き込んできた千夏が、目を見開いたあとでくしゃりと笑う。
それから、また抱きしめられた。
「……まいったな」
小さく呟く声は、本当にまいっているようで、千夏にしては珍しい反応だった。
「……なに? オレ、変な顔してた?」
「シロが可愛すぎて、仕事に行きたくなくなってきた」
「…………仕事のために生きてるようなチカちゃんがそんなこと言うの、はじめて聞いた」
ビックリしすぎて真白はしばらく唖然としていたが、だんだんおかしくなってきて、肩を揺らして笑い出す。
「ふ……あはは! チカちゃん、かわいいね」
「惚れた弱みだからしょうがないな」
「それ、オレの台詞」
第2話・END
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