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《第3話》アクスタと恋はできません①
「ねぇねぇチカちゃん、見て、これ。オレのアクスタ」
「ん……? アクスタ?」
「アイドル時代に作ってもらったアクリルスタンドだよ」
五月。
GWに入ったあたりから急激に気温が上がり、手持ちの服では暑くなってきた真白は、ようやく実家から必要な荷物を引き上げてくることを決意した。
真白は最初、最低限の荷物を運ぶだけでいいと思っていたのだが、千夏がなぜか2トントラックを借りてきてしまったので、結局、タンスや机を含めた私物の大半を運びこむことになった。
幸いにも父親は不在でよかった。
真白の父親は現在、芸能関係の仕事は一切やっておらず、飲食店の経営をしている。
別に父親と仲が悪いわけではないのだが、たまに年下の恋人を実家に連れ込んでいることがあって、鉢合わせると最悪なのだ。
なにしろ、父の現在の恋人は、真白の二つ年上の若い女なのである。父の恋人のくせに、真白にまでこっそり色目を使ってくるのが苦手だった。
アビレス飲料の社長から逃げ出したあと、仕方なく実家に戻ったものの、父の恋人がきた時はすぐに家から抜け出さなければいけなかったし、いろいろ限界だった。
正直、これでもう実家に荷物を取りに戻る必要がないのかと思うと安心した。
それを千夏に伝えると「そうだろうと思った」とあっさり答えて、淡々と荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
千夏のそういうところが好きだった。
千夏の家は、横浜市内にある一軒家だ。
もともとは知り合いの元俳優が住んでいたという中古の物件で、地下室が防音のカラオケルームになっていたのを改装し、現在はちょっとしたスタジオみたいになっている。
渡米前は主に筋トレと軽い自主稽古のために使っていたようだが、先週、千夏は音響機材まで運び入れて、本格的な歌稽古までできるよう整備していた。
その地下室目当てで購入した物件なので、上の建物は一人暮らしするには広すぎて、部屋がいくつもあまっていた状態だったのだ。
同居人一人分の荷物が増えてもなにも問題なかった。
転がり込んできた当初は『いつ追い出されても文句は言えない』というつもりでいたので本格的な引っ越しまではするつもりがなかった真白だが、先日、千夏が当たり前みたいに『住民票を移してきたらどうだ? 手続きが面倒なら、一緒についてやってやるぞ』と言い出したので、さすがに成り行き任せでぼんやりしている場合ではなくなったことを理解した。
楽天的で、いつも適当なことしか言わない真白の両親とは全然違う、千夏はちゃんと地に足のついた大人だった。
古い本や、捨てるわけにはいかないけど持ってくるほどでもない思い出の品などは実家に置いてきたつもりだったのだが、短時間で荷造りしなければいけなかったので、運び出したものの中には、中身もよくわからないような箱もまぎれこんでいた。
その中のひとつに、短いアイドル時代に作ってもらったグッズが詰め込まれていた。
ちょうど千夏が様子を見にきたところだったので、一番上にあったアクリルスタンドを見せると、千夏はそれをじっと見つめたまま固まってしまった。
「これは今も販売しているものなのか?」
やけに神妙な表情で千夏が言い出したので、真白は戸惑う。
「さすがにもう売ってないよ。解散しちゃったしね」
真白が所属していたアイドルグループは、メンバー六人中二人が逮捕されるという最悪な理由で解散することになったのである。倫理的な問題でも、グッズの販売を継続するのは不可能だった。
「そうか……じゃあこれ、よかったらオレに買い取らせてくれないか?」
「欲しいの? それなら普通にタダであげるよ」
「待ってろ。いま財布を取ってくる」
アクリルスタンドは同じものが複数個、箱に入っている。むしろ、ひとつだけ記念として残してあとは捨ててもいいぐらいの気持ちだったので、お金など受け取れるわけがないのだが、千夏は話を聞かずに財布を持ってきた。
おまけに、差し出されたのが一万円札だったので、真白はますます困惑することになる。
「一万円でいいか?」
「待ってチカちゃん、これ……あんまりよく覚えてないけど定価二千円以下だったやつだから、一万円は多すぎるよ」
二年間、アメリカに行っていた千夏は、アメリカの物価高に慣れていて、たまに価値観がバグっている時がある。今回もそれだろうか。
「現在入手困難なら、プレミア価値がついてるかもしれないだろ」
「ないよ、プレミア価値なんて! むしろ、中古ショップで百円ぐらいで叩き売りされてそうだよ!」
実際に確認したことはないけど、きっとそうだ。それほどまでに、不完全燃焼で終わった微妙なグループだったのである。
「いいから。オレの気持ちだから、一万円で買わせてくれ。タダでもらうわけにはいかない」
「じゃ、じゃあ……タペストリーもあるから、それとアクスタのセットで一万円ってことで手を打とうよ」
千夏がこういう頑なな口調の時は、説得を試みても無駄だ。仕方ないので、妥協案を出すことにした。
「タペストリーまであるのか? 見せてくれ」
異様な食いつき具合だ。若干ビビりながら、真白は未開封のタペストリーを差し出す。
B2サイズのタペストリーだ。広げると、けっこう大きい。
(うわ……)
悪い写真ではないと思う。しかし、アイドル特有のキラキラした衣装に身を包んで笑う自分の姿がでかでかとプリントされているのを改めて見るのは、恥ずかしいものがあった。
「……これ、寝室に飾ってもいいか?」
さっきと同様、少し黙り込んでじっと見つめていた千夏が、真顔で言い出した。
「それだけは絶対やめて」
「じゃあ、うちの地下のスタジオの壁に……」
「やだやだ、絶対やだ。せめて、チカちゃんの部屋にしてよ。ていうかむしろ飾らないでほしいんだけど」
「わかった、オレの部屋に飾る」
「…………」
「合わせて二万円でいいか?」
「金額上がってる! なんで!?」
「金はあっても困るものじゃないだろ。素直に受け取ればいい」
「オレ、ただでさえここの家賃も生活費もまったく払ってないヒモ状態なんだから、これ以上甘えられないよ」
「それとこれとは話が別だろ。シロに『ここにいろ』と言ったのはオレだ」
タペストリーをいったん綺麗に丸め直して袋に戻した千夏の視線は次に、タペストリーとアクリルスタンドが入っていた箱に向けられる。
「他にもまだグッズがあるのか?」
「ええと……ブロマイドとライブ用のタオルと、Tシャツとかだったかな……?」
ブロマイドの束を千夏に差し出す。
「もしかしてこれも欲しい……?」
数種類のブロマイドを一枚一枚確認していく千夏の眼差しは真剣だった。仕事の時の顔みたいだ。
「よかったら全部買い取らせてくれ。大切に保管するし、転売はしないと約束する。……全部で十万でいいか?」
「そんなにもらえないよ! もう全部で一万でいいから、箱ごと持ってってよ!」
本当に十万を差し出してきそうでおそろしくなった真白は、アクリルスタンドもブロマイドもタペストリーもまとめて箱に押し込んで、千夏の方にぐいぐいと押しやった。
「いくらなんでも安すぎる。原価割れだろ」
「世間的にはもうほとんど価値がないものだよ。この間も新しい服買ってもらったし、高いディナーにも連れていってもらったし、オレにそれ以上お金使うのはやめてほしいんだってば。……愛人じゃないんだし」
愛人、という言葉に反応して、千夏は押し黙った。
とりあえず千夏がポケットに財布をしまったのを見て、真白はほっとする。
「……わかった。とりあえずその一万円だけ受け取っておけ」
「……うん」
この一万円も正直返したいところだったが、仕方がない。真白は自分の財布にしぶしぶ一万円札をしまった。
「でも、それだけじゃオレの気がすまないから、他になにか礼がしたい。なにか、オレに聞いてほしいわがままがあるなら言え」
「わがまま……?」
「仕事に支障がでない範囲のものならなんでもいい」
そう言われても、手頃に叶えてもらえそうなわがままなら、最近けっこう聞いてもらっている。
一緒に旅行に行きたいとか、千夏と一緒にやりたいことはたくさんあるけど、それはスケジュール的にすぐには難しいし、いま言うことではない。
自宅で完結する範囲のものでいえば――
「えっと、じゃあ……」
言いかけて、恥ずかしくなってきていったん口を噤む。
「ん?」
千夏がわざわざ耳を寄せてきたので、真白は内緒話のポーズを取った。
ごにょごにょと小声で囁くと、聞き終わったあとで千夏は怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんでだよ」
「だって! 前にお願いしたらダメだって言われたから」
「あれはシロが、あの時点でへろへろになってたから、のぼせてぶっ倒れられたらまずいと思って」
「今ならピンピンしてるから平気だよ」
「……へぇ、今からがいいのか。こんな昼間に?」
無愛想な千夏の表情に変化があった。整った顔立ちに、雄の色気めいたものが浮かぶ。
「べ、別に夜でもいいんだけど……」
今すぐ、とかそういう意味で言った言葉ではない。誤解なのに、ドキドキしてきてしまう。
「わかった、じゃあ夜な。部屋の片付けでへろへろになるなよ」
真白は改めて、自分の部屋を振り返った。
未開封のダンボールが大量に積み上げられたままで、見るだけで気が滅入りそうだ。
「じゃあオレは、タペストリーを飾ってくるから」
「待ってチカちゃん。今がいい。今でお願いします」
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