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《第3話》アクスタと恋はできません③

 帰国直後はスケジュールに余裕があり、真白のレッスンに時間を使うことが多かった千夏だが、出演作の公演情報が解禁されると取材が増え、宣伝のためにバラエティ番組に出演することも多くなって、家にいることがだんだん少なくなってきた。  一人の間、家で家事をしながらぼんやりできたらどんなにいいだろう、と思いつつ、真白は最近、千夏から与えられた課題をこなす以外にも、自主的に体を鍛え始めた。  やっているのはランニングと自宅での筋トレ程度だが、引きこもりだった時期に比べれば、だいぶマシな体にはなってきたと思う。  千夏ほど筋肉をつけるのは難しいと思うが、せめて『薄っぺらい』と言われる体をもう少しなんとかしたいとは思っているのだ。千夏の引き締まった体を見るたび、実はそんなことを考えている。  筋肉をつけるためには、食事も大事だ。面倒だけど、一人でも冷蔵庫をあさって、たんぱく質の量に気をつけながら食事を用意する。  少し遅めの昼食をリビングでとりながら、真白は何気なくSNSのアプリを開いた。  別に、監視してるとかそういうつもりじゃないんだけど、千夏のアカウントをついついチェックしてしまうのは、昔からの癖なのでどうしようもなかった。  千夏はそんなに頻繁に投稿するタイプではないが、気が向くとたまに、目についたものの写真をあげたりしている。  今日は珍しく、お昼ご飯の写真をあげていた。 「ん……?」  メインで写っているのは、老舗の弁当屋の焼き肉弁当だ。今日の千夏は、ドラマのゲスト出演の撮影に行っているはずだから、そこで配られたものだろう。  それはいい。  いつもならさらっと眺めて終わるだけの内容だが、その弁当の横に見覚えのあるアクリルスタンドらしきものが立っているのは、気のせいだろうか。 (幻覚かな……?)  自分の千夏への愛が、歪んだ幻覚となって、ありもしない光景を捏造してしまったのだろうか。  乱れた心臓の鼓動を落ち着かせるため、真白はいったんスマートフォンの画面を伏せて、深呼吸をした。  少し間を置いてから、改めて写真を確認する。ついでにアカウント名も確認する。  よくある有名人の偽アカウントではなく、正真正銘、佐渡千夏本人のアカウントだ。  そして弁当の隣に写っているのは――昨日、真白が千夏にあげた、真白のアイドル時代のアクリルスタンドだった。 「うそでしょ?」  びっくりしすぎて、思わず声に出た。  あわててコメント欄も確認する。 『こんにちは、おいしそうなお弁当ですね』といったよくあるファンのコメントにまじって、『だれ?』と困惑するコメントがあった。  さらにいろいろ辿っていくと『見たことある。シエルの子じゃない?』『真白ちゃん?』という投稿まで見つけて、真白は乾いた笑いを浮かべた。  ちなみに、シエルというのは、真白が所属していたアイドルグループの名前だ。 「は、はは……」  すっかり世間から忘れ去られたと思っていた自分の名前がこんなかたちで再びネットの波に晒されることになろうとは、夢にも思わなかった。 「チカちゃん、あれ、なに?」  今日は共演者との飲み会に参加する予定で遅くなるから先に寝てていい、と言われていたが、真白はもちろん先に眠れるはずもなく、零時すぎに千夏が帰宅するまで待っていた。 「あれって?」 「お昼ご飯の……」  ソファに無造作に上着を投げる千夏の仕草はいつもよりも荒っぽい。だるそうに髪を掻き上げているところを見ると、少し酔っているみたいだった。 「ああ、SNSにあげた写真の話か? 美味そうな弁当だったろ。シロも食べたいなら、今度買ってきてやる」 「そうじゃなくて……」  真白はひとまず、冷蔵庫から水のペットボトルを持ってきて千夏に渡してやった。 「なんでオレのアクスタが一緒に写ってたの?」 「日本で最近流行りなんだろ? 推し活ってやつ。この間、共演者の女の子が、差し入れのお菓子と一緒にアニメキャラのアクスタの写真撮ってて、なにしてるのか聞いたら、いろいろ教えてくれた。食べ物と一緒に撮影する以外にも、景色のいい場所で推しのグッズの写真撮るのが流行ってるんだって?」 「ああ……なるほど」  そういう文化があることは真白も知っていた。  ニューヨークでは千夏のまわりでそういうことをする人がいなかったため、物珍しかったのだろうことも察することができる。 「でも、なんでオレのアクスタ?」 「オレの推しって言ったら、おまえ以外にいないだろ」  水を勢いよく煽ってから、千夏は事もなげに応える。 「…………」  嬉しい。好きな人に『推し』と言われたのは、とてつもなく嬉しい。  しかし、あのアイドル時代のアクスタを使われるのは、なにか違う気がする。 「気持ちは嬉しいけど、やめた方がいいんじゃないかな……? ほら、もう解散しちゃったグループだし。チカちゃんのファンの人たち、戸惑ってたよ」 「いま現在活動してないグループのグッズは使っちゃいけないルールがあるのか?」 「ないけど……メンバーの不祥事で解散になったグループだし、世間的なイメージはあんまりよくないと思うよ」 「でも、おまえはなにも悪いことしてないんだろ?」  千夏は大真面目だった。  目が据わっているように見えるが、酔っているせいなのかどうかは判別できない。 「うん。オレは不祥事には一切関与してない。それは胸張って言える。でも、今さらあの頃のグッズ使って推し活なんかしても……」 「じゃあ、アイドル時代以前に作られたおまえのアクスタはあるのか?」 「ないけど……」  最近は舞台作品のアクリルスタンドが販売される機会が増えたようだが、真白が活動していた時は、そんなものはなかった。 そもそも、主演でも副主演でもなく、出番の少ない子役だったので、グッズなど作ってもらえるような立場でもなかったのだ。 「だったら別にあれを使ってもいいだろ。誰かにアピールしたいわけじゃなくて、オレが個人的に撮りたい写真を撮ってるだけなんだから」  確かに正論だ。  最近の推し活というと、仲間内や推し本人に向けた『推し大好きアピール』のために写真を撮っている子も多いように感じるが、本来は、自分が好きな、応援したいキャラや人物に対して自由に愛を叫んだり応援することが目的の活動であったはずだ。 「でも……チカちゃんのキャラ的にどうなの……」  俳優としての佐渡千夏は、どちらかというとミステリアスで硬派で近寄りがたいイメージだ。間違ってもアイドルを応援しているようなキャラではない。 「オレが宮部真白という役者を尊敬していることは、今までにも何度かインタビューで語ったことがある。オレを昔から知ってるファンなら、驚くようなことでもないだろ」  千夏は、七つも年下の子役に対しても惜しみない賞賛を浴びせる誠実さを持っていた。  何度か共演したことがあるので、インタビューなどの際、話の流れで真白の話題が出たことがあるのは知っていた。 『尊敬する俳優は?』とか『いま一番注目している俳優は?』という質問で、宮部真白の名前を挙げていたこともある。  もちろん、それらが掲載されたすべての雑誌は大事に保管してあるし、WEB記事は印刷してファイリング済みだ。まだ整理が終わっていないどこかのダンボールの中に入っているはずである。 「でもほら、話題の作品への出演も控えている大事な時期だし、変な噂が立つような真似はやめた方が……」  身近な人間のスキャンダルに巻き込まれて十代の後半を台無しにされた真白はさすがに心配になってしまう。色惚けですませられる問題ではない。 「なんでだよ。別にいいだろ、アクスタと写真撮るくらい。オレにも推し活させてくれよ!」  それまで冷静そうに見えた千夏が突然叫び出した。  あ、やっぱり酔ってたんだな、と真白は理解する。 「まぁ、チカちゃんがそこまで言うなら好きにしてくれてもいいけど……」  あまりの必死さに、それ以上の反論が思い浮かばなかった。 「見てくれ。アクスタケース? っていうのも買ったんだ。いいだろ?」  カバンから、例のアクスタが出てきた。一見するとスケジュール帳のような茶色のバインダーに入っている。 「あ、うん……」  よく見たら、アクリルスタンドだけでなく、一緒に渡したブロマイドも入っている。  真白は、素直に喜ぶべきか、激しく悩むこととなった。 「ところで、今日はお風呂のお湯張ってないんだけど、どうする? 入れてこようか?」  明日になったら千夏も我に返っているはずだ。そう信じて、ひとまず今日は寝てもらうことにする。 「……いや、いい。シャワーだけで」 「そう? じゃあ、オレは先に寝てるね」  今日はなんだか疲れた。あくびをもらしてから寝室に向かおうとすると、ドアノブに手をかけたところで、背後からいきなり手首を掴まれる。 「すぐ行くから、待ってろ」  至近距離から脅すような口調で言われるのは、だいぶ心臓に悪かった。 「……うん」  ドキドキしながら頷くのと同時に、唇を塞がれる。  すぐに侵入してきた舌は熱くて、アルコールの匂いがした。  舌を絡めていたら、こっちまで酔いそうな気分になってくる。  しかし、そのまま抱きしめられて尻を撫で回された時には、さすがに慌てた。 「ちょ、ちょっと待って、チカちゃん、お風呂行くんじゃなかったの?」  軽く押しのけると、むすっとした視線が見下ろしてくる。 「今ので勃った」  身も蓋もない返事が返ってきた。 「はは……」  千夏がこんな即物的な誘い方をしてくるのは、珍しいことだった。 「それに、今日はまだ一度も抱いていない」  髪の中に指を差し込まれ、首筋に口づけられる。 『毎日抱きたいぐらいには好きだ』  先月、そう言われた時はあくまでも物の例えかと思っていたが、実際のところ、時間さえあればほぼ毎日抱かれていたんじゃないかというぐらいの頻度で抱き合っている。 「そろそろオレのカラダ、飽きない?」 「まさか。抱けば抱くほど溺れさせられてる」  今日の千夏はずいぶんと情熱的だ。  おまけに、アルコールのせいか、普段はストイックさの下に押し込められている色気がだだ漏れだ。  逞しい腕で肩に担がれて、真白は、逃げられなくなったことを知る。

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