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《第4話》宮部家の父と母②

 現在は宮部恭司(みやべきょうじ)が一人で暮らす一軒家は、都内の閑静な高級住宅街の一角にあった。  真白にとっては生まれた時から住んでいた家であるため、いつも通り普通に入ればいいだけのはずだが、今日は、門扉から家を見上げただけで、異様な緊張が全身に走る。  今、この家の中では、真白の父親と、佐渡千夏とそのマネージャーと、さらには千夏の事務所の顧問弁護士の四名が顔を揃えて話し合いが行われているはずだ。  例の、誓約書を書かせるためにそれぞれの都合を合わせた日が今日なのだ。  千夏は別件の仕事を終わらせたあと、マネージャーと弁護士を連れて先に到着している。  真白も同席したいと申し出て、本来なら最初から話し合いに参加する予定だったのだが、タイミングの悪いことに電車が遅延していて、真白だけ予定よりも四十分後れての到着になってしまった。  マネージャーと弁護士はこのあと別の予定があるというから、先に話を進めてもらうよう、千夏には連絡してある。  おそるおそるインターフォンを押すと、応答したのは家主ではなく千夏だった。 「真白か? 鍵持ってんだろ? そのまま入ってきていいぞ」  インターフォンにはカメラがついているから、室内のモニターで、来訪者の顔がすぐに確認できたらしく、いきなりそう言われる。  おそらく、自ら立ち上がるのを面倒がった父が、千夏にかわりに出るよう言ったのだろう。 「わかった」とだけ告げて、真白は門扉を開けてようやく中に入った。 「あっ、真白くん、久しぶり~」  リビングに入るなり、相変わらずマイペースそうな父が声をかけてきた。 「すみません、遅れて」  マネージャーの瀬尾と弁護士の高村に頭を下げると、「いえいえ、お気になさらず」と礼儀正しく対応される。  ローテーブルを間に挟んで、一人掛けのソファに父が座り、その向かい側のソファの真ん中に千夏が座っている。そして、千夏の左右を瀬尾と高村が固めているという構図だ。  三人掛けのソファの方は、全員高身長で体格がいいので、なかなかの圧迫感だ。  かつての自宅のリビングとは思えない、異様な光景である。 「話はもうひととおりすんでる。こちらが提示した内容で、恭司さんにはすべて了承いただいた。サインももらってる。書面、一応確認するか?」 「うん」  瀬尾が立ち上がって席を譲ってくれたので、入れ替わるかたちで千夏の隣に座る。  差し出された書面には、難しい単語が並んでいた。  意味はなんとなくわかるが、専門用語が多い上、文章が堅苦しすぎて、いまいち頭に入ってこない。 「えーと……要約すると、今後の芸能活動においては佐渡千夏が宮部真白の身元保証人となるので、監督責任及び契約内容の精査ついてはすべて佐渡千夏に一任される、ってことで合ってる?」 「そうだ」 「といっても、法的に親子としての立場が変わるということではありません。真白くんが未成年だったら話は別になりますが、真白くんはすでに成人されていて、親権によって親の監護と管理を受けなければいけないような立場ではありませんからね。あくまでも、なにかトラブルがあった時のための念書です」  頷く千夏の横で、弁護士の高村が補足した。 「親子関係は今まで通りってこと?」 「そうです。養子縁組とかそういう、戸籍に関わる話ではまったくありませんので。恭司さんが、真白くんを信じてあたたかく応援くださるのであれば、そもそもこの念書も不要となるのですが、芸能関係の仕事は信頼によって成り立っている部分も多いので、万が一の時のことを考えて、ということです」 「……先ほども申し上げたように、恭司さんを信用していないわけではありません。ただ、きちんと話し合った上で納得いただいているという証拠を残しておいていただけると我々も安心できる、というだけの話です」  千夏が父に向けて言った。  今日の千夏はスーツ姿だ。かっこいい。難しい話の内容も忘れて、ついぼーっと見惚れてしまいそうになる。 「わかってるよ。大丈夫。千夏くんは、真白くんが心配なだけなんだよね。僕もさー、邪魔しようだなんて考えてないから、こんな紙切れひとつで僕のこと信用してもらえるなら、ありがたいくらいだよ」  スーツ姿の堅苦しい男たちを前に、私服姿の父はのほほんと言い放った。 「真白くんのマネージャーには僕がつきますので、ご安心ください」  瀬尾が人の良さそうな笑顔で頭を下げる。  ひとまず、真白はすぐに仕事を詰めるような予定はないため、千夏のマネージャーが当面の間は兼任してくれるという話は真白も聞いていた。 「うんうん、よろしくね」  形式的な挨拶を交わすと、瀬尾と高村はそこで帰っていった。  宮部家のリビングには、真白と千夏と、そして父だけが残された。 「…………」  父とは不仲というわけではないので、今でも普通に話すことができる。千夏も仕事柄、昔から父とは面識がある。  しかし、千夏と恋人になってからこの三人で顔を突き合わせることになるのは、これがはじめてだ。  妙に気まずい。  どうしよう。いまこの人とお付き合いしてます、とか報告すべきなんだろうか。 「真白くん、すっかり元気そうになってて安心したよ。千夏くんが日本に戻ってきてくれたおかげだね」  沈黙を破ったのは父だった。 「……うん。チカちゃんが、ご飯とかいろいろ気を遣ってくれたから……」  真白が千夏と仲がいいことは昔から知っているはずだが、果たしてどこまで勘づいているのか。  父はいつものほほんとしているようで、食えない男みたいな一面もあり、腹の底までは読み取れない。 「引っ越しするなら、事前に連絡しといてくれたら僕も手伝ったのに」 「こっちも急に決まったことだから……びっくりさせたならごめん」  真白の荷物をこの家から運び出したあとに、父には連絡を入れた。  思えば、千夏と一緒に住むことについての報告も、ちゃんと面と向かってはしていない。電話で軽く伝えただけだ。  父は一息つくと、キッチンから飲み物を取ってきた。  千夏と父の分はコーヒーだが、真白に出されたのは、いちごオレだ。  小さい頃、いちごオレばかり飲んでいる時期があったのでそのせいなのだろうが、もしかして、まだ子供扱いされているのだろうか。 「真白くん、また芸能界に戻るんだね」  コーヒーを一口飲んでから、父が改めて切り出した。 「……うん。そういうことに、なるね」 「真白くんは紗英子(さえこ)ちゃんによく似て顔が綺麗だし歌も上手いもんね。そりゃあ、このまま一般人に戻るのはもったいないよね」  紗英子というのは、真白の母親の名前だ。 「……チカちゃんともう一度お芝居がしたいんだ。それだけ」  自分の顔がどうとか、才能があるとかはどうでもよかった。そのことが、父に上手く伝わるかはわからなかったけど。 「…………」  千夏は眉根を寄せたあと、片手で顔を覆いながら無言で顔を背けた。 「チカちゃん? どうしたの?」 「…………泣きそう」  低い声に抑揚はないが、感情を押し殺そうとしているのは静かに伝わってくる。 「えっ、いま!?」 「……おまえが急にそんなこと言い出すからだろ。ちょっとだけほっといてくれ。気持ちの整理をつけるから」  千夏は芝居でもないのに人前で泣くタイプではない。瞬発的に気持ちが昂ぶってしまったという感じだろう。 「あっはっはっはっは!」  二人のやり取りを眺めていた父が陽気に笑い出した。 「千夏くんは相変わらず、真白くんのお芝居が大好きなんだねぇ」 「…………はい」  深く息を吐いてから、千夏は顔を覆っていた掌を外す。整った顔は、すでに冷静さを取り戻していた。 「できることなら、恭司さん、あなたとも、いつか共演したいと思っていました」 「あはは、嬉しいねぇ。こんなおじさん相手にもそんなこと言ってもらえるなんて」 「お世辞じゃありません。……あなたは、日本を代表する俳優の一人だった。その飄々とした独特の語り口を真似できる俳優は、他にいません。あなたこそ、死ぬまで芝居の世界で生きるべき人だった。どうして……」 「ありがとう、千夏くん。でも、あれは僕の心の弱さが引き起こした結末だから、どうしようもないよ。それにね、今の生活は今の生活で楽しんでるんだ。未練はないよ」 「…………」  俳優をやめる人間なんて、珍しくもない。千夏だって今まで、たくさんの同業者が芝居の世界から去るのを目の当たりにしてきたはずだ。  やめられずにあがいている千夏からしたら、素直に受け止められないのもまた仕方ないが、たとえどんなに上手い役者だって、人それぞれの人生があるのだ。 「……真白に、芝居の世界に戻れと言ったのはオレです。責任持って面倒見るので、応援してもらえるとありがたいです」 「うん、もちろん応援してるよ。真白くんは、ステージに立ってる時が一番綺麗だもんね」 「……はい!」  なんだこれ。恥ずかしい。  真剣なやり取りを横で聞きながら、真白は、どう口を挟むべきか悩んで、結局黙り込んでいた。 「ところで千夏くん、あの台詞はそろそろ聞かせてもらえないのかな?」 「あの台詞……?」 「こういう時はほら……『息子さんをください!』っていうのが定番じゃない?」  にこにこしながら、父は事もなげに言い放った。 「お父さん! なに言ってんの!? 結婚の挨拶にきたわけじゃないから!」  たまらずに真白が叫んだ。 「えっ、結婚しないの!?」 「しないよ!」 「式は?」 「挙げないから!」  親子の怒涛のやり取りに、千夏は唖然として固まってしまっている。 「なんだぁ~、結婚費用にしてもらおうかと思ってこれ渡すつもりだったのに。……ま、でもいいか。これ使って、二人で劇団でも立ち上げたら?」  ソファのそばの棚の上にあったケースから父はなにかを取り出すと、ぽんと真白に手渡してきた。  銀行の預金通帳とキャッシュカードだ。表面には、真白の名前が刻印されている。 「なにこれ」 「真白くんが子役時代に稼いだお金だよ」  通帳をケースから取り出して、中のページを開く。  ゼロの数が多くて、思わず指をさして数えてしまった。  横から覗き込んできた千夏もぎょっとしていた。  大人でも簡単には貯められなさそうな額の預金残高が、最後のページに印刷されていたのである。 「は!? えっ! なにこれ!」 「紗英子ちゃんが、一銭も使わずに貯金しておいて、真白くんが大人になってから渡せ、っていうから、ちゃんと約束守って取っておいたんだよ。……実は、今の僕の店を始める時にちょっと借りたけど、ちゃんと利子つけて返しておいたから、紗英子ちゃんには内緒にしといて」  てへへ、と父は笑っているが、真白は冗談で返すどころではない。 「……オレ、こんなに稼いでたんだ……」  子役時代はギャラとか気にしたことがなかったから、全然知らなかった。 「劇団……?」  千夏は、預金残高よりも父の言葉の方が引っかかったらしい。真意を窺うような視線が父に向けられる。 「きみたち、昔からよく、同じ劇団の劇団員? みたいなこと、共演者とかスタッフに聞かれてたじゃない」 「あー」  確かにそんなこと、何度か言われた気がする。 「真白くんがいつもニコニコしながら楽しそうに千夏くんと話してたからなんだろうけど……なんだろうね。ただ仲がいいだけじゃなくて、身内ノリっていうか、同じ釜の飯を食ってる同志みたいな雰囲気があったからかな」  子供のくせに生意気にも、演劇論を語り合ったり、お互いの演技についてのアドバイスをしていたからだと思う。  もちろん、そんなことができた相手は千夏だけだ。 「あ、二人だけなら、劇団っていうより演劇ユニットみたいな形式の方がいいかな? ひとまずこのお金で劇場を借りて、二人芝居でもやったら?」 「二人芝居……」  父の言葉を反芻する千夏は呆然としているようにも見えるが、瞳には光が宿っている。 「でもこれ、もともとは結婚費用としてオレに渡す予定だったものなんだよね?」  おもしろい提案だが、真白はすぐに話に乗る気にはなれなかった。 「結婚、しないんでしょ?」 「しないけど」 「するかもしれない可能性あるの?」 「ない、はずだけど……」  チラリと千夏の顔色を窺う。  千夏はいつの間にか顔を引き締め直して、真面目な表情に戻っていた。 「申し訳ありませんが、オレと真白くんの関係について、すべてをお話することはできません。本来ならば、親御さんにだけはきちんと挨拶するべきであることは承知しています。しかし……オレは一生、こいつと芝居を続けていきたいので、あくまでも同志、あるいは盟友のようなものとしてご認識いただければ幸いです」  深々と頭を下げられた父は、まったく気にしないという風に呑気に笑っていた。 「あはは、そうだよねー。僕は口が堅い方じゃないから、酔った拍子にでも誰かに『息子の彼氏がねー』とか喋っちゃったら大変なことになるもんね。わかってるよ、大丈夫。でも、きみたちの仲がいいのは誰の目にもわかることだと思うから、なおさら、建前上の肩書きがあった方が安心なんじゃないの?」 「なるほど、それで演劇ユニット……」 「……結婚式のかわりに二人芝居?」  父と千夏の語る理屈はわかる。しかし冷静に考えると、真白は目眩がしてきた。  おかしい。絶対におかしい。  別にそんな、自分たちの関係を世間に祝福してほしいとか思ってないし、祝福してもらえるとも思ってないけど、絶対、結婚式と二人芝居が等価のものとして語られるのはおかしい。 「……真白」  千夏のまっすぐな眼差しがこちらに向けられてきた。かっこいい。でも、今はときめいている場合じゃない。 「どうする? オレたちのユニット名」 「待ってまって、チカちゃん! 気が早すぎ! あと、子供の名前どうする、みたいなノリで聞かないで。頼むから」 「真白、演出をお願いしてもいいか? 脚本はオレがどうにかするから……」 「いや、ほんとに待って」  どうしよう。千夏は完全のその気だ。こうなると誰にも止められないことを、真白はよく知っている。 「あっはっはっは!」  元凶である父は、他人事だと思って、愉快そうに声をあげている。 「きみたち見てると、なんか僕までお芝居やりたくなってくるよ」  でもその言葉は、わりと本気だろう。  そういえばこの人は、真白が生まれた頃にはもう映像作品にしか出演していなかったが、もともとは劇団出身の俳優だった。 「結婚式を題材に二人芝居をやればいいんじゃないのか?」 「…………」  そういうことじゃない。  だいたい、男二人でどうやってそれを演じるんだ。それこそ、妙な注目の浴び方をしてしまうんじゃないの? とか言いたいことは山ほどあったが、どの道、やるにしてもだいぶ先の話になるだろうから、いま議論しても仕方ないと真白は諦めることにした。 「チカちゃんが、最高にメロいラブストーリーの脚本でも書いてくれたら考えてあげるよ」

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