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《第4話》宮部家の父と母③

 真白くんが好きなケーキを買っておいたんだ、と父が言い出すのでのんびりお茶をしていたら、ケーキの次に出てきたのは、お寿司とオードブルだった。 「久々に夕飯一緒に食べようと思って買っておいたんだよ。ちょっと買いすぎちゃったかな」  父は照れくさそう言った。  ちょっとどころではない。五人前ぐらいありそうな量だ。  そうだ、この人は昔から、たまにやりすぎるところのある人だった。  ケーキを食べたらさっさと帰るつもりだった真白と千夏は顔を見合わせる。  さすがにこの量の食べ物を一人暮らしの男の家に残して帰るわけにもいかなかったので、結局夜まで家に残ることになってしまった。 「真白くん、ワイン飲める? もらいものなんだけど、いいやつがあるんだよね」 「えー、ワインかぁ」  小さい頃は、気が向いた時にだけやたらと絡んでくる父親だったが、思えば両親が離婚して以降はどこかよそよそしくて、ゆっくり話す機会もなかったので、こうしてだらだらした時間を共有するのは何年ぶりだろう。 「そういえば紗英子ちゃんから聞いたけど、千夏くん、ニューヨークで紗英子ちゃんと会ったんだってね」  寿司をなんとか食べ尽くしたあと、のんびりと酒のつまみがわりにオードブルの総菜をつまんでいると、父が思い出したように言い出した。 「ああ……はい。オフブロードウェイの舞台に出演中の時だったんですけど、カーテンコールで客席見たら紗英子さんが客席にいて、目を疑いました」 「えっ、なにその話、オレ聞いてないんだけど」  真白はすかさず口を挟む。 「言ってなかったか?」 「初耳だよ!」 「旅行でニューヨークに来た時に、どっかで配ってた公演のチラシでたまたまオレの名前を見つけて、観に来てくれたらしい」 「なにそれ、ずるい! オレもチカちゃんがオフブロードウェイの舞台に立ってるとこ観たかった!」 「へー。声かけてたら、わざわざニューヨークまで観に来てくれてたかもしれないってことか?」 「そりゃあ行ってたよ!」 「当時、オレからの連絡をガン無視してたのはおまえの方だけどな」 「ぐ……っ」  その通りなので、反論できなかった。  悔しさのあまり、真白はグラスに残っていたワインを一気飲みする。 「終演後に紗英子ちゃんと二人でご飯食べたんだって? いいなー。僕も紗英子ちゃんとご飯食べたいなー」  親子それぞれに身勝手な嫉妬の感情をぶつけられた千夏は複雑そうな面持ちになる。 「ねぇねぇ、お母さんとなんの話したの?」 「あー……なんでロンドンじゃなくてニューヨークに留学したの? とか聞かれたよ」 「ウエストエンドの芝居の方が、日本人の役者には向いてるからって話?」  ニューヨークのブロードウェイとロンドンのウエストエンドは『ミュージカルの本場』としていずれも世界的に有名だ。  しかしその性質は、同じトップクラスでも全く異なる。 「そう……『あなたは今まで日本でたくさんの西洋人の役を演じてきたけど、ブロードウェイではそれはできない。ここでアジア人が演じることが許されるのはアジア人の役だけ。どんなに努力しようと、人種の壁は越えられない』とか、けっこうシビアな話されたよ」 「うわ……」 「あと、ブロードウェイでは、表現力以前に、英語力がないと話にならないとかなー」  千夏が渋い表情をしているということは、けっこう真剣で厳しい話をされたのだろう。  ロンドンの場合だと、逆に言語よりも表現力を重視されて観られていると聞く。  日本の人気作が日本語のままロンドンでも上演されることが珍しくないのはそのおかげだ。  確かに、千夏に向いているのはロンドン演劇の方だろう。 「紗英子ちゃんは若い頃、ブロードウェイに挑戦してうまくいかなくて、食いつなぐためにジャズ歌手やってたらそっちの方が評価されて、日本でも有名になった子なんだよねー。だから紗英子ちゃんは、ブロードウェイミュージカルに対して複雑な感情を抱いてるんだ」  父が苦笑しながら言った。 「そうだったんだ……」  母がミュージカルに対して特別な思い入れがあったことは知っているが、その話は、真白も聞いたことがない。 「それで千夏くんは、紗英子ちゃんの『なぜニューヨークを選んだのか』って問いかけに対して、なんて答えたの?」  静かに問いかける父は、いつの間にか、役者の顔をしていた。 「ごまかしのきかないショービジネスの世界で生き残る方法を学びたかったからです」  見つめ返す千夏の表情もまた、役者としてのそれだった。 「わぁ」  真白は思わず声をあげた。 「あはは、千夏くんはカッコいいねぇ」 「そうだよ、チカちゃんはめちゃくちゃカッコいいんだよ」 「ちょ、やめてください」  元名俳優とその才能を受け継いだ息子からの熱い眼差しを同時に受け、千夏は珍しくわかりやすく照れている。  酒を飲みながらいろいろな話を雑多に繰り広げていたら、時刻はあっという間に夜の九時を回っていた。  会話が途切れたタイミングで父がすかさず酒を勧めてくるものだから、ついうっかり飲み過ぎた上に帰るタイミングを逃している間に、だんだん頭がふわふわしてきた。 「チカちゃん、だっこして~」  すっかり酔っ払った真白は、父の前であることもおかまいなしに、千夏の膝の上に乗り上げていた。 「こら、真白」  千夏もけっこうな量を飲まされているはずだが、場所が場所だからか、今日はまだ酔っている気配はなく、すぐさま膝から下ろされそうになる。 「あ、いいよいいよ。抱っこしてあげて。親にすら『だっこして』なんて一言も言ったことのない真白くんがそんなふうに甘えるのは、貴重なことだよ」  おそらく真白と同じくらい酔っ払っている様子の父もふわふわした口調で言い出した。 「…………」  実の父親にそんなふうに言われて断れるはずもなく、千夏はそのまま膝に乗せてくれた。  ここ最近、酔っていない時でも千夏に『だっこして』とたびたびねだっていることは、千夏は黙っていてくれるつもりらしい。 「真白くんはさぁ、小さい頃から本当に手のかからないいい子で、わがままも言わないし甘えたりしないし泣いたりもしない利口な子だったから僕なんかは助かってたけど、きみの前でだけは昔から素直に甘える子だったんだよね。……ほら、いつだっけ? 急に泣き出しちゃった真白くんを、きみがそうやって抱きしめてたことあったよね」 「ああ……真白が十二か十三ぐらいの頃ですかね。テレビ局にいる時に地震がきて、セットが倒れてきたことがあったんですよね?」  千夏の肩に頭を預けてうとうとしながら、真白はその時のことを思い出していた。  確か、親子特集かなにかで、父と一緒にバラエティ番組に出演した時だったと思う。  真白の顔の真横に、ライトが落ちてきたのだ。  怪我はなかったけど、ものすごくビックリした。  父と、スタッフの前では全然平気な顔をして真白は笑っていたから、すぐにみんなはやれやれと安堵した雰囲気になっていた。  撮影はいったん中断になって、待機している間に、別の撮影でテレビ局にきていた千夏が噂を聞きつけてやってきたのだ。 『怪我してないか、真白』  そう言いながら現れた千夏は、本当に王子様みたいにカッコよかった。  顔を見れただけでも嬉しくて、ついテンションが上がって、『チカちゃん、聞いて~』といつもの軽いノリで事の顛末を話し出した。  話している間に、急に『怖かった』という感情がこみ上げてきて、気づいたら頬が濡れていた。  多分、まわりの大人たちに迷惑をかけてはいけないと押し込めていた感情が、不意に溢れ出してきてしまったのだと思う。  千夏は戸惑った様子だったが、他に慰める方法が思いつかなかったのか、すぐに抱きしめて、真白が落ち着くまで頭を撫でてくれていた。 「あれ見てさぁ、きみと真白くんとの間には家族以上の信頼関係があるんだな、と思ったよ。親としては少し妬けるけどね」 「……真白はただ、お父さんとお母さんに迷惑をかけたくなかっただけだと思いますよ」 「確かに、僕も紗英子ちゃんも、人の親には向いてないタイプだったからね。多分、当時の僕らが真白くんに甘えられてたら、扱いに困ったかも」  苦笑しながら言う父の言葉は偽りのない本音だろう。  愛情はあっても、世間一般でいう普通の親のようには振る舞えない、不器用な人たちだったのだ。 「でもさぁ……僕も年かなー。最近、たまに昔のこと思い出すと、『もっといっぱい甘やかしてわがまま聞いてあげればよかったな』って後悔しちゃうんだよねぇ」 「大丈夫ですよ。お父さんの気持ちはちゃんと伝わってると思うので。……それに、オレがこれからいっぱい甘やかしてやるんで、気になさらないでください」  もしかして、二人とも、真白が寝ていると思っているからこんな話を本人の前で遠慮なくしているのだろうか。  うとうとしながら話を聞いていた真白は、千夏の首に腕を回して、ぎゅうぎゅうと抱きつく。  起きていることに気づいた千夏が「おい」と言ってきた。  父は「あはは」と笑っている。 「千夏くん、ニューヨークにいる時もずっと真白くんのこと心配してくれてたんだって? 紗英子ちゃんから聞いたよ」 「……そりゃあ心配ですよ」 「実はさ、紗英子ちゃんとはずっと連絡取ってなかったんだけど、急に電話がかかってきたかと思ったら、『千夏くんが真白ちゃんのことをすごい心配してたけど、あなた、ちゃんと真白ちゃんと連絡取ってる? あの子が今なにしてるかわかる?』って聞かれたんだよね。それで慌てて真白くんに電話かけたら『住み込みの仕事がダメになっちゃって、いまネカフェで生活してる』っていうからビックリしたよ」  ビジネス愛人をやっていたことを父に言えなくて、『住み込みの仕事』と説明していたのを思い出した。 「そっか……お父さんから電話くれるの珍しいと思ってたけど、あれ、チカちゃんがお母さんにオレのこと聞いてくれたからなんだね……」 「ネカフェっておまえ……」  愛人として囲われていたマンションから逃げたあと、一時期、ネカフェで生活したことまでは千夏に話していない。 ギロリと睨まれた。 「お父さんに『実家に戻っておいで』って言われるのがあと一日遅かったら、オレ、ストリップバーに働きに行ってるところだったよ……」  酔った勢いで、つい、さらなる秘密まで暴露してしまう。 「は?」 「ネカフェでよく顔会わせてた人に、ダンスやったことあるって話したら、スカウトされてさぁ……面接行く予定だったの」  ついさっきまでへらへらと笑っていた父も、真白の言葉に、さすがに真顔になった。 「千夏くん……僕が言えた立場でもないけど、その子が道を踏み外さないように、ちゃんと見ててあげてくれる?」  プライベートの宮部恭司にしては珍しい、マジなトーンの声だ。 「もちろんです」  千夏もドン引きしている気配が伝わってきたが、しっかりと頷いて、包み込むように強く抱きしめてくる。

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