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《第4話》宮部家の父と母④

「もう遅いし、今日は泊まっていきなよ」 「いえ、まだ電車は動いてるので……」 「その状態の真白くんを連れて帰るのは大変でしょ。ここからだと距離があるから、タクシーで帰るにしても、高い料金かかりそうだし。真白くんのベッド、そのままにしてあるからさ、今日はそこで寝なよ。あー……でも、二人じゃ狭いかな? 予備の布団用意する?」  途中、記憶が抜けている気がするが、気がついたら父と千夏がそんな話をしているのが聞こえてきた。 「だいじょうぶだよ。チカちゃんとオレはいつもくっついて寝てるから」  ふにゃふにゃする口調で言い放った真白は、ソファから立ち上がった千夏を追いかけるように服の裾を引っ張る。  ソファで丸くなって横になっていた真白の体を、千夏が抱き上げてきた。  神妙な面持ちをしている千夏に対し、父はにこにことしている。 「あ、コンドームいる? 未開封のやつあるよ」 「……いりません」  息子の彼氏に、コンドームを差しだそうとする父親ってどうなんだ。やはり、宮部恭司の感性はどこかずれている。  千夏は渋い表情で即座に断った。 「お風呂も入りなよ。二人で一緒に入る?」 「はいる~」  今度は千夏が断る前に真白が返事をした。 「おい、真白……」 「真白くん、酔っ払ってるから一人じゃ危ないよ。千夏くん、一緒に入ってあげて」 「……はい」  しぶしぶ頷きながらも、千夏は思い直したように再び父に視線を投げかける。 「……心配じゃないんですか? 大事な息子さんが、男と、なんて……」 「ああ……」  着替えの服を探しに行こうとしていたらしい父は振り返ると、朗らかに口元を緩めた。 「心配なんかしてないよ。千夏くんが僕たちよりも真白くんのことを大事にしてくれていることは、昔からずっとわかってたからね」 「はー……実家のお風呂、ひさしぶり~」 「すごいなこれ、ヒノキ……?」 「そうそう、お母さんがこだわってヒノキ風呂にしたらしいんだよねー。メンテナンスが大変だから、お母さんが出て行っちゃってからは、隣のシャワーブースで体洗うだけですませることが多くて、たまにしかお湯張ってないけど」  実家にはたいして思い入れがない真白だが、このヒノキ風呂だけは気に入っていた。  千夏と一緒に入れる日がくるなんて思ってなかったので、不思議な感じだ。  浴槽の中でのんびりと千夏に背を預けながらヒノキ特有の匂いを堪能していた真白だが、千夏がさっきから口数が少ないのが気になった。  なにか考え込んでいる顔だ。最近はいつも一緒にいるのでわかるようになってきた。 「チカちゃん、なんかオレに言いたいことあるー?」  促すと、やや間を置いてから千夏は口を開いた。 「おまえ、さ……親にはあんまり甘えたりしてなかったんだな……」  だいぶ言いづらそうな様子だ。  なんだその話か、と真白は笑う。 「まぁそうだねー」 「だっこして、ぐらいは普通に言ってるのかと思ってた」 「親からだっこしてくれた時は普通に喜んでたよ? でも、オレから求めるのはなんか違うかなーって」  いつだったか、街で見知らぬ子が、親にだっこしてとせがんで怒られているのを見たことがある。  隣にいた母が同じくそれを見ていて、『真白ちゃんはあんなふうにわがまま言わないからとっても助かるわ。いい子ね』と頭を撫でてくれた。  母と父の前では、手のかからない、いい子でいたかった。だから我慢してた。それだけだ。 「なんで、オレにだけは甘えてきたんだよ。オレはそんなに優しいやつじゃなかっただろ」 「チカちゃんはいつも優しいよ」 「昔は、冷たく突き放すことも多かったはずだ」 「そうだねー」  なんでだろう、と考えて、すぐに答えが見つかって、真白はまたくすくす笑った。 「オレはチカちゃんの一番情けない姿を知ってるから、チカちゃんになら、自分の弱みを見せてもいいかな、ってなんか気を許しちゃってたのかも」 「…………」 「あと、チカちゃんは、オレが困ってる時になにも言わない方が怒るじゃん。『オレに言え』って、いつも言ってくれてたよね」  ぶっきらぼうだし、見かけは怖かったけど、情の深さは伝わってきた。  言ったら怒られるかもしれないけど、チカちゃんになら怒られてもいいや、と思えたのだ。  本気で考えてくれているからこそ怒る人だということを、わかっていたから。  何気なく体に添えられていただけの手が、不意にぎゅっと真白の肩を抱きしめてきた。 「……もっと、大事にしてやればよかった。ずっとそばにいてやればよかった。最初からオレのものにしておけば……」  うなじのあたりに千夏の前髪が当たって、少しくすぐったい。  おそらく千夏は、さっき真白の父に言われた言葉を気にしているのだろうと気づいた。千夏は真面目だから。  振り返ると、男前の顔が、らしくもなく泣きそうになっている。 「チカちゃん、そんな顔しないで。もうじゅうぶんだよ。オレは最初からチカちゃんのものだったから……」  体を反転させて、千夏の首に腕を回す。  間違えたことをしたこともあったけど、この心はずっと、千夏のものだった。それだけが、崩れそうになっていた自分を支えてくれていた。 「いつもオレのことを気にかけてくれてありがとう。大好きだよ」  満面の笑みで伝えると、苦しげに歪んでいた顔に、ふっと笑みが浮かぶ。  引き寄せられて、唇が重なった。  やわらかな口づけをゆっくりと繰り返す。  それだけで心が満たされる感じがした。  穏やかな睦み合いの時間は長く続いたが、次第に、ねっとりとした口づけに変わっていく。  舌を絡めて、ビクリと腰が震えたところで、顔を離された。 「……今日はこのへんでおしまい、な」 「なんで?」 「勃ちそうだから、もう離れろ」 「オレはもう勃ってるけど」  さすがにこの密着度で気づいていないわけがないはずだ。 「……もう上がるぞ」 「えー」  不満そうな声を上げながらも、手を引かれてしぶしぶ立ち上がる。 「こ、これ、お母さんのやつじゃん! どういうこと!?」  風呂に入る前に父が渡してきたパジャマは、千夏用の分は普通の男性用のパジャマだったが、真白用にと渡された方は、女性用の白いネグリジェだった。  広げてみるまで気づかなかった真白はぎょっとする。  西洋のお嬢様が着たら似合いそうな、レースをふんだんにあしらったワンピースタイプの、めちゃくちゃ可愛いやつだ。  両方とも未使用品で、昔、芸能関係の仕事でもらったものだと父は説明していたが、真白の分に関しては『ちょうどいいサイズのがこれしかなかったよ、ごめんね』と言っていたのを思い出す。  確かに、父の体格は千夏寄りの高身長なので、サイズ的には母の残していったものの方が真白は合うだろうが……他にもなにかあっただろう。  実家から衣類をすべて引き上げた弊害がこんなところで起ころうとは、予想だにしかなった。  他に着替えがなかったので、真白はしぶしぶ、いったんそれを着てみることにする。 「……めちゃくちゃ似合ってるぞ」  じっと見つめてくる千夏の眼差しは、珍しく、露骨に熱っぽい。  顔が赤いように見えるのは、酒のせいだろうか。父の前では酔ってないように振る舞っていたが、実はやっぱり酔っ払っていたのかもしれない。  真白の方はびっくりしすぎて、逆に酔いがさめてきた。 「……かわいい?」 「かわいい」  即答だった。  父に文句を言って、ぶかぶかでもいいから男物を用意してもらうよう要求するつもりだったが、気が変わった。  真白は少々あざといぐらいに、あどけない少女のような無垢な笑みを見せると、ひらひらのフリルの裾を掴んで、そっと持ち上げる。 「このまま抱いてもいいよ」  完璧な誘惑だったが、今日の千夏には通用しなかった。  すぐさま手を掴まれて、太腿の半ばまで露出しかけていた脚を隠される。 「このパジャマ、持って帰ってもいいって言われてたよな? 家に帰ったあとにしよう」  酒を飲んでいるとは思えない、鋼のような理性の強さだった。 「えーっ!」  風呂場であげた不満の声よりもさらに強い不満をあらわにしたが、肩を抱かれて、脱衣所から連れ出される。  二階に上がったところでたまたま遭遇した父が、真白の姿を見て「さ、紗英子ちゃん……」と呟いて両手で顔を覆っていたのは、見なかったことにした。

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