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《第4話》宮部家の父と母⑥

 いつもは静かな宮部家の朝だが、今朝は、キッチンから陽気な歌声が軽やかに響き渡っていた。  高く透き通る声に、低音の声が重なると、不思議なくらい、メロディに深みが増す。  しかしその歌詞は、よく聞いていると、サンドウィッチの材料やレシピを示す内容であった。 「チカちゃん、卵こんな感じでどう?」 「おー、ちょっと大きいけど、それぐらいの方が食べ応えあっていいかもな」  不意に歌がやんで、普通に会話に切り替わる。 「……なにやってんの、きみたち」  そのタイミングで、パジャマ姿のままキッチンを覗きにきた宮部恭司は、ようやく息子とその相方に声をかけた。 「あっ、お父さん! おはよー」 「すみません、キッチンお借りしてます」 「サンドウィッチ作ってるんだよー。チカちゃんが、昨日泊めてもらったお礼に朝食作りたいっていうから」  真白と千夏はすでに寝間着から昨日の服に着替えている。千夏はワイシャツ姿で、腕まくりをした格好でハムを切っていた。 「それはとってもありがたい話だけど、なんで家でミュージカルしながら朝食作ってるの……?」  二人がさっき歌っていたのは、有名なミュージカル曲の替え歌だった。恭司もその曲には聞き覚えがあったが、本来の歌詞とは全然違う。 「なんかノリで歌い始めたら、チカちゃんが即興で合わせてきてくれて……」 「こいつと歌うの楽しすぎて、つい本気出しちゃいました。……朝からうるさくてすみません」  即興というだけあって歌詞は幼稚なものだったが、千夏は現役のミュージカル俳優だし、真白も元々はプロだ。  舞台でそのまま歌っても拍手をもらえそうなくらいの見事な歌声とハモりだった。 「きみたち、いつもそんな感じで、家でミュージカルごっこしてるの?」 「まぁ、たまに……?」 「わりとしょっちゅう……?」 「気がついたらいつのまにかやってる、みたいな……?」 「あっはっはっは!」  恭司はとうとう笑い出した。 「きみたちは一緒にいると、いつも楽しそうでいいね」  言いながら、出て行ってしまった妻も、昔はよく歌いながら料理をしたり洗濯物を干していたことを思い出した。 「紗英子ちゃんの歌声が聞きたいなぁ……」  つい、息子の前で言うべきではない本音がこぼれる。 「えー、じゃあシンガポール行ってみればー?」 「そうですね、紗英子さん、今もバーとかでよく歌ってるみたいですし」 「チカちゃん、シンガポールギャングに扮してステージからお母さんを攫ってきなよ」 「いや、オレがやるとシャレにならないことになるから、やめといた方がいいだろ」  そうか。会いにいけばいいのか。  昔には戻れなくても、会いにいって謝罪するぐらいなら許されるかもしれない、と思うと、ずっと心の奥底に沈んでいた重しが、少しだけ軽くなった気がした。  恭司はいつも通りの、にこにことしたマイペースそうな笑みを浮かべた。 「千夏くん、悪いけど、コーヒー淹れてくれるかな? そこの棚に入ってるドリップのやつでいいから」 「はい」 「チカちゃーん、この卵、もうパンに乗せちゃって大丈夫?」 「まだ調味料まぜてないだろ、それ」 「あ、そうだった」 「こっちのハムサンドの方を先に仕上げるから、とりあえず真白は、パンにバターとマヨネーズを塗っておいてくれ」 「はーい」  ダイニングテーブルのイスの腰掛けた恭司は、すぐそばのキッチンカウンターの向こうで、にぎやかに朝食が用意されていくのを眺める。  数ヶ月前まで、痩せ細った体で一日中無気力に座り込み、虚ろな瞳で舞台の配信映像ばかり眺めていた息子は、今はすっかり健康的な体を取り戻し、表情も明るく、元気そうだ。  桜が散る頃、家を出て行く、と唐突に連絡がきた時は最初は心配したが、『チカちゃんのところにいる』というので、それならば問題ないか、とあまり詮索せずに好きにさせておくことにした。  親としては間違いだらけの人生だったが、あの選択は間違いではなかったとわかって、ほっとする。 「なんだか、息子が一人増えたみたいで嬉しいなぁ」  独り言のつもりだったが、キッチンにまで声が届いてしまったらしい。  コーヒーカップを持ってきた千夏が、にこりと口角を上げる。 「じゃあ今度、三人で芝居やりましょう。プライベートでいいんで。朗読劇とかどうですか」 「また芝居の話……」  呆れまじりの声で真白が呟くのが聞こえてきて、恭司はまた笑ってしまった。    第4話・END

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