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5 ローマの雪(3)
「今度、ゆっくり絵を見に来てもよろしくて?」
「いつでもどうぞ。あなた方のために描いているのですから」
嬉しそうに顔を綻ばせたタチアナは、それでも顔を正面に向けると、突然、歩みを止めた。太陽が雲に隠れるように、その表情が突如として曇る。
何事かとアンドレアがその視線の先を目で追うと、エドアルドがズボンに両手を突っ込んだ鷹揚な姿勢で、足早にこちらへ向かってくるのが見えた。
なかなか男前な風貌のうえに上背もそうとうあるから、かなり見栄えのする男なのだが、その分険しい顔には他を圧倒する凄みがある。今もまた、こちらに気づいて咄嗟にこわばった彼の表情に、タチアナは怯えたようだった。
エドアルドは来るなりタチアナを睥睨し、低い声で尋ねた。
「きみがなぜ、ここにいる」
ここにきてはならないはずだという非難が充分に含まれた棘のある響きに、アンドレアは驚く。
「セルジュが教会のネイティビティを見たいと言うので、連れてきたの。でも、ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって。ずいぶんと探したのよ。そうしたら、聖堂の中に入り込んでしまっていて…。そこで、サンティ様にお会いしたの」
タチアナは毅然と答えたが、その声は震えていて痛々しかった。
エドアルドの冷徹な視線が今度はアンドレアにつきささる。
アンドレアは真っ直ぐにその視線を受け止めた。多少、エドアルドの目には挑発的に映ったかもしれない。
しかし不愉快だったのだ。エドアルドは妻へ冷淡に当たるだけでなく、自身の子供であるセルジュを完全に無視している。まるでそこに存在していないかのようにその態度は徹底していた。セルジュはセルジュで目を見開き、まるで見知らぬ男を見上げるような怯えたまなざしを向けている。
「セルジュを連れて部屋へ戻れ、タチアナ。今すぐにだ」
エドアルドが吼えるように命令する。
タチアナはおののいて後退った。
セルジュの手を引いて、城へと早足に戻る。その慌てる足元にドレスの裾が縺れるのすら、アンドレアの目には気の毒に映った。
エドアルドへの様々な反感が渦巻いて彼に視線を向けられない。そんなアンドレアに、エドアルドが冷笑を投げかける。
「何か言いたげだな、絵描きの天使」
言いたいこと、聞きたいことはたくさんある。しかしこれは夫婦間の問題であって、自分とは関係がない。
(他人が口を挟む筋合いじゃない――――)
さすがに、それくらいの常識はわきまえているつもりだった。黙りこむアンドレアに、エドアルドが声を落とす。
「タチアナは四年前、ジブリオ家のために跡継ぎを作れといって押しつけられた妻だ。互いに愛しあってなどいない。子作りのためにだけセックスした仲だから、セルジュができた今はもう、赤の他人みたいな感覚だ。城の中での居住空間もありがたいことに違っていてね。城でも、宝石でも、欲しいものは何でも買えと言いつけているのだが、あの通りなかなかつましい性格なのだ。単に、俺への当てつけかも知らんが」
突然の独白の内容は、タチアナに対してあまりに失礼であり、アンドレアは内心で怒りを覚えた。
確かにタチアナは服装こそハイブランドで整えられているものの、宝石類といった装飾品は一つも身に着けていなかった。結婚指輪ですら外されていた。けれど何も、それを当てつけと意地悪くとる必要はないだろう。エドアルドだって結婚指輪は付けていないのだ。
「なぜ、そんなことを僕に話すんです?」
あえて棘のある声で返すと、エドアルドがにやりと笑う。
不実な己を嘲笑するかのような、不遜な笑い方だった。
不意に掌でアンドレアの顎を掴んだかと思うと、細めた目で覗き込む。
「なぜだろうな。もしかしたらきみのこの、射抜くような美しい瞳にまいっているからかもしれない」
アンドレアは顎を引いて、彼の手のひらから外した。
「ばかばかしい。あなたのこの手の冗談はうんざりです」
視界に入った乾いた地面のカサつきがそのままエドアルドの心情に見える。
その上にセルジュの姿が重なる。
セルジュは自分達と同じように不幸な子供だ。今もその心痛から逃れられないほどに、自分達もまた不幸な子供だった。この男もあの女と同じように、不幸な子を作りだしているのだ。
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