36 / 42
7 クリスマスの悲報(1)
ここのクリスマスは温かだというエドアルドの言葉の意味がどういうものなのか、実際にアドヴェントを過ごしてみてアンドレアにも分かってきた。
ミラノに比べて気候的にもそうであるが、むしろ人々のお祝いムードがアットホームで、素朴で、和やかなのだ。
城内や修道院のクリスマスは落ち着いたものであったし、当日のミサは荘厳な雰囲気で行われた。ミサの後には城の料理人が作ったご馳走とケーキがふるまわれ、ビュッフェ形式の晩餐会が修道院の食堂で盛大に開かれた。
アンドレアも顔を出した。トニー・プローディーも出席しており、修道士達と楽しそうに談笑を交わしている。
タチアナとセルジュの姿は見られなかった。彼女は人目を憚るような暮らしをさせられている。せめて母子では穏やかで幸せなクリスマスを迎えていてほしいと願う。
聖堂にこもりきりで仕事を進めているアンドレアにも、この町での知り合いはこれといっていなかった。パーティーでも親しく話せるような相手はいない。そんなアンドレアに話しかけてくれるのは宗教画に詳しい修道士たちであった。
普段は物静かに「清貧・禁欲・従順」を掲げて感情をほとんど顔に出さない修道士も、このときばかりはアンドレアを前にして宗教画に対する自論を熱くぶつけてきた。それが嬉しかった。
アンドレアにシャンパンを差し出しながら比較的若い一人が熱心に話しかける。
「ルネサンスは素晴らしいですね。よくもまあ、暗黒のあの中世から、ああも見事に復活を遂げられたものです。あれらの美しい絵画を見て、いったいどれほど多くの人々が信仰を深められたでしょうか? ――――リッピ、ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、ムリーリョ、カラヴァッジョ……彼らがイタリア人なのは、我々の誇りです。むろん、あなたもです、サンティ殿」
急に向けられた賛辞に戸惑いながら、アンドレアはなんとなく微笑を返す。
不思議な気持ちになった。
中世の時代、芸術はもとより科学においても、人間の可能性と本能的な感性を否定して人心を惹きつけるものを悪魔の業とみなして、迫害してきたのは他でもなくカトリック教会であった。だというのに、神中心から人間中心への変化をなし遂げたルネサンスを、今ではカトリック修道士が賛美している。この矛盾を彼らは自覚しているのだろうか。
「口を慎め。まかり間違っても、そんなことを考えるべきではない」
ところが不意に、白髪まじりの壮年の神父が背後から来て声をかける。
「たとえ心で思ったとしても口にするな。少しは罪が軽くなる」
若い修道士は驚いて振り返り、相手の顔を見てぎょっとしたように押し黙った。
壮年の神父の鋭いまなざしは、強い非難の色を帯びて若い修道士とアンドレアに向けられている。
「恥ずかしくないのか、きみ」
父親が子供を諭すような言い方だった。
「良く考えるがいい。中世も神の経綸のうちに過ぎた時代だ。先人達が教会の基盤を整え、一心に信仰を守ってきた比類ない時代だ。今になって、それのうちのいくつかが間違っていたと分かったとしても、そういう今の気付きが、また後には誤りだったと気付く時代が来るかもしれない。本当の真実など、我々人間には分からんのだ。物の全てを分かっているなどと、ゆめゆめ思うでない。くれぐれも神の前で思いあがってはならん」
そのきついまなざしは、アンドレアへも向けられていた。
「わたくしはね、サンティ殿。あなたにどう思われるか分からないが、ルネサンスは罪の時代だと思っている人間の一人です。人間が『思いあがり』という新たな不幸を手に入れた時代だ。人間には知らないほうが幸せ、分かってしまったばかりに不幸、という現実があるものです。それを、これみよがしにさらけ出したのが、ルネサンスだ。ルネサンス以降、人間は虚栄と慢心を克服できずに己の可能性にのみ頼ろうとしている。それが現代に至る不幸の始まりです。――――あなたもそうではありませんか? あなたの持つ才能、あなた自身の美しさ……そこに虚栄が潜んでいないとは言えますまい。わたくしは、今回の壁画に人を惑わす要素をいっさい盛りこまないで欲しいと、切に望んでおります。純粋に神の栄光が現れるようなものを描いて頂きたい。それに、きみ」
名指しを受けた若い修道士が、神父の勢いに身体を縮こませる。
「きみの言葉には全く辟易した。ただただ、官能的な美しさによって人を惑わすに過ぎない悪徳をあのように美化するなど、神に仕える身として恥ずかしくないのか。先程、きみは画家の名前をいくつか羅列したがね――――連中のうち、いったい何人が男色の罪を犯していたか知っているか。加えてレオナルドなどは、根っからの無神論者だ。あいつは悪魔の手先なのだ。試練は今、このとき、きみに与えられているのだぞ!」
ともだちにシェアしよう!

