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7 クリスマスの悲報(5)

 ジブリオ家の執事であるロレンツォ・カッセラである。顔が青ざめて見えるのは聖堂内の暗い照明のせいだけではない気がした。 「こちらに、いらっしゃいましたか…!」 「どうした? 色男が汗だくだな」  クリスマスには似つかわしくない緊迫した様子に、エドアルドのからかいも固くなる。  アンドレアは梯子に掛けた足先をおろして、二人を交互に見た。 「エドアルド様…」  ロレンツォの声は悲痛な響きを帯びている。嫌な予感に鳥肌が立つ思いがしたが、こういう予感は残念ながら良く当たる。 「そんなに良くないニュースか?」  近寄るロレンツォにエドアルドが片頬を緩める。笑うふりをしながらも、そのまなざしは鋭くてエドアルドもまた嫌なものを感じ取ってるに違いなかった。  一方でロレンツォも、まるで見てはならぬものを見てしまったかのような調子でエドアルドから視線を背ける。眉根を寄せ、いつになく悲嘆な表情を隠せないでいるようだった。 「どうした?」  エドアルドが低く尋ねる。 「つい先ほど――アメリカから、連絡が入りました。…ガナー・ブラウンが、」  その時、初めてアンドレアの存在に気いたかのようにロレンツォがアンドレアを見て口を噤む。アンドレアもまた黙したままロレンツォに視線を留めた。 「え――――? ガナーが? ガナーがどうした?」  急に眼の色を変えたエドアルドの口調が鋭くなる。その顔が一気に青ざめた。 「ガナーが、なんだ」  不意に唇を噛んだロレンツォの肩を、エドアルドが焦ったように掴む。 「答えろ! ガナーがどうしたというのだ!」  ロレンツォは束の間瞑目し、迷いを吹っ切るかのように目を開くとエドアルドの相貌に視線を置く。その眼差しは悲痛、そのものだった。 「ガナー・ブラウンが死にました…! バイクでシカゴへ向かう途中、大型車を含む車三台の玉突き事故に巻き込まれて即死です。今、合衆国ではそのニュースでもちきりです。道路が一部凍結していたとの情報もあります」  絞り出すように報告を告げる。その悲報はアンドレアを驚かせるのに充分だった。  物音一つしない時間が流れた。  息をするのすら憚れる空気にアンドレアは指先一つ動かすことができずに立ち尽くす。  ロレンツォの肩からふらりと手を外したエドアルドは、全身から力の抜けたような姿勢で固まった。 「葬儀の予定は所属事務所が近日中に発表するとのことです。エドアルド様のお名前で、花を贈られますか?」  俯いているエドアルドの口から返答はない。ただ、首が小さく横に振られただけだった。 「そうですか。何かご命令があれば、なんなりとお申し付けください」  重苦しい声で続けたロレンツォが一礼して、それから静かに聖堂を後にする。  直前に一瞬だけ目が合った。他言無用と言いたげなロレンツォにアンドレアは頷いた。  クリスマスに、なんという悲報か。気の毒にエドアルドの相貌からは血の気というものがすっかり失せている。 「エドアルド……?」  動かないエドアルドの傍に寄り、佇んだ。何かしてあげたくてたまらないが、無力な自分にできることなど何一つない。今のエドアルドに向かって言える慰めの言葉一つ、持ち合わせていないのだ。  エドアルドが視線を向けてきた。  その目つきは、なぜガナーが死んでお前が生きているのかと、不思議がっているように見える。彼の悲しみがのりうつっていて、悲嘆の海に自分も溺れてしまっているのだと思った。  突然、エドアルドがアンドレアの腕を掴んだ。  床へと引き倒される。驚いたのも束の間、床の石畳にしたたか頭を打ちつけられて視界が白んだ。両の手首を床に押しつけられ、上から覆い被られて、身体にエドアルドの重みが加わる。  悲壮な顔つきのエドアルドに見おろされたが、甘さを感じている場合ではないのに強く感じてしまいそうになる。その目は悲嘆そのものなのに、どこか艶っぽく婀娜めいてもいるのだ。 「あいつが言っていたな。俺が、いつかきみにこうするだろうって」  淡々とした響きなのに深い絶望が伝わってくる。こんなのはたまらない。 「でも、俺は、愛しているのはお前だけだと言ってやったんだ」  はっきりとしたアンドレアへの拒絶は、アンドレアの存在そのものを忌々しく吐き捨てているように聞こえた。 「そうなんでしょう。だったら、放してください…!」  こんな悲しい役回りは御免だ。  慰め役で押し倒されるなど欲していない。だが、抵抗しようにも腕力の差が歴然で手首を浮かせることもできなかった。  エドアルドが抑揚のない声で続ける。 「どう思う? 俺は、あいつの死体を見に行くこともできない。葬儀に出ることも墓に花を手向けることも、できないんだ。あんなに激しく求め合って、心を重ねて、体をつなげてきたっていうのにな」  それから声もなく自嘲する。  あまりにいたたまれなくなって目を閉じた瞬間、唇を奪われた。  狂おしく食らいつくような激しいキスだった。唇を幾度となく食まれ、吸われる。苦しくなって息を吸いこむと今度は舌がアンドレアの口腔を犯して、中で暴れまわる。否応にも混ざりあった唾液が溢れ、アンドレアの口許から首筋を濡らして滴った。  恋人の死に我を忘れているのだろう。自分を欲しての行為でないことは確かだ。なのに熱い接吻の嵐は押しよせる快楽の波のように、不覚にも熱い焦燥をアンドレアの中で掻き立てる。キスによる昂ぶりと共に心と体が分離してゆく。  互いの気息が荒くなった。  身体の奥に血流が集まり、溜まりを作る。腰部が焼けたように興奮し、その中心が固く勃つ。エドアルドのそれも硬度をあげている。さめざめとした意思とは裏腹に、体の重なった部分が炙られるように熱いのだ。 (嫌だ……こんなのは――――)  愛されてもいないのにこの場限りの慰みになるには、アンドレアは心の準備ができていなかった。 「やめて、くれ――――!」  思わず叫ぶと、エドアルドが唇を離す。  ほんの三センチ先の唇をもはや重ねようとはしてこない。ただ荒い気息が収まるまで、じっと耐えた。  おもむろに、エドアルドが体を離す。アンドレアを突き放すように一気に立ちあがったかと思うと、アンドレアを一瞥もせずに出口へ向かう。  腕で顔を覆った。  エドアルドが聖堂から出てゆくのをドアの音で察する。  ひとり残されると、緊張から解放された身体は弛緩し、フウッと大きな息が漏れる。  ガナーという見たこともない男の代わりに受けた抱擁とキスによって、ひどく疲労を感じている。深く愛していた相手だったのだろう。その死のニュースを聞いたエドアルドは、気が違ってしまったのかもしれない。 (――――シャワー、浴びよう…)  のろのろと起きあがった。  床へと倒されたときに外れた白百合が手の少し先に落ちている。  腕を伸ばしてそれを拾った。人差し指と中指に挟み、唇に近づける。  その死に我を忘れるほどガナーを愛している、エドアルド。これを折ってくれた時は、どんな気持ちだったのだろう? (僕が想ったところで、手は届かない)  そう、ぼんやりと考えたときだった。 「…はは、」  聖堂西翼の、エドアルドが出て行ったのとは逆のドアのほうからほんの小さな忍び笑いが聞こえた。  ぞくっと体が竦んだ。  ほんの一瞬だが、これ以上にないくらい愉しげで皮肉っぽい嘲笑だった。  急いで立ちあがって少しだけ開いているそのドアへと駆け寄った。  走り去る靴音が微かに響く。アンドレアがドアの向こうに顔を出したときには、そこにいたはずの人物はすでに修道院に続く回廊のどこかに消えていた。  誰かが、今の自分とエドアルドのやりとりを見ていた。  一体、何のために…? (あの声は――――?)  まさか、と思うが、ありえない話ではない。それはあまりに懐かしい、アンドレア自身にそっくりな声帯を持つ者の声だった。

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