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第2話

 桃生(ものう)さん。好きです――。  同じ会社に勤めている桜下(おうか)秀一(しゅういち)に告白をされたのは一年も前の事だった。  桜下は三つ年下の後輩だ。  男っぽい、精悍な顔。  だが、犬を連想させる人懐っこい笑顔。  百八十前後の身長に、引き締まった体躯。  入社当時から仕事が出来、人当たりも良く、性格だって悪くない。ケチの付け所のない男だった。  こんな男に好きだと言われたら、その言葉に深い意味があろうとなかろうと女なら都合よく解釈するだろう。  だが、俺は男だったので桜下の告白を深く考えずに有り難う――と返した。  桜下はそれを告白の同意と受け取り、嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。  お互いの気持ちの温度差に気付いたのは、それから一ヵ月後の俺の誕生日だった。  アイツは高いレストランを予約し、俺を招いた。  豪華な食事に舌鼓を打っていると、俺と同じ生まれのワインが出て来て驚いたが、ただ単にサービス精神の旺盛なヤツだと思う事で自分を納得させた。  だが、プレゼントに指輪が出て来た時はさすがに何のマネだと聞かずにはいられなかった。  桜下は俺の質問の意味を間違えて捉えたのだろう。  エンゲージリングとかそういう深い意味じゃないんです。気に入らなければしてくれなくていいんです。持っていてくれるだけで――桜下は恥ずかしそうに言った。  それを聞いて桜下の言った『好き』の意味を理解した。  桜下の勘違いを気付かせるために俺は残酷な質問をした。  お前の中で俺たちは付き合っている事になっているのか?――と。  今思えばもっと他に言い様もあっただろうと思う。  だが、俺は人に気を配れるような人間ではなかったのだ。  不用意にアイツを傷付けた。  青い顔、凍った表情。  震える手で差し出した指輪を引き戻し上着のポケットにしまい、すみません――と言って寂しそうに笑った。  それから桜下は黙ったまま食事を続け、俺も桜下と話したい事はなかったので黙々と食事をした。  レストランを出てからも、桜下は黙ったままだった。  気まずいはずなのに、アイツは律儀にも俺の住むマンションの前まで送ってくれた。  別れ際、恐る恐る桜下は貴方の傍に居てもいいですか?――と言った。  駄目だと普通なら言うのだろう。  だが、俺は言わなかった。  好きにすればいい――そう言ったのだ。  俺の何処を好きになったのかは知らないが、直ぐに嫌いになる。  これまで女に一方的に迫られ、付き合い、嫌われ、別れるを繰り返してきた。  別れ話の時に必ず言われるのが、面白みのない人。冷たい人。貴方の気持ちが分からない。思っていたのと違う……等等。  付き合って三ヶ月もったためしがない。  桜下も、今上げた言葉のどれかを言って、俺の前から去るに違いないと思っていた。  だが、三ヶ月過ぎてもアイツは俺から離れはしなかった。  それどころか、好意をよせる一方だったので、仕方なく俺のマンションに連れて行った。  俺の部屋は酷いのだ。  グッチャグッチャで、足の踏み場もないくらい散らかっている。まるで、家捜しした後のような有様なのだ。  仕事を几帳面なほどキッチリとやっている分、ギャップの激しさに大概引く。  想像していたのと違うと言って去る。  仕事をしている時の俺に惚れたのなら、仕方のない話だ。  自分でも大した二面性だと思う。  桜下も、働いている時の俺の姿に惚れたのなら、きっと、俺を嫌いになるだろうと思っていた。  だが、桜下は大した動揺もしていなかった。  俺は確認の意味も込めて、想像していたのと違うだろ?――と訊いてみた。  誰かにそう言われたんですか?――そう言って、アイツは優しく微笑んだ。  見透かされているみたいで恥ずかしくなった。  散らかっているのが好きな訳でないなら、ただ片付けるのが面倒なだけなら俺この部屋片付に来ていいですか?――優しく微笑みながら言う。  俺が答えられずにいると、俺こう見えても掃除や料理得意なんですよ――優しく微笑む。  アイツの微笑みに圧され、好きにすればいい――と言ってしまった。  それから桜下は俺の住むマンションに通うようになった。  当初、桜下は俺が帰ってくるまでドアの前で待っていたが、流石に十二月の寒空の下で待たせるのは気の毒だと思い合鍵を渡した。  それから俺の家には、明りが灯るようになった。  汚く荒れ果てた部屋は見る見る間に整理整頓され、見違えるように綺麗になっていった。  綺麗に片付けられた部屋で、桜下の作った料理を食べる。  有り難う御座います――桜下は優しく微笑みながら言った。  何故、桜下が有り難うと言うのか分からなかった。  部屋を片付けてもらい、食事を作ってもらったのは俺の方だ。  有り難うと言うなら俺の方だろうと言うと、いいえ俺が有り難うであっています――桜下は優しく微笑んだ。  俺がやっている事は桃生さんに頼まれてやっている事じゃないでしょ? 俺がやりたくてやっているんです。望んでもいない事をされても迷惑だって分かっています。だから有り難うなんです――そう桜下は言った。  俺のする事を許してくれて有り難う――微笑みながら言う。  俺の厚意を受け入れてくれて有り難う――嬉しそうに言う。  俺に何かをする度に桜下は有り難う、と言う。  桜下は俺が出会って来た人間で一番誠実な人間……だと思う。  してあげているんだぞとおごらず、俺の為だと言って押し付けず、見返りも求めない。  何時も一歩引いている桜下。  そんな桜下だからこそ一年間もこの関係が続いている。  上司と部下以上。  だが友達でも恋人でもない関係。  俺にとって都合の良い関係。

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