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4.理想の二人組
「相手を間違えたな――」
と、騒ぎの中、神妙に呟く客の声が田介 の耳元まで届く。
「暴れているのは二人組の男らしい」
居合わせた野次馬の言葉にもどこ吹く風で、田介は茶碗を口元まで運ぶと、最後の一粒まで綺麗に平らげて物足りずに唇を舐め取った。
秋の陽ざしは金風を香らせ、窓際の田介にやわらかく降りそそぐ。その金陽の光粒を美しくまつわらせる田介は特に焦ることもなく向かいの酒楼に穏やかな視線を向け、二杯目の白湯をゆっくりと口に含んでいるところだった。
「でかい方が一方的だ……」
「ありゃ、運がなかったな」
人集りの歓声とその隙間から、すらりと抜き放たれた刃の白光りが田介の目を刺した。
チカッとした眩しさに手をかざし、酒楼の騒ぎを見て見ぬふりして眺めていた田介は、仕方がないなとようやく腰を上げた。
倒れる若者の前で抜き身をちらつかせ、どうやら威勢を振るっているのは大柄な男と細身の剣士の二人組だという。
しかし金の帯と金の鞘で包まれたその剣は所詮飾り物に過ぎない。田介は一週間も彼らを観察していたのだから良く知っていた。箸を口元に持っていくとき必ず脇が開く。力一杯振り下ろすことしかできないのは、薪割りしかしたことがないからだ。身体にしみついた癖は容易には抜けない。座っていても隙の多い男で、性質は恐ろしいほど短気で粗暴。相手の語りを黙って聞いていられず、食器の扱い方は雑だった。
酒楼で飽きるほど見た男の癖を、田介はつぶさに思い出す。
一週間も酒を煽って粘っていたのは彼らの習慣と弱み、行動の癖を調べるためだった。
細い剣士の隣に必要なのは腕力自慢の男、つまり、田介と大柄な成皿 の身代わりとなる二人組。大男は強くなくてもいいが利き手は左でなくてはならない。殴り倒した若者の胸ぐらを掴む手は、見込んだとおり左手だ。利き手を重視するのは成皿が左利きのためであり、この二人組は二年もかけて探し求めた理想の組み合わせで、ようやく一週間前に見つけたばかりだったのだが、もはやこの騒ぎでは振り出しに戻りそうだ。
剣を抜いた手で剣士の男が大股に踏み込む。倒れた若者――それがまさしく成皿だ。その首には今にもじりじりと刃がせまり、人殺しもしたことのない剣士の最初の餌食になりかけている。
「ああ、全く、運がないよ、あの二人組――」
田介が大道芸人のように得意げに指の先で茶碗を回していると、柳 が背後で大いに嘆いた。田介も二年間の苦労を思えば嘆かずにはいられない。これほどの騒ぎを起こしたのだから、彼らの面は暴かれたも同然。
「内密に」が合い言葉だった。計画に必要な要素を全て兼ね揃えていただけに落胆はひとしおだ。しかし幸運なのは成皿の嫌味から解放されたことだろう。
田介はひょっとすると席を立つ時期を見計らってもいたのだ。
「全くだ、何 家の番犬、田介の弟に手を出すなんて」
窓に寄りかかっていた観衆の一人が嘲笑気味に言った。
ふっと田介は秋気のように清らかな息を吐く。誤魔化した勘定をさりげなく置いてすたすたと酒楼の方へ歩いて行く。
人集りを縫って店先へ。手の中の茶碗をくるっと回転させると、成皿を襲う二人組に鋭く放つ。
独楽のように勢いづいた茶碗が剣を握る剣士の甲を打ち、鈍い音とともにピシッと亀裂が入る。茶碗はその反動で向きを変えると、手前にいた大男のこめかみを打ち、同時に目元で粉々に砕け散った。思いがけない威力にもんどりをうって倒れる大男に、剣士が青ざめた顔で店の入り口に視線を走らせる。
ぴたりと、出禁のために入り口で立ち止まる田介の、金の光を浴びて眩しい姿がそこにあった。
剣士と目が合うと、田介は冷笑をひたと送った。
「私の弟だ。非礼があったなら、この顔に免じて許してやってくれ」
うう……と大男は目元をおさえて身もだえていた。
欠片が目や耳を切ったのだろう。血が滴るのをみてカッと顔を赤らめた剣士が飛びかかった。
「この野郎……!」
しかし田介の革帯から吊り下げられた何家の印を目にすると、勇んでいた気持ちはすっかり凋みきり、むしろ挑みかからずに済んだ口実を見つけてほっとしたようでもある。涼しげな田介の流し目に睨まれれば、鈴を括った剣を一度も触れようとしない姿勢に心を挫かれ、ぴたっと硬直したまま急に弱腰になった。
さらには金粉でも塗したように眩しい田介に困惑もしていたのだ。太陽を反射した窓の光が全て、田介に向かってそそいでいるから、清涼な空気を漂わせる田介が眩しくて眩しくてちょっと視線を向けるだけでも反射で目を閉じてしまう。これでは掴みかかるのも難しい。
「兄貴、……すまない騒ぎを大きくしちまった」
蛇に睨まれた蛙よろしく身動きが取れない剣士と、眩しい田介の間で成皿が呻く。
田介はこの二人組にもう少し痛い目を見せておくべきだろうかと逡巡していたのだが、成皿の弱々しい声に咄嗟に微笑んだ。大きな背中がまるで小さな子どものように丸まっていた。
「気にするな」
歩み寄ろうとして、クッ、と思わず無意識に足が引き戻される。
出禁ということをうっかり忘れるところであった。何家に知られたら田介だって平気ではいられない。まるで蜘蛛の巣に引っかかったような鬱陶しさだ。
「お前のせいじゃない」
近づいてやれないから、来いと手を招く。頭を殴られた成皿がふらっとして立ち上がると、肩を落として田介の前まで大人しくやってきた。
ほつれた髪の間から巨漢には似合わない案外穏やかな容貌が、不満そうに唇を結んでいた。兄弟の中では一番の好男子と、幼少の頃から持てはやされているだけのことはあった。その顔がしわしわになっていて、とても噂の成皿とは思えない。
「俺が手を出したわけじゃないんだ……」
あれだけ兄を馬鹿だと言っておきながら自分も失態を晒したのだからばつが悪い。そんな顔色と声だった。
田介は項垂れる成皿に罪悪感を覚えないでもない。もっと早く助けに入っていればこれほど騒ぎは大きくならなかったのは事実。しかしこうなることを望んだのは田介の方だ。向かいで顛末をただ眺めていただなんて知られたら、確実に兄としての威厳を失ってしまう。
狡猾な兄を持って災難だな、成皿。お前には悪いが少しの間だけ心を痛ませてくれよ。
と、殴られて腫れた顔をしげしげと見つめつつ、成皿の悄げた腰を叩く。
「気にするな。実はもう一組目星をつけている」
「目星?」
「偶然邸店の前を通りかかったときに見かけた二人組で、うまくすれば財宝も手に入るかもしれない」
商人が商品を預ける宿も兼ねた倉庫店だった。品を取り出しに来た二人組が、体格の立派な男と細い男の二人組で、どうやら利き手は左らしい。
そこの店の牒は木札を使っていた。寸法や厚み、墨の滲み方、材質、細かに見られて偽造するのは骨が折れるが、それを田介は財宝まで手に入れる算段なのだ。
すると成皿が釈然としない顔で頭を振った。
「ただの商人やそこら辺の人間なら、俺と兄貴、似た二人組を探すのにこんなに苦労していない。俺たちが探しているのは一般人じゃないって、忘れたか?」
田介は最後まで聞けよと目を細める。
「あいつらは偽の木札を使ってた」
静かに言うと、成皿はそれだけで万事を心得たようにえっ、と驚いた顔をする。
「まさか、盗賊か?」
「金銀玉珠の精巧で美しい彫り物を施した最高級品らしい。山ほど積んで、今頃どこかに隠してるところだろ。私が奪うから、お前は奪いながら作戦を立ててくれよ」
成皿は上機嫌な田介に、もしやと眉をひそめた。田介はこの騒ぎが大きくなるのをわざと待っていたな、とおおよそ悟る。
失敗に備えてどうやらもう一組見つけていたのだ。だからこそ騒ぎが大きくなっても田介は余裕だった。そして自分の不利益をまんまと弟に被せてしまったのだ。
けれど成皿は憤るわけでもなく、むしろ恥ずかしさに苛まれていた。兄にため息ばかりつき、容赦なく馬鹿と言い放ったことを田介は咎めることさえしなかった。それが余計に成皿の心を苦しめる。
「……自分が愚かに見える」
青い顔をする成皿を仕方なく横目に見ながら、田介はふと足を止めた。
向かいから歩いてきた男が徐に鞘を抜き、短剣の先を田介の腹に押しつけていた。
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