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5.鼠
剣の鞘は何 家を示す紋様がたくみに描き出されていた。行きずりの男がすれ違い様、肩の触れあうほどの近さで立ち止まると、どうやら道を譲る気はないようだ。
田介は切っ先を突きつけられたまま男を見据えた。
眉は太く、鈍い眼光。口元を布で覆って容貌ははっきりとしないが、
刺客――
大方、支配欲の強い何家の息子、索相 が差し向けたもの。
周囲の喧噪の中、往来で立ち止まる二人の間には静寂が張り詰めていた。田介 の腰にぶら下がる何家の印が鞘に触れて耳障りな音を立てる。田介が苛立ちをこらえて貧乏揺すりを数回したせいだ。その何家の家紋を刻んだ装飾玉は索相に勝手につけられたもので、金具を溶かしてかため、決して帯からは外れないように吊されていた。
男はその佩をつかみ取るとあざ笑うような目をする。
何家に魂を売り、索相の義の兄弟を受け入れた印だ。
それを捨てるように手を離すのをみると、どうやらこの印が羨ましいようだと田介は見当違いにも自慢げに胸を反らし、無防備に手を後ろに回した。
「お前が道を空けろよ」
斬り込むようなせりふに成皿 は瞬間ヒヤッとする。ひょっとすると揉める気ではないかと気が気でない。
田介は好戦的ではないが、藍虧玉 に勝らずとも劣らないほど言葉を選ばない。
すると男がやはり怒気の含んだ眼光で田介の顔を舐めるように覗き込んだ。
「お前に手を焼かされるのは、こりごりだそうだ。心得ろ。索相さまのお言葉だ。逃した鼠を駆除しろ。さもなくばお前の弟の指をもらう。もし三日以内に首を持ってこなければ弟の目をえぐる」
何索相はよく分かっている。田介が嫌がる脅し方を。義兄弟とはいうが、その実大勢の子分と扱いは変わらない。嫌なら帯を捨てて新しいものに変えればすむのだから、田介は全て分かっている上で甘んじてその威を借りて悠々と過ごしていた。
なにせどこへ行ってもこの印が目をひいて、ひょっとするとただ酒がもらえるのだから。
田介は突きつけられた短剣の刃を指先ではさみ、不敵に笑った。
「弟の目まで賭けるなら、その分報酬ははずんでくれないと困る。帰って何索相に伝えておいてくれ」
「たかが鼠除けのくせに調子に乗るなよ」
「お互い同じ腰にぶら下がる巾着同士だろ、意地悪を言うなよ」
――もしかして自分を特別だとでも思っているのか? ただの人殺しのくせに――とでかかった言葉をのみ込んで田介は涼しげに続けた。
「先輩の顔を立てているんだ。私は優秀すぎるから、これくらい抜けたところがないとかわいげがない」
「何から何まで気に食わない野郎だ」
男はうんざりとした顔で田介を睨み付け、苛立ちをおさえるように鞘の中に短剣を滑り込ませた。
「いいか、首を持ってこいよ」
すれ違い様に男は囁く。人混みに消えていく黒々とした姿を尻目に田介は鼻を鳴らした。
いくら報酬は高くせびれても、成皿を人質に取られるのならやり方を変える必要があるな、と田介は考えていた。
しかし、と苦悶の表情を浮かべて息を吐く。あの男のせいで早速計画が破綻しそうだ。
「成皿、邸店の二人組を追うぞ」
袖を払って田介は進み出す。それを少し遅れて追いかける成皿は一色触発の危機を乗り越えてほっと胸をなで下ろしたかったようだが、田介の言葉に安堵の息を再び呑み込んで怯えた顔をした。はっとして両手を手の中に隠そうとする。
「鼠はどうするんだ? 俺の指と目が犠牲になるのは、嫌だ……!」
「その二人組が何家の鼠だ」
成皿は安心するどころかますます青ざめていた。
「あの男、鼠の首を持ってこいと言っていたぞ! ……もし殺せば、二人組をまた一から探さなくちゃならない。また計画が白紙に!」
こうなると作戦を変えた方が早いか。しかし田介はない知恵を絞るつもりもないし、そもそも成皿を信じているのだから彼がやり直しを言い出さない限り口を出すつもりもない。
酒楼での振る舞いがなければ、もう少し事は簡単に転んだか。
絶叫をあえぐような成皿に田介はさすがに同情した。
なで肩をそっと抱き寄せて、田介はよしよしとなでさする。
「そんなに悲観的になるな、私がいるだろ」
盛大に重い息を吐く成皿が歪な笑みを田介に向けた。お前がいたからこうなったのだと言いたげである。田介もそれを理解していたから、「嫌な笑みをしまえよ」とすぐに身体を離した。
「兄貴、とりあえず二人組を急いで見つけよう。首の件はとりあえず後回しだ。もう二年も経ってる。さすがにこれ以上はのんびりしていられない」
田介は目を瞬いて力強い成皿の眼差しを覗き込んだ。相変わらず立ち直りが早い。我が弟ながらそこが気に入っている。
成皿さえ無事なら、彼は一人でも危機を脱して目的を達成するはずだ。剣を握るだけの田介の代わりはごまんといる。だからなるべく彼を血なまぐさいところからは遠ざけて、もし自分の身に何かあっても駆けつけるなと言い含んでいる。
「私は何をすれば良い?」
「財宝を利用しょう、兄貴」
「半分はすでに私のものだ」
まだ自分のものですらなっていない。それでも田介は目映い光の山を想像して澄ました顔で舌なめずりをした。
「半分?」
成皿が嫌がるような声で聞き返す。
「冗談だよ、その半分だ」
田介はすぐさま訂正をいれた。しかし成皿はさらに顔を険しくさせる。
「四分の一? それはだめだ、今の家じゃすぐにばれる。それに藍の若旦那がしょっちゅうくるだろ。作戦に関係のないことは今回の酒楼でも分かってると思うけど、簡単に俺たちをしょっ引くつもりだ」
「口止めに少し持たせれば良い」
成皿が「馬鹿……」と大きく息を吐いて項垂れた。
「あの男が汚職に染まるものかよ。でなければ藍家の御曹司だ。もっと出世してる」
「ははっ」
と田介は思いだし笑いをした。
ある腹心が菓子だといって藍虧玉に差し入れをしたのだ。あんなに無愛想でも甘い物は好物だからおそらく乱舞したい気持ちをこらえて蓋をあけたのだろう。みてみたらそこには金がぎっしりつまっていたのでつい窓の外に放って捨てたらしい。
持ち込んだ男にそれを全て拾わせてにべもなく帰らせたので、捕吏でもさらに窓際の佐吏なんて役職に追われた。
藍虧玉の不遇に好機を見いだした兄弟にこうしてたかられているのを、藍虧玉はむしろ楽しんでもいるようだ。
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