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11.藍虧玉の隠し事

 藍虧玉(ランコイユイ)の部屋の窓の一つは、夜雪の凍てつく冬の日であろうと一年中開け放しである。  まるで逃した小鳥が帰ってくるのを迎えるようだった。  窓際には毎日手の込んだ模様を施した青果物が、美しい塗料で塗られた篭の中に山ほど盛られていた。執念の深さは傍らの金を散らした華やかな盃を見れば明らかで、中は香り高い酒で満たされている。  田介(ティエンチエ)はその芳醇な香りをのぼらせる盃には目もくれず、屋根を蹴って軒先に飛びついた勢いのまま、果物を跨いで優雅に室内に滑り下りた。  藍虧玉はまだ妓楼で調査中のはずだった。部屋には田介しかいないはずだが、静謐で厳かな藍虧玉の気配が家具や調度品から部屋の隅々まで漂っていて、すぐそこに立っているように思えて落ち着かない。 「藍……」  と、弱々しく、思わずその気配に向かって独り言をいう。呼びかけたところで返事をするような男ではない。田介は整頓された机の前まで来てようやく無人だと知り、ほっと胸をなで下ろした。 「……窓はしめとけと、忠告はしたんだ」  それなのに従わなかった藍が悪い。  ほとんど無意識に机の上を漁り、棚の引き出しを下から順繰りに開け放った。  取り返された財布の代わりを探していたのだが、ついに一番上の段まできた。同じように開け放とうとしてどうやら鍵がかかっている事に気付く。しかもよく見るとその鍵穴は壊れているようだ。  細く引きちぎった枝が無理矢理鍵穴に捻じ込まれている。そのせいで複雑に噛んでしまって力尽くで引っ張れば中で折れかねない。  鍵をかけるということは珍しい品を入れているに違いない。期待する田介はなんとか枝を取り除こうとしばらくへばりついていたが無駄だった。  しかしこれでは藍虧玉も二度と取り出せないはず。大切なのか、はたまた目にしたくないほど嫌なものをしまっているだけなのか。  釘を打つように鍵穴をふさぎ、他人の目に触れることを極端に恐れているよう……  まるで自分の心を誤魔化し、藍虧玉自身も認められない。そんなものを、まさかしまっているのだろうか。  どうにかして開けられないかと苦心していた田介はふと、これを開けるのは人の心を勝手に暴くことと同じだと急に冷静になっていた。  俄然抱いてしまった興味がすっかり綺麗に消え失せることはない。きっかけがあればいつか知りたいと思っていたその矢先、扉の蝶番が軋んだ。  恵まれた体つきの藍虧玉が部屋に入ってくると、堂々とした態度で近づいてくる。彼は田介が部屋にいても少しも驚かず、むしろ当然というような顔だった。さらには当然だというように短く言い放つ。 「手柄が欲しい」 と。  田介は「なぜ私に言うんだ」とすかさず目を背ける。  目があってしまえば承諾したことになりそうだと直感が告げたのだ。 「お前の要求も呑む」  構わず続ける藍虧玉にさらに頭を抱えた。そんなことは自分ではなく成皿(チョンミン)に言ってくれと身もだえる。  元来欲しいものを素直に欲しいとは言わない藍虧玉だ。それが自ら要求を突きつけてくるのだから田介は混乱していた。 「出世欲があるのか?」  ――ないに決まってる  言っておきながらすぐさま心の中で否定する。無欲だから閑職に落とされたのであって、野心があれば今頃頭角を現していたことだろう。 「佐吏では役人を束ねられない」  藍虧玉はあっさりと言った。  突き刺さるような冷淡な目元と気難しい容貌は顔立ちが良いせいか雰囲気があり、口元は皮肉な笑みさえ似合う貴公子然とした青年だ。侵入口を確かめるように窓の傍をさらうと、藍虧玉は朝見たときと変わらない果物と盃に軽く手を触れつつ、淀みなく田介へと歩み寄った。 「座れ――」  という目つきに促され、田介は机に腰を下ろす。 「椅子の方だ」  と藍虧玉が再び感情も見せずに言う。  田介は聞く耳を持たずに彼の本意を見抜こうと前にのめり込んだ。 「今まで無関心だったのに、どうして急に手柄を欲しがる?」 「お前たちがへまをすれば私の身も危うい」 「藍の身が危うくなると、計画に差し支えがでるな。わかった、いいよ。私が出世させてやる」  田介はほとんど即答だ。成皿のように物事を深く考えるのは苦手であるのと、藍虧玉の言うことも一理あると思ったためだった。  なにより事が起こったのは間が悪いことに何《ホー》家が金を出している夢沈楼だ。もし烏夜《ウーイエ》に何かあって役人の不手際が生じたら、藍家だけでなく全ての武官の任が解かれる可能性もある。そうなると藍虧玉の左遷だけではすまず、藍の当主からどんな拷問を受けるかもわからない。 「派手なことをしてくれたよ」  何家に言っているのか、藍虧玉に向けて言っているのか、田介にもわからなかった。ため息と共に苦々しく呟く田介に、藍虧玉は涼しい顔をしている。 「条件を持ちかけるときは、相手の不利を利用すべきだとお前が」  そんなことなどせずとも友人なのだから直接言えば良い、と田介は白々しく藍虧玉を見つめ返す。 「成皿が怒ってた」 「お前は、怒っていないな」 「私?」  思いがけず問われて、田介は一瞬言葉に詰まる。  別になんてことはない。藍虧玉は閑職に追われてはいるが、一応捕吏として悪党をつかまえる職務についているのだからそれを責めるわけにもいかない。  けれどわざわざ聞いてくるということは、藍虧玉は今回のことを少なからず気にしているらしい。  弱みを見せることは滅多にない藍虧玉だ。今ならその鉄のような顔に花でも咲かせてやれるのではないかという気になった。  田介はふふ、と微笑を浮かべ、そうだな、と思案顔で口を開く。 「藍家と私の両親がそれぞれ結ばれたのは、白気光明な天河の下、牽牛と織女の出会う日で、九月九日、陽の重なる特別な日に私とお前は産声を上げ、菊花を結んだ。不真面目なお前とつるんで船上で生死を共にし、厄介と思いながらもここまで意気投合するということは、肉親の弟より縁が深いということ。そんなお前が、私を裏切るはずがないよ」  家族の縁は血と名付け、生まれながらに結ばれた不変の縁。因果として出会い、自ら求めた藍虧玉との縁はそれ以上に格別なものだった。比べることはないにしろ、田介は命を差し出し、一生をそそぐと覚悟している。  その田介の言葉に藍虧玉の伏せた目元に微かな和らぎが見えた。凍り付いた湖面のようにゆるぎない藍虧玉の美しい貌が、ほんのりと淡く染まっているようでもあった。 「それが、私を怒らない理由なら、随分私は縁に救われている」    成皿は協力させるためにわざわざ藍虧玉に取引を持ちかけ、その内容は一つも田介の知るところではない。ただ分かるのは成皿に売られたということだけ。成皿は義理堅いが、藍虧玉は特別に義を重んじる性格でもない。もし裏切るとするなら、田介に対してではなく、成皿だろう。  だから藍虧玉を裏切り者といった成皿は正しかった。

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