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13.恩

 成皿(チョンミン)は妓楼での騒ぎの後、邸店へ急ぎながらしだいに冷静になっていた。  荷物を盗まれたことに気づいた商人がそろそろ文句を言い出す頃かと思っていたのだが、店の主人は首を横に振っただけで預かっている荷物についても不審なところはないという。成皿はそれを聞いてますます疑いを深めていた。  兄、田介(ティエンチエ)についてだ。  どうして牒が偽物だとわかったんだ?  悶々としたまま再び渦中の夢沈楼の前を通りかかる成皿はゆっくりと人通りを縫っていく。  真っ昼間の楼台からは逃げ惑う鶏のけたたましい声と、それを追う役人の怒号が飛び交って混沌とし、さらには烏夜(ウーイエ)の失踪がこのときすでに街中にまで広まってその話題は尽きなかった。  そんなとき、向こうから人垣を掻き分けて近づいてくる数人の人影があった。孟春楼の用心棒たちである。血相を変えて夢沈楼へと駆け込んでいったのだが、このとき成皿は考え事をしていてそれどころではなかった。  思えば、倉庫番でさえ木札の真偽に気づかなかった。それを、その場にいただけの田介が偽物だと言い切れるはずがない。  それに、最初に見つけた二人組……  酒楼は出禁になってしまうし、乱闘を起こされ、彼らの素顔が白昼の下に刻まれることになった。そのときの田介といったらまるで機が熟すのを待っていたようではないか。  最初から康意(カンイー)吾吠(ウーフェイ)を利用するつもりだったのだろうか。下手人として藍虧玉(ランコイユイ)に捉えさせたのもまさか田介の策略か?   なんにせよ、成皿はくたくたになって藍虧玉の屋敷の門を潜ったのだった。 「偽の財宝、つまりカラスが押し込まれた木箱は、烏夜(ウーイエ)の部屋で見つけた」 「さすがだな、成皿」  と、思いもよらず田介がきらきらと輝く顔で熱心に成皿を見た。  一見純粋で爽やかな眼差しに成皿は自尊心を大いに刺激されるのだが、ふと、幼子に対するような優しい兄の笑みに途端に気恥ずかしさが勝る。  田介が赤の他人なら、鼻息を荒げて田介の巧みな口車に翻弄されていただろう。ましてやお兄さん、お父さんと呼びかけられてはたまらない。 「成皿、お前の話は聞いていて興が尽きない。恋文を使ったといっていたが、その子細を、お前の兄さんにもっと詳しく話してみてくれよ」  気取らない顔つきで下から覗き込まれ、前のめりになって「うん?」と興味のありそうな目で先を促す田介に、成皿は尻込みした。  田介は視線を全く逸らさない。その間彼の目元には薄らと品の良い微笑が漂っていてちょっとばかり見蕩れてしまうほどだった。  気づくと藍虧玉からは冷ややかな視線を向けられている。成皿はいたたまれず顔を逸らした。 「なくした恋文を、夢沈楼に落としたと思い込んだんだ。吾吠が烏夜の部屋へ入っていくのを見て……」  語って聞かせるが、やはり得意気に獲物を持ち帰った犬猫を褒めるような田介の笑みだ。  吾吠は烏夜の留守の間、部屋中を隈なく探し回った。そしてまさかと言いたげな顔で寝台の下から木箱を取り出したのだが、やはりそこには何もない。彼は混乱した様子で慌てて駆け出ていった。成皿はその後、木箱の中にカラスがぎっしりと詰め込まれているのを確認したわけである。  だからやはりおかしいと成皿は不意に眉をひそめた。 「今朝、烏夜の部屋から見つかったのは鶏の入った木箱。しかも烏夜が行方不明だと?」  どうして見つかったのがカラスではないのだろう。それに、烏夜は一体どこに消えたというのか。 「……下手人だと言っていたか? 烏夜はすでに死んでいるのか?」  尚も訝しげな成皿に藍虧玉は思うところがあるようで、不満そうな成皿をさっと一目見ると素っ気なく答えた。 「……カラスを殺した」 「は?」  と要領の得ない成皿である。 「なに? カラスを、殺した? それで下手人呼ばわりか?」  前代未聞の珍事ではないかと頭を悩ます成皿と、それを冷ややかに、そして大真面目な顔をして答える藍虧玉とを、田介はどこか愉快に思って成り行きを見守っている。 「夢沈楼ではカラスは鳳凰よりも神聖な生きものとして重視されている」  木箱に入っていたカラスは全て烏夜が室内で飼っていたものだと言う。藍虧玉もそれを聞かされたときは木枯らしの吹くような涼しい顔が僅かに曇ったものだ。  成皿は余計に草臥れた思いがした。 「藍の若旦那よ、まずは康意と吾吠を捕らえてくれて礼を言うよ。そのために来たんだ」 「計画を邪魔されたのに、礼をいうのか?」 と、田介は未だに混乱している成皿にいたずらっ子らしい笑みを浮かべた。  ついさっきまで裏切りだと叫んでいた成皿だが、藍虧玉の意図に気づいてしまったのだ。それをくみ取っての礼であった。なぜなら兄弟に手助けしてくれたのだから、それを無視するわけにもいかない。 「よく考えてみてくれよ兄貴、奴らは取り調べを受けている。その最中に(チャン)家の鍔がでてくるんだ。それこそが俺たちが望んだ状況だろ。わざわざ盗みをさせて捕まえさせるなんて面倒が省けた。礼を言うべきだ」  一杯食わされたのだと成皿は腹の中では気持ちが悪い。  田介はいつまでも盃を指先でもてあそんで少しも焦っていない。藍虧玉……もしくは田介の思惑にまんまと乗せられてしまったようで成皿は不気味なのだ。  そんな胸の内を知らず田介は難しい顔で眉間を解していた。 「烏夜の行方不明は康意と吾吠の仕業か?」  残念なことに成皿にはその因果関係を求めるつもりはない。なにせ烏夜の行方不明より差し迫った自分の危機が目の前にあるのだから。もう期限は今日明日と、二日である。烏夜などという妓女に寄せる思いなど何一つないのだ。 「おそらく二人は烏夜の失踪とは関係がないはず。利用されただけだ。でなければ騒がしい鶏をわざわざ危険を冒して烏夜の部屋に持ち運ぶなんて真似をするはずがない」 「なるほど、鶏を運んだ二人はいい目くらましになったということだ」  成皿がうさんくさい目をして田介を鋭く見た。チクチクと針で刺されるような視線に気づきつつも、田介は素知らぬ顔をした。  すると、成皿は大きな体をゆっくりと持ち上げて藍虧玉の背後へ回り込む。 「兄貴、藍の若旦那とどんな約束をした?」 田介に期待半分、していない半分である。案の定、田介は賢そうな笑みをさらりと浮かべて成皿の期待を裏切った。 「お前を守れと」  成皿はああ、やはりこの男は……と息を吐く。 「兄貴……」  自分の身を案じてくれる兄を持ち、どうして幸せではないと言えようものか。この弟思いの兄には尊敬を深めるばかりだ。愚直なまでに弟を助けようとするのは勿論嬉しいのだが、しかし貴重な取引を棒に振ったのも事実であった。もし田介が今回の騒動を起こした張本人だというのなら、藍虧玉に取引を持ちかけるきっかけを作ろうとしたのだろう。  それなのに……弟を守ること? それが、田介が康意と吾吠を利用してでも取り付けたかった約束だと? と呆れてしまうのだった。 「二人を解放しろと、強く出れば良かったのに」  成皿の苦い言葉に、ああ、だからかと田介は突然腑に落ちた。藍虧玉が何か言いたげだったのは、そのことが言いたかったらしいのだと。  長らく考え倦ねていた成皿はやがてすっきりとした顔を上げた。 「兄貴、麻袋を用意して」 「どうするんだ?」  田介はもう一つ大きく息を吐いた。 「何家に持って行く首だよ。早いところ用意してしまおう。こうなれば兄貴が頼りだ。俺の指と目を、守ってくれるんだろ?」

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