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14.首

田介(ティエンチエ)兄さん、本当は出禁になんてするつもり、なかったんですよ……」  酒楼の息子、喜雨(シーユィ)が嘆かわしく呟いた。  城市を貫く秋の川は白く澄み、薄らと霧の降る窓の外は秋景色に満ちている。散り残った木犀の香りは田介の肌の温もりのように部屋の中に揺蕩っていた。  茶店の二階である。  喜雨は貧乏書生の田介に遠慮して行こうか行くまいかきっちり丸二日悩んでいた。下男がいい加減その問答に付き合わされるのに嫌気がさして、詫びの酒壺を大事な客のように次々と運び込ませ、下男下女総出でこの茶店にやってきたのだ。 「……それにしても、床が抜けるぞ」  足元には一面に積み重ねられた酒壺が広がっている。酒好きな田介でもさすがに呆れ顔だ。 「こんなものでは到底感謝も伝えきれませんよ」  喜雨は五体をなげうちたいほどなのだが、田介はそれを望まないと知っているので頭の布をとって首を垂らすばかりだ。  田介はそれを目の端だけで見ると、「うん」と一つ零して再び机に向かって筆を執った。  二年前、花鮮やかな季節だった。萌え立つ柳の枝のように美しい田介の姿は当然雑踏の中でも目をひき、あれが掃き溜めに鶴というのだと身を持って知ったのだ。勉学のため城市に流れてきたのだと、頭の上に持ち上げた暖簾さえ春がすみのように見える品のいい笑みを浮かべて、田介は言った。  貧乏書生と一目で分かる身なりだか、その腰帯には立派な剣を吊っている。形見だという。あまり剣には触れたがらず、亡き人の話もしたがらない。この話題が飛び出すと決まって彼は視線を外し、息苦しそうに瞼を伏せるので喜雨はますますこの人の力になりたいと思いを深めていくのだ。  そんな喜雨が田介を兄と慕うほど入れ込んだのには、(ホー)家の手下を指先だけで返り討ちにし、まんまと追い払ってしまったのが原因である。 「田介兄さん……本当に感謝してるんです」 「わかったよ」  もし田介がいなければ今頃家族は路頭に迷っていた。喜雨はことあるごとに感謝を……と言う。彼の口から飛び出すその言葉はもはや田介にとっては雑草のようにわんさかと生える薬草なみに価値がない。 「わかったから」  と素っ気なく返すものだから、喜雨は伝わっていないのだとむしろ熱くなる。 「兄さん、どうして分かってくれないんです。ぼくは感謝してるんです。ぼくたちを救ってくれただけでなく、今回のことだって」  ちらりと、喜雨は田介の腰から下げられた何家の印を見た。  帯を変えれば良いと何度も勧めているが、田介は変える気がない。あの印のせいで田介は巷では何家の番犬、悪党に与するならずものと後ろ指を指されるのだ。  索相(スオシアン)と義兄弟だと言う。体に埋め込まれているわけでもないのに忠義を守るように帯を着ける田介に理解を示す人はいない。口では嫌がる素振りをみせながら心では何索相に心酔しているからだと罵倒する人さえいるほどだ。 「もし城市を出るなら暮鐘の鳴る頃がいい。何家の連中は気にするな。私の名前を出せば痛め付けることはないだろうから。外に出てしまえば、阿雨とお前の彼女を引き留める人はいない」 「田介兄さん、本当に、何から何まで……烏夜(ウーイエ)も、田介兄さんには感謝していて……」  田介はふっと笑みを零した。ようやく書き上がったその出来映えを確かめていた。それから思いついたように喜雨に身を翻す。 「烏夜から聞かなかったか? どんな二人組がきたのか」  喜雨は不意の質問に目を瞬いた。 「二人組? 来たのは一人だと……どうしてそんなことを? 田介兄さんが連れ出したんでしょう?」  ああ、やはり二人組ではなかったか、と田介は微笑んだ。  しかも烏夜を連れ出すのは田介の役目だったが阻止されたのだ。それなのに烏夜は店じまいした紅屋にきっちりといた。 「どうやら、先手を読んで私に嫌がらせをしている人間がいるようなんだ」 「どういうことですか?」  田介は喜雨の困惑には答えず微笑を浮かべたまま悩んでいた。  手柄が欲しいといいながらなぜこちらの邪魔をするのだろか。  藍虧玉(ランコイユイ)―― 「いや、なんでもない」 「田介兄さん、もしぼくたちに子どもが生まれたら、田介兄さんに名付けてもらうと決めているんです」 「それはやめておいた方が良い」  田介はすっと立ち上がる。  紙を懐に仕舞い、部屋の隅に転がしていた麻袋を二つ、肩に担いでひっさげた。 「そんなことをいわず、是非兄さんに――」 「天網(てんもう)恢々(かいかい)()にして漏らさず。名付けてしまえば、私との悪縁を繋いでしまう。私と結ぶ縁は、悪い縁だ。お前も、私とは縁がきれたものと思って、今後は烏夜を大事にして暮らせ」  重くぶら下がる二つの袋は丸みを帯びて、じんわりと赤黒いものが染みだしている。  それを喜雨は不思議そうに見つめていた。 「田介兄さん、袋の中身はなんですか? 下からなにか、漏れてるようです」  嫋やかに揺れる柳のような微笑と、その佇まいからは想像もつかなかった。喜雨にとって田介は春風をまとう風流人であり、人の死を嫌い、悪を遠ざける潔白な人なのだから。まさか田介がその袋の中に何を入れているのかなどとは思い及ばなかった。

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