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16.罠に飛び込む
「袋の中……」
何索相 が苦しげに手を伸ばす。指先を袋の口に差し入れて押し広げようとしたところで、ぴたりと手を止めた。トントンと数回机の上を叩いて考え込んでいたが、しばらくすると手を下ろしてしまった。
「……田弟 、やけに、中身を確認しろと勧めるんだな?」
どうやら何かあると勘ぐっているようだ。田介 は困った顔で微笑んだ。
「ただ早く確認して、安心して眠ってほしいだけだ」
あどけない顔をして優しい言葉をかける田介は、何索相のことをどれくらい信頼しているのだろうか。
強引に結びつけた何家の印をぶら下げながら、索兄と慕って体調を案じている。田介がこの関係を心から望んでいるわけではないことを何索相だって見抜いていた。その後ろ暗さから大概のことには目を瞑り、寛大な処置も施してきた。それなのに飲み繋ぐための演技を私にも見せているのだと思うと、どうにも我慢ならない怒りが込み上げるようだった。
――口の軽いこの男が、ボロを出さずに懐に潜り込めるはずがない。
愛嬌のある笑顔が作り物なら、何家の長男、索相がこれほど悩むこともないだろう。彼は彼なりに何索相を信じているようだと、無垢な眼差しに怒りもいくらか落ち着く。
「どうして袋にいれてきた?」
「持って歩くには刺激が強い」
何索相は考えていた。長引かせるのはどうやら得策ではない。袋からただよう臭いが少し前から強くなりはじめている。涼しい季節とはいえ何かが腐り始めているようだ。
本当に首を持ってきたのだと田介の番犬ぶりに驚かされながら、何索相は想像して気分が悪くなった。
「わかった。確認しよう」
目眩をこらえて再び麻袋に手をかけたとき、田介がむしろさりげなく袋を遠ざけた。
「その前に、成皿は自由だと言ってくれ」
何索相が自分の体調に限界を感じ始めているのを、田介は目敏く見透かしていたのだ。
早く確認しろと言いながらも袋を取り上げた田介を何索相が睨みつける。田介は構わずゆっくりと腰をおろした。
「盛者必衰の理は、誰にも変えられない」
倒れそうになる体を必死に支え、何索相が弱々しく言った。
盛者必衰とは成皿のことを言っているのに他ならない。その言い方では解放する気はまだないのだと田介は焦る。
「索兄、約束が違う。私は索兄に従って約束を守った。それなのに兄は弟を騙すのか?」
咳と高熱、さらには関節の痛みに苦しむ何索相の姿を黙って見ていることはできず、田介は硬くにぎり込まれた彼の手をとった。
寝所に返してやりたい。けれど、このままでは引き下がれない。
「成皿はお前の関心を買っているようだな」
「盛事大いに尽くせば盛事に恵まれる。私の弟だ。顔を立ててくれ」
何索相が伏せていた瞼を疲れ切ったように持ち上げた。
「盛事に、めぐまれる……」
ふらふらと頭を揺らす何索相に、田介は咄嗟に立ち上がって抱き留めようとする。それを「よせ」と手を上げて制止させ、何索相は苛立たしく頷いた。
「わかった、成皿には今後、一切手を出さない。お前に免じて尽くしてやる」
言質はとった!
田介は一気に噴き出す開放感に体の力が抜けていく。拒まれていたのも忘れ何索相の肩を抱きしめていた。
「索兄……! この恩は必ず返す!」
まさか、袋の中に生首など入っているはずがない。
土をいれた壺を二つ用意して、釣り上げたばかりの生魚に傷をつけて入れているだけだった。
腐った臭いも赤黒い血も、体調を崩した何索相では魚の生臭さだとは判断がつかなかったに違いない。
「烏夜 をどこへ連れ出した?」
感謝を示す田介を、何索相が鋭い目色で睨み上げた。
「カラスが、孟春楼の朱冠 の部屋から見つかったと、今朝方、無礼にも孟春楼の用心棒から疑われた。嘘を吐かないと、お前は言ったな。答えてくれ」
体を震わせ、朦朧とした意識の中で何索相が気力を振り絞る。田介はそれを哀れに思いながら悪寒に震える彼の腕をさすってやった。
「烏夜を連れ出したのは私だが、カラスのことも、孟春楼の仕業も私ではない。私が用意したのは鶏だけだ」
「……田弟、全部話せ」
「索兄、おそらくそんな時間はない」
ぜえぜえと息を荒く吐きながら咳をする何索相が、寄りかかるように体を崩していく。
「カラスを殺したのは、誰だ……烏夜は今、どこにいる……」
まるで聞こえていないようだと田介は苦笑いした。
田介は彼を椅子の背もたれに体を倒してやりながら、優しく囁いた。
「酒楼の息子から頼まれたんだ。烏夜との仲を取り持ってほしいと」
言葉を探して言い淀み、何索相の胡乱げな目つきにそっと微笑んだ。
「連れ出せば何家に恨まれる。追っ手につきまとわれるのはご免だから、今日をえらんだ。今頃烏夜は城外だろう。鶏と木札を用意し、目星をつけていた康意 と吾吠 に本物の木札を持たせてから、鶏の木箱を烏夜の部屋へ持って行けといったのは私だ。それなのに、鶏はカラスになっているし、それを誰が盗ませたのか、私も知りたいくらいだ」
「今日を選んだ……?」
田介は汗だくの何索相に目を細めた。額や頬の汗を拭ってやりながら、義兄の辛い姿を見るのはやはり心に堪えると思っている。
「あなたは私を義弟にした。その義理は果たさなくちゃならない」
「――索相さま、藍 家……白鳳軍が!」
どういう意味だと、何索相が咳き込みながら顔をあげたとき、突然慌ただしく駆け込んできた男が床を這いながらひれ伏した。
「張 家の頭領を出せと言っています! 突き出さなければ、何家も同族とみなすと!」
「……何が起こっている? 張家の頭領を出せだと?」
袖に縋る何索相に田介は笑い出しそうだった。
「知らなかったか? もうとっくに、正体はばれていると思ったが」
「正体?」
田介は焦燥を滲ませる何索相の目を見おろした。ゆっくりと手を離しながらにこりと微笑む。
「本名は張界 、林灰坡 の張家で盗賊一家の次男、それが私だ」
「張家……」
熱でぼうっとする何索相の脳裏に、船行路を不法に占拠し、交通要地の商業都市を荒らし回る盗賊集団の名前が浮かぶ。禁軍が追捕に動き、城市に君臨する白鳳軍、つまり藍家の治安部隊にさえも勅旨がだされ、必死でその集団の行方を追っている。
「今まで隠してきた正体を、私に明かしたのは何が目的だ」
「捕縛の手を林灰坡からそらすのが目的なんだ。計画は全て弟に任せてある。だが、首謀者の名前を康意と吾吠の口から出させたことは弟も知らない。勝手なことをしたから叱られるかもな。幼なじみに手柄をとらせないといけないと前から思っていたが、あいつも同じ事を考えているとは思わなかった」
わざわざ康意と吾吠を捕まえてくれて感謝したいのは田介の方だ。
「……装模作様か。私を罠に嵌めたわけだな」
何索相が苛立ちと疲労の滲む目で足元を睨み付けている。
「自分で作った罠に自ら飛び込んだだけだ。索兄は道連れってところか。私を守ってくれる人が必要なんでね」
「守る? 都合が良い」
「義弟を見殺しになんてできないだろ」
憎たらしいと何索相は奥歯を噛みしめた。二人目の従者が血相を変えて飛び込んでくると、白鳳軍将、藍家の当主が武官を引き連れ階段を上がってくるところだという。外にはすでに何十人もの将軍の配下が押しかけているというではないか。
何索相はふらふらの体を無理に引っ張り上げて田介を睨み付けた。
「奥へ行け。逃がしてやる」
「索兄……」
本当にこの人は扱いやすい。
田介は力強く拳を包んで礼をする。
「あんたに命の危機が及んだら、必ず助けると約束する。もしあんたを助けられずみすみす死なせるようなことがあれば、私はその後を追う。誓うよ」
そして田介はほとんど意識のない何索相の細く骨張った体を引き寄せると、踏み込んでくる武官たちの気配をすぐ後ろに、部屋の奥へ姿を消した。
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