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20.どうして俺が……
兄に振り回される星の下に生まれたらしい。
はぁ……、とやるせなく息を吐き、弱ったなあと成皿 は頭を掻いた。
それでも昔は二人の兄にめいっぱい甘やかされて、雲山の高峰にだけ咲く、霜の花からとれる蜜蝋が食べたいと言えば、兄たちは泥だらけになりながら南船北馬し、神出鬼没に城下や山を流離 った。成皿はむしろ父母の呆れ顔をよそに兄たちを顎で使っていたくらいなのだ。
田介 は特に兄ぶりたい年頃だったから、町へ下りていくときは必ずと言って良いほど背中に揺られ、ついに一歩も自らの足で歩くことはなかった。まるで馬のように田介の髪を引っ張り、あっちへそっちへとふりまわす。
田介は「阿盛 、阿盛、」と、満面の笑みで答えて町を練り歩いた。おかげでかわいらしい兄弟だねと持てはやされ、花や餅が投げ寄越されたのだ。
誰に対しても愛嬌があり、幼い子どもたちを後ろに引き連れた田介は、もらったばかりの餅を孤児たちにすっかり持たせてしまうと、軍港の将軍を讃えた武勇を高らかに歌った。
白雨 のあがった南風に午睡 の匂いを甘くくゆらせる、夢のように美しい記憶。
賑やかな笑い声と優しい歌声。
田介はその直前、藍虧玉 と派手な喧嘩をしていた。項に無数の引っ掻き傷をこしらえ、口元には噛まれた痕――強く押さえ込まれたうっ血が袖の下にあった。玉が弾く光のように眩しい田介の笑顔に、春芽が露吹くように藍虧玉の心が軋んだのは、決して最近のことではない。
成皿は思い詰めて項垂れた。
目の前で眠っている何索相 の寝息にじっと聞き耳を立てながら、藍虧玉の言葉を思い出している。
「張界 を孤立させろ」
それが彼の望みだという。
どだい無理な話である。
どうにかこの約束を反故にできないものか。
藍虧玉が張界の孤立を要求したのは、林灰坡 の計画に協力することと、何索相の排除とが引き換えだった。
そうしてみると、何索相を守ることになった今、契約を破る絶好の機会ではないだろうか。こちらが不利にならないよう藍虧玉の裏を掻いて確実に根回しをし、彼の不手際をでっちあげれば、多少強引だが約束を無効にできるかも……
「兄貴、まさか藍虧玉の思惑を知っていたのか? そんなはずはないよな……」
何索相を守れと押しつけ、出し抜かれるなよと言い放った田介に「むむ……」と成皿は勘ぐっていた。
たまたま。偶然。兄貴がそこまで考えているはずがない。
成皿は鼻先で笑い飛ばしながらも、あの兄の考えていることなど推し量ることは難しい。
何索相の汗を拭いつつ、またどっと疲れ切って息を吐いた。どうせ今夜は眠れやしないのだ。
何索相の首回りを丁寧に拭っていたとき、突然呻き声を上げた。
「小 、子 ……!」
甲斐甲斐しく世話をする手を叩き落とす勢いで、悪夢に魘された何索相が忌々しく呼びつけたのだ。
――俺のことか?
成皿はぎょっとする。
咄嗟に手を高く上げて万歳の格好をしたまましばらく硬直していると、
「……弟弟、」
と今度は不安そうに喉を鳴らして「弟弟」を求めたので、成皿はほっと胸をなで下ろした。
なんだ、兄貴を呼んでいるのか。
何索相の夢の中でも手を焼かせる奔放な田介のようだ。しかもその次の瞬間には「弟弟」と呼ばせてしまうのだから、田介は上手くいなしているらしい。
誰にでも媚びるせいで何索相は心配なのだ。ふらっとどこかへ行ったきり戻ってきてくれないのではないかと、病魔につけこむ田介の義弟としての優しさが、何索相の病を重くしているに違いない。
成皿の胸の内は複雑だった。
「……何索相、兄貴は根っからの盗賊で、目的のためならどんな相手にだって優しく振る舞えるんだ。平気で嘘を吐くし盗むし人も殺す。あんたの手には負えないよ」
高利貸の悪漢の息子といえば、相場はもっと横柄で高圧的で、醜く小賢しい人物であるべきだろう。それなのに、らしからぬ病弱さのせいで憎むにも憎みきれない。むしろ世間ズレしていない何家の長男を見ていると、田介とどちらが悪人かわからない。
「参ったな……」
この男が哀れに見えてくるなんて。
うんうんと唸りながらも、成皿は寝込んでいる何索相を一人残し、ひっそりと外に出て行った。
秋の夜風が首筋の辺りをひやりと吹き抜けていく。肌寒さにぶるりと震え、足早に道を進む。
目的の場所までもう少し歩いた。
暗がりにぼうっと浮かぶ建物が見えてくると、その薄汚れた二階建ての建物を眺めながら、ここからが正念場だと自然と息を入れ直している。
他に気配はない。
あたりは風の音もしないほど静まりかえっていた。みしみしと床を踏みながら建物の二階へ、階段をゆっくりと上がっていたとき、
「成皿さま……」
と、どこからか声がした。
「何家の当主が、何索相さまを探しています」
再び落ち着き払った声。階段や一階に人影は無い。一体どこから聞こえてくるのだろうか。
「用心なさって……」
穏やかで静かな、大人びた声だ。どうやら頭上から聞こえてくる。ふと二階を見上げると、星河をちりばめた薄手の上衣をひらりと香らせて、見覚えのある顔が呼びかけていた。
薄雲のかかる月の下で、欄干に腰掛ける細い腰と美しい姿は胡蝶のように優雅で、彼女の姿はしっとりと水気を帯びているようにも見えた。
「君は、夢沈楼で案内してくれた少女か。どうしてここに?」
「雪衣児:(シュエイーアル)……」
ためらいがちに告げるのは、彼女自身の名前らしい。雪衣児は呟くように言うと、疲れたような目をして成皿を睥睨した。
と……、欄干を蹴って軽やかに目の前に降り立つ。
脂肪の少ない引きしまった身体つきは、華奢だと思ったが案外厚みがある。成皿はその瞬間あっ、と自分の思い違いに気づいた。
雪衣児は微かな笑みを浮かべるとその驚きの意味を知ってぱっと背を向けた。身を捩りながら何やら考え込んでいる様子だ。
「……当主は、何索相さまを必ず仕留めるつもりです」
わざわざそんなわかりきったことを忠告しに来たのだろうか。
こんな廃墟に一人でくるとは、やはりただ者ではないようだ。
「だからこうやって、彼を守りにきたんだろ」
「茶店の主人があなたの居場所を、暴客たちに教えていましたよ」
「知ってるよ。わざわざ暴れ回って俺の居場所を突き止めるより、よほど平和だ」
しかし茶店に男たちがきたというのなら、もうすぐ彼らはここに到着するはずだ。雪衣児は成皿の焦りに対してゆったりと窓の外を眺めていた。そのまま居座るつもりらしい。どうやら協力してくれるようだ。
「君、手伝ってくれるなら、この布を羽織ってその辺に寝転がっていてくれないか。時々咳き込むのを忘れるなよ。何索相じゃないとばれたら、君を見捨てて俺は逃げる」
「どうやって迎え撃つつもりですか?」
雪衣児と成皿は部屋の中にいた。成皿は尋ねる雪衣児に素早く白布を投げ渡す。
成皿がいるのは康意 と吾吠 が潜伏していた紅屋だ。ここならどれほどものを壊しても気にすることはない。
成皿は雪衣児に答えることなく逆に質問した。
「刺客は何人だ?」
「五人ほどです。あなたと何索相さまだけなら、手間取らないと思っているのでしょう」
確かに、田介がいたら大騒ぎの人数だったかもしれない。五人くらいならなんとか返り討ちにできそうだ。
成皿は手すりの上を手で押さえ、ぐっ、と思い切り足を踏み抜いて木片を剥ぎ取った。ぶんぶんと空を切る棍棒は成皿の身丈ほどもある。
「剣はないが、相手は幽霊じゃない。殴り続けたらいいんだろ。いつかは動かなくなる」
武術もへったくれもない。呆気にとられる雪衣児は言われたとおり白布に包まり、怖々と床に寝転がる。目を閉じて病の演技をしつつも、成皿の腕前には恐怖でしかなかった。彼に頼っていたら絶対に生きてはいられない。
成皿は違う意味で恐ろしがっている雪衣児に良心が苛まれながらも定位置についた。柱の陰に身を潜ませて、ゲホゲホと身体を弾ませる雪衣児を遠目に見守る。黒い固まりのような闇が、刻一刻と成皿の緊張を押しあげた。ごくりと生唾を飲み、木片を体に引き寄せて強く握りしめる。
一瞬、月に反射した白目が光ったように見えた。
「来たぞ……!」
素早く雪衣児に知らせた次の瞬間、音もなく開いた扉から、身のこなし鮮やかな三人組の男が素早く部屋の中に転がり込んだ。あと二人いるはずだがその姿はない。
まさか、廊下か――?
咄嗟に視線を向けるが、いくら気配を辿っても残りの二人は感じ取れない。
暴客はもうすでに雪衣児 の首が取れるほど近づいていた。雪衣児の正体が見破られたときに備え、五人一片に片付けてしまいたかったが、彼らは音もなく剣を抜き、一切の反動もなく流れるように突き立てようとする。成皿は我慢できなかった。柱の陰から勢いよく飛びかかった。
「成皿さま、おそらく残り二人は、茶店!」
叫ぶ雪衣児が振り下ろされた剣を交わして跳ね起きる。
「信号を打たせないで!」
「信号――?」
成皿は素早く身を翻し、窓へ向かって発火装置を準備する男に強かに棍棒を振り下ろした。
その隙に雪衣児が靴の中から短剣を抜き取り、素早く二人を切り倒す。武術はからっきしだが、力だけはある成皿に打たれて目を回す三人目を、容赦なく息の根を止めた。
「急いで茶店に!」
雪衣児が言うが早いか、彼女はすでに窓から外へ飛び出している。
成皿は少し気後れして慌てて後を追った。
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