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21.雪衣を解く
茶店に先に着いたのはやはり雪衣児 だ。
彼女は庭に隠れる男たちに近づくと声を上げる間もなく喉笛を掻ききった。
と同時に花火が上空高くに打ち上がる。
一瞬の目映さに照らし出された六人目が、茂みから信号を打ったらしい。
それでも雪衣児 は落ち着いていた。すらっと体の力を抜いて男を見据えると、手口軽やかにしてあっさりと片付けてしまう。後から駆けつけた数十人もの何 家の手下を相手に花片が舞うように身をかわし、優雅に剣を振るっていく。雪衣児の衣はひらりひらりと男たちを斬り殺していく度に一枚ずつ剥がれ落ち、あっという間に死屍累々の上に立つのは、細身の装束を身につけた、青年の身体をした雪衣児だった。
血の臭いを気にする雪衣児が、遅れてやってきた成皿 の呆然と突っ立つ胸を軽く叩いた。
「当時、張 家という盗賊一団に、剣の腕に優れた男がいると聞いた」
意気揚々と開いた口からは、やはり穏やかで静かな声が飛び出す。
一体全体、この切り倒された男たちは? そしてこの雪衣児の顔をした美しい男は一体誰だ? どうして平然と和やかな顔をして喋っているのだ? 成皿は大混乱に陥っているのだが、雪衣児は構わなかった。自分の世界に没頭して語り続ける。
「人柄爽やかにして残酷な盗賊だという。しかし死んでいった者達は皆巧みな剣技に圧倒されて満足だというではないか。彼に斬り殺されたいと願うほどだとか」
――死んだ人間が、どうやって不満、満足を伝えるんだ?
「剣術の師、人生の師に見 えんと憧れて会いに来たが、何を間違えたか剣の腕を見込まれて何家の用心棒に引き立てられてしまい、女に興味なしと言えば切り落とされるのも免れたので、そのまま夢沈楼に」
顔立ちは可憐な少女のようでいて、どこか青年のような勇ましさもある。華奢な身体ではあるが、細いというわけでもない。そして張家に憧れて……と言い出したこの青年の、どことなく礼儀正しく気さくなものに良さを覚え、成皿は「はあ……」と戸惑いながらも嫌な気はせず頷いた。
「田介 さまが張家の首領とは恐れ入った。こんなにも胸が躍るとは、私もまだ若いようだ。ぜひとも、再び一日でも早く、ああ、早く会って、手合わせを願いたい!」
嬉しそうに笑う雪衣児に成皿はやはり呆然とこっくりと頷く。
「……君は一体、何が目的で俺を助けたんだ?」
「牢にいる田介さまを助け出すつもりなら、勿論私も協力を惜しむつもりはない。それを伝えたかった」
心強い協力者を得たというのに成皿は頭を抱えた。
雪衣児の背後には屍の山だ。何家の裏切りものとなった雪衣児が一人増えたところで成皿もお尋ね者にかわりはない。
どのみち息子を仕損じた何三留 がこのまま逃がすはずもない。人の良い茶店の主人に迷惑をかけるわけにもいかないので、今夜の内にも暇を告げて、田介を脱出させた後は何索相 を連れて城市を出ようと思っていた。
「……兄貴のことなら、俺と幼なじみが助けることになっている。雪衣児、君を巻き込むわけにもいかない。それに俺たちは兄貴を連れ出したら城市を離れるつもりだ」
「それなら私は勝手にあなた方にくっついていくよ」
成皿は妓楼での雪衣児と、今目の前にいる雪衣児の豹変ぶりにまだ理解が追いついていなかった。カラスとおしゃべりしたがっていた少女と、どうしてもこの、返り血を浴びて嬉々と田介について語る青年とが繋がらない。
「……あのお淑やかさはなんだったんだ?」
からっとした笑顔を浮かべて雪衣児が剣をくるくるっと手首で回した。
「妹がいる。真似できるほど熟知している女性は、彼女くらいなんだ」
答えを得ても全く理解できなかった成皿はやはり気の抜けた返事をしながら頷いた。
「兄貴はおそらくあんたの妹に会ったら、変な女だというだろうね」
「私も同感だな」
「あんたにも同じ事を言うだろうよ」
雪衣児は成皿の少し笑った顔に驚いたように目を丸くする。
「それは、光栄に思っておこうか」
気さくな顔で笑う素直な雪衣児の反応をみて、やはり好男子だなと成皿は感心した。
「何索相は捻くれた男だから、あんたの反応は新鮮だ。とりあえず紅屋に身を隠すが……あんたも着いてきた方が良い」
成皿は何索相を背負って紅屋に帰っていくと、思った通り眠れぬ一夜を明かすことになった。
雪衣児が始末した何十体もの死体を茶店の中庭から移動させた後で、すっかり太陽が真上に輝くのを眩しく見上げる。
何索相も昼頃になるといくらか回復していた。まさか朝を迎える前に父親に追われる羽目になり、何家に雇われていた雪衣児とも合流して何が何やらの何索相は、青ざめた顔をぼんやりとさせて雪衣児を見つめている。
何索相が剣客に目がないようだと成皿が知ったのはそのときだった。彼自身も剣は扱うし、その腕前は病弱でさえなければ盡州の名声をほしいままにしただろう。
羨望と、あるいは嫉妬のような鈍い色が、雪衣児を見つめる眼差しにあった。
「成皿……」
と何索相がひとしきり咳き込んでから呼びかけた。
「私の体は愚かにも弱すぎて時々生死も彷徨うほどだ。しかしこれでも何家の端くれ。酒癖の悪いお前の兄には散々迷惑をかけられて困らされもしたが、その兄に今回ばかり助けられたのも事実。あの場では簡単に口約束をして己の浅はかさを悔いたが……」
何索相は視線を落とし、表情のない顔で訥々と呟いていた。突然この男は何を言い出すのかと戦々恐々としていた成皿は、何索相がキッと睨むように青白い顔を上げたので息を呑んだ。
「命ある限り、心からお前に尽くすことに決めた」
涙っぽい黒い瞳が全てであった。力強く、自らの決意を簡単に覆したりはしない、満ち溢れた瞳。田介とは全て真逆。仲間と認めたら簡単には切り捨てない。だから田介も彼を兄と慕うし、何家の長男であり、悪党を統率できるのだ。
「……見返りは求めない」
無言を貫く成皿に何索相が困惑して付け足した。
父親に命を狙われているのだからすっかり弱り切って腰抜けになっても成皿は責めるつもりはなかった。親に刃を向けられるなんて想像しただけでも腸のよじれる思いだというのに。しかし何索相は病弱だが、精神力は強いようだ。何よりやはり誇り高い人間であった。
心根の真っ直ぐな人間からこうも直球に尽くすだなんだと言われると、成皿はむず痒い。
「……いや、ただ、人からものを差し出してもらうというのは、奪い取るより難しいことだから。どうしたらいいかわからない」
「受け取るべきだろう。好意はそれ以上に、得がたいものだ」
と、ゆったりとした姿勢の雪衣児が、陽ざしのたっぷりとそそぐ窓を見つめながら淡々と言った。
成皿はますます戸惑った。
「受け取るというのは、何を? 言葉をどう受け取るべきだ?」
「言葉を受け取るのが難しいというのなら、何索相さまを受け取れば良い」
は――? と成皿は固まった。
「捧げるというのだから、余すことなくもらっておくべきだ」
楽観的な雪衣児が適当なことを言う。
言われている何索相は気怠そうな顔をして黙っていた。
――なぜなにも言わないのだ、何索相。
成皿だけがまるで大変な事態に陥っているようで、待て待てと一人取り乱し、汗を噴き出した。
「わかった、言葉をありがたくもらうとして、俺の事はどうか気にせず、今まで通りでいい」
冷や汗をだらだらかきながら、なんとか正解を出せたのではないだろうかと達成感を得る成皿であった。
何索相。汗と共に灰汁まで出し切ったか。
と――成皿が疲労を感じていたとき、雪衣児が咄嗟に立ち上がる。
同時に建物の中へと踏み込んでくる足音に成皿もようやく気づく。雪衣児と素早く視線を交わすと、彼は何索相を連れて部屋を出ようとする。寸前のところで成皿は慌てて止めた。
「このまま城市を出ろ。後で必ず合流を」
雪衣児が確り頷いた。その余韻もまだ醒めやらぬとき、
「張盛 ――」
大勢の部下を引き連れた藍虧玉 が二階の部屋にたどり着く。直前、雪衣児と何索相がさっと部屋を出て行ったのを、成皿は視界の端で見送った。
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