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第四話 父島(♡ぬるめ)

 小笠原諸島は、海底火山の隆起によって生まれた海洋島だ。一度も大陸と繋がったことがない、絶海の孤島。貴重な固有種が多く生息しているらしいが、本土のものとどう違うのか、素人にはよく分からない。  とにかく海だ。絶海の孤島というだけあって、そこかしこにビーチがある。そのどれもが美しい。港からすぐのところにある、市街地に一番近いビーチでさえ、白い砂浜が延々と続き、海は青く透き通っているのだった。  シュノーケリングセットを借りて、しばらく泳いだ。冷たい海水と、そこに差し込む淡い光が気持ちよかった。底まで見通せる透明な海に、色鮮やかな魚が泳いでいた。珊瑚礁は神秘的で、いつまでもだらだらと、何をするでもなく海にいた。  背中が痛い、と気づいたのは、海から上がった時だった。南国の日差しは殺人級だ。剥き出しの肌がじりじりと焦がされるのを、文字通り肌で感じた。  一方で、伊依は涼しい顔をしている。濡れた髪を掻き上げて絞る。水中でも着っぱなしだった、白いパーカータイプのラッシュガードが、濡れた肌に張り付いている。白い肌が透けて見えるのが、見てはいけないものを覗き見たような気がして、哲司は目を逸らした。   「ウミガメ、結局いなかったな」    伊依が言った。哲司はぱっと視線を戻す。   「ああ。カメと泳げるって謳い文句だったのにな」 「魚はたくさんいたがな」 「やっぱ、街のビーチじゃダメなんじゃね。もっと遠い方行ってみようぜ。もっと自然いっぱいのとこ」 「いや、それよりお前、少し休んだ方がいいんじゃないか」    伊依は、自身の頬を指先で叩いた。   「真っ赤だぞ」 「あー、分かる?」 「だから対策しろと言ったんだ」 「だってよ、そんな長袖の着てちゃ暑そうだし」 「着てる方が逆に涼しいんだ。せめて日焼け止めだけでもな」 「ベタベタすんのヤなんだもん」 「ったく、浮かれた観光客の出来上がりだな」    野生のカメを見るのは諦めて、小笠原海洋センターという、小さな水族館を訪れた。保護されたり飼育されているウミガメを間近で見ることができる。大きな水槽がいくつも並び、ウミガメが数頭ずつ飼われている。人懐っこく、餌を持って近づくと、ヒレをバタバタさせて近づいてくる。上を見上げて口を開けるので、大好物らしいキャベツの切れ端を放ってやると、奪い合って食べた。   「あんなムキになって探すことなかったな」    こうして無料で見られるんだからと、哲司が思ったのと同じタイミングで伊依が言った。   「いや、一緒に泳ぐのがいいんじゃん」    孵化したばかりの子亀もたくさん飼われていた。掌に収まるサイズの小さな命だ。大きさごとに水槽が分かれて、それぞれ戯れて遊んでいる。くぐって遊ぶためなのか輪っかが浮いていたり、岩を模したようなものや、トンネルのようなものが置いてあって、子亀が遊んだり休んだりしていた。清潔な水槽に綺麗な水が張られて、大切に育てられていることが伝わってきた。   「ここで一年育てられたら、海に放流されるらしい」    説明書きを読んで、伊依が言った。   「結構人懐っこいけど、こんなんで野生で生きていけんのかね」 「さぁな。こういうのは大抵生き残れないと聞いたことはあるが」 「ずっとここで飼われるのと、大海原に出ていくのと、どっちが幸せなんだろうな」 「そりゃカメに聞いてみるしかねぇな。話せるならだが」 「おーい、カメー」 「本気にするやつがあるか」    夕日を見に、西の岬の展望台へ向かった。レンタルバイクを借りているので、島中どこでも自由に移動ができる。もちろん、伊依は免許を持っていないので、二人乗りができる125㏄のスクーターを借りた。  展望台は、夕日を見に多くの人が集まっていた。場所取りにもたつくうちに、刻一刻と空は赤くなる。  水平線が、世界を真っ直ぐに分けている。遮るものが何もない。昼間あんなに青かった海が、真っ赤に色を変えている。海の向こうに別の世界があるようだ。あの燃える雲の下に、知らない世界がある。  溶けた太陽が形を変えて、海の向こうに落ちていく。世界はますます赤くなる。伊依の横顔も赤くなる。あの夜の血の色を思い出した。  いや、こんなにも鮮やかな、美しい赤ではなかった。しかし一度思い出すと、そうとしか思えなくなる。その血を拭い取りたくて、哲司は伊依の頬に触れた。  温かい。柔らかい。やはり血など浴びていない。伊依は口元を緩ませ、頬を緩ませて、優しく笑った。  哲司はこの旅の終わりを思った。この旅に終わりがあるとするならば、それは死以外にないのではないか。高校生が必死で貯めた四十万円で、果たしてどこまで行けるのだろう。行きのバスの中ではあんなに頼もしく思えた札束が、今ではひどく軽く感じた。    夕食は民宿で食べた。古いアパート風の外観だが、六畳の和室はそれなりに広く、快適に感じた。しかしクーラーが有料なのはいかがなものか。離島ではよくあることなのか。三時間百円なのでとんでもない暴利というわけではないが、無料の扇風機で耐えて節約したくなってしまう。  風呂トイレは共用だった。大浴場と呼べるほどではないがそれなりに広い浴場が、伊依と二人で貸し切り状態だった。湯船に浸かると、やけに熱いお湯が日焼けした肌に沁みた。哲司は湯船から飛び上がった。伊依は呆れた顔をしながら、日焼けの様子を見てくれた。   「真っ赤だな」 「そんなに?」 「昼より悪化してる」    軽く背中を叩かれただけで、飛び上がりそうに痛い。心なしか、体が熱っぽい気がしてくる。   「冷やした方がいい。火傷と同じだぞ」    冷たいシャワーを浴びると、少しだけ気分がよくなった。背中と首、肩、顔にも、しばらく冷水を当てていた。  もう節約がどうのと言っている場合ではない。風呂を上がって部屋に戻り、クーラーをガンガンに効かせた。涼しい部屋で横になっていると、また少し楽になった。   「宿の女将さんが、保湿した方がいいって」    貸してもらった化粧水を、伊依が背中に塗ってくれた。寒すぎると言って、クーラーの温度は上げられた。   「だからちゃんとしろと言ったんだ」 「いや~、返す言葉もないわ」    背中全体へ広げた化粧水を、軽く押し込むようにして塗っていく。伊依の掌と哲司の背中と、肌と肌とが密着する。とろみのある化粧水を纏った伊依の手が、焼けた肌の上を滑らかに滑っていく。その感触に、妙な感覚を刺激された。また体が熱を持つ。  肩から首筋へと、伊依の指が滑った時、哲司は反射的に体を起こした。自分でやると言って、首に手を回す。少し乱暴に擦ってしまい、余計に痛かった。   「顔も自分で塗れよ。赤くなってる」 「お前は、あんま変わんないな」 「おれも少しは焼けた。こことか」    伊依は足首を指した。靴下の跡がくっきり残っている。それから、俯いて見えた首筋にも、日焼けの跡が残っている。襟と襟足の僅かな隙間が、赤くなっている。白い肌に赤い跡は、何かひどく生々しく、痛々しく思えた。  哲司は伊依の首筋に触れた。何だよと目で訴える伊依に、ここも焼けてるからとよく分からない言い訳をする。   「おれはそこまで酷くないから塗らなくていい」 「……けど、なんかさ、なんか……」    ぐっと顔を近づけた。伊依は瞬き一つせず、哲司をじっと見つめている。   「……なんか言えよ」 「おれが言うのか」 「いや……」    ドラマや映画の真似をして、愛を囁けば格好が付くのか。そんな出来合いの言葉を吐くのは、ひどく軽薄で陳腐に思えた。だからといって、適切な言葉が思いつくわけでもない。   「ヤるか」 「お前なぁ、もうちょっとムードとか……」 「おれにそんなものを求めるなよ」    伊依が顔を寄せてくる。唇が重なった。  自然と体が重なる。日に焼けた畳の上へ、哲司は伊依を押し倒す。  唇が離れる。息を切らして、伊依は哲司を見上げる。上気した頬に、汗ばんだ額、乱れた前髪に瞳が覗く。それをもっと知りたくて、哲司はもう一度唇を寄せた。伊依は不意に体を起こし、待てと言った。   「何だよ」 「いきなり挿れたらケツが裂ける」    伊依はごそごそとカバンを漁る。取り出したのは、コンドームとローションだった。その独特な形状の容器を、店頭に並んでいる状態でだけ、哲司は見たことがあった。   「お前、なんでこんなもん」 「……そのうち必要になると思って」    瞬間、頭に血が上った。哲司は伊依の手首を掴み、畳の上へ組み敷いた。   「そのうちって……」    そのうちに。何のために? そんな日は二度と来ない。この旅に、それは必要ない。故郷に捨ててきたはずだ。  伊依は眉に皺を寄せ、哲司の手を振り払った。   「そのシケた面をやめろって、前にも言っただろ」 「……んな面してねぇよ」 「何が不満なんだ。現に今必要になっただろうが」    そうだ。伊依にはもう、それは必要ない。あの男への憎しみを忘れずにいるために、大嫌いなセックスをする必要はない。こいつの人生に、痛みはもう必要ないのだ。   「やるのかやらねぇのか、はっきりしろ」 「やりてぇよ」 「だったら童貞は黙って見てろ」 「童貞じゃねぇし」    伊依は服を脱ぎ捨て、足を開いた。見れば見るほど白い肌。ただ、日焼け止めを塗り損ねたのか、若干日焼けの跡があった。足首や手の甲、胸元の鎖骨の辺りなどが、熱を持ったように赤くなっている。   「……あんま見てんじゃねぇよ」 「お前が見ろって言ったんじゃん」    尻の穴がこんなにも広がるものかと、いっそ感心してしまう。伊依は、尻の穴に指を三本も挿れ、くぱくぱと押し広げた。何度か注ぎ足したローションが、そろそろ溢れそうになっている。  ゴムを着けろと伊依が言った。実はコンドームを触るのも初めてだった哲司がもたついていると、伊依が着けてくれた。ローションに濡れた指先が掠めただけで、腰がじくじくと熱を持った。  伊依が仰向けになって足を開く。開かれた足の間に、哲司は体を置いた。何となく、伊依の太腿を掴んで引き寄せた。ピンク色のゴムを被ったペニスの先を、伊依の体に触れさせる。   「……本当にいいんだな」 「てめ、ここまで来て日和ってんじゃ……」    いいと言ってほしかった。恨みを忘れないために、嫌いなセックスをするのではないと。哲司に教えてほしかった。   「……嫌ならここまでしねぇだろ。おれに恥をかかすな」    哲司は、ぐっと腰を押し付けた。丸みを帯びた先端が押し込まれる。伊依は、歯を食いしばって顔を歪めた。   「痛てぇ?」 「いい、から……はやく」    誘うように腰が揺れる。一番奥まで、哲司はペニスをねじ込んだ。衝撃で、伊依の体が軽く浮く。悲鳴にも似た高い声が漏れた。  しばらくじっとしていると、踵で尻を蹴られた。催促と受け取り、哲司はようやく、ゆっくりと腰を動かし始める。哲司がペニスを押し込む度に、伊依は小さく短い声を漏らした。   「ん、んっ……あっ、ん……」 「大丈夫か。痛てぇの?」 「いい、もう……もたもた、すんな」 「けどよ」 「……慣れてる。わかるだろ……気ィつかう体じゃねぇよ」    同情を引きたいわけじゃない。ただ事実を述べているだけ。痛みに鈍感にならなければ、生きてこられなかったのだろう。こいつをここまで追い込んだ世界が、哲司は急に憎らしくなった。   「でも、やっぱ痛いのはよくねぇよ。苦しいのもダメだ。慣れてるとか、関係ねぇよ」 「……」 「痛かったら言えよ? 俺、たぶん下手だけど、がんばるからさ」    背中に伊依の手が回り、抱き寄せられた。首筋に鼻を埋めれば、宿に備え付けのシャンプーの香りがした。  教科書通りの、手本のようなセックスをした。正常位で抱き合って、互いの敏感な場所を擦り合わせた。  絶頂が近づくにつれ、伊依の声は切なさを増した。口を塞いでほしいと乞われて、哲司は伊依の口腔内に、尖らせた舌を突き立てた。濡れた口内に唾液を送って掻き回した。  絶頂の瞬間、背中に爪を立てられた。その痛みを愛しいと思った。哲司は、伊依の熱い体内に、薄いゴム越しに精を放った。長い射精だった。  射精しながら、いつまでも舌を絡めていた。伊依の唾液は、やはり甘いよりもほろ苦かった。

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