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第三幕 X年後 第一話 波照間島
波照間島は、珊瑚礁が隆起してできた、平坦な島だ。ハテルマブルーと呼ばれる美しい海に囲まれた、地上の楽園のような島だ。有人島としては日本最南端の地である。
ここより先に広がるのは、茫洋として果てのない海だけだ。広大な太平洋が、どこまでもどこまでも、波を打って続いている。
「パイパティローマか」
伊依が呟いた。南波照間島。ここよりさらに南の果てに存在するとされた珊瑚の島。伝説上の、楽園の島だ。船の入港に合わせて港まで迎えに来てくれた、民宿の親父が教えてくれた。
「昔の人も、楽園を夢見たんだな」
「……ここが、そうだろ」
伊依が手を握ってくれた。指先から手が触れた。哲司は、指を絡めて握り返した。南の果ての海を見つめる伊依の瞳は、どこまでも澄んで、凪いでいた。
「少し泳ぐか」
哲司はシャツを脱ぎ捨てた。下にはあらかじめ水着を着ていた。
波照間島で一番有名なビーチといえば、ニシ浜だろう。島唯一の遊泳可能なビーチである。ニシというのは西ではなく、北を意味する方言だ。北向きのビーチということになる。ただ、ビーチがあるのは島の北西部に当たるため、西の浜という理解もあながち間違いではないのかもしれない。
圧倒的な透明度を誇る海だ。ここがまだ日本だなんて、少し信じられないくらい美しい。遠浅の海が、ずっと沖の方まで続いている。白い砂地に太陽が反射して、透き通るような薄荷色。水平線は濃い瑠璃色で、紺碧の空へと溶け出している。寄せては返す波が、目映い光を帯びている。
少しだけ浅瀬を泳いだ。群れからはぐれた熱帯魚を見つけた。海藻を食べに来たウミガメとも泳いだ。白い光が眩しくて、一生懸命目を開けていた。
夕方、石垣島への最終便が出港した。わざわざ港まで行って見送りをした。その後は、日が暮れるまで砂浜で過ごした。
夕食は宿で食べた。お馴染みのゴーヤーチャンプルーだった。シャワーを浴びて少ししてから、星を見に行った。
島の南部に天文台がある。塩害や老朽化により閉鎖されて久しいが、この辺りは集落からも離れ、目の前には海が広がる立地から、天体観測にはうってつけの場所だった。
ビール片手に星を見た。沖縄といえばのオリオンビールだ。すっきりとした軽やかな飲み口が、沖縄の気候によく合うのだった。
「あれが南十字星?」
哲司は海の向こうを指した。水平線すれすれの低い空に、四つの星が、十字を描くように並んでいた。赤い星が一つだけあり、他の三つは青白く輝いていた。
「そうだろうな。他にそれらしいのが見当たらない」
「意外と小さいんだな」
「星座の中では一番小さいらしい」
本州ではなかなか見ることのできない星座だ。これを見つけるのが、今回の旅の目的の一つでもあった。
仮に南十字星を見つけられなかったとしても、無限にも近い星々が、遮るもののない広い空を埋め尽くしている。金銀の砂をまぶしたようなその様は、圧巻の美しさだ。色とりどりの光が囁くように瞬いて、夜の闇を照らしている。
水平線から、天の川が昇り始める。横倒しになった太く大きな天の川は、世界のルールを書き換えるような壮大さで、時間を忘れて見ていられた。
赤い目をしたさそり座の釣り針が、天の川のちょうど真ん中の、最も影が濃い部分、星が最も密集して光っているところにかかっていて、天の川を引き上げているように見えた。さそり座と並んで、南十字も輝いている。
「あ、流れ星」
流星群でもないのに、ぼんやりと空を見ているだけで、いくつか星が流れた。星屑が煌めいて、空を滑って、海へ落ちる。時折海が光って見えるのはそのせいだ。流れ落ちた星屑が、海を淡く光らせている。
流れ星は見えたかと哲司が言うと、伊依は何も言わずに、哲司の肩に体をもたれてきた。缶ビールを僅かに傾け、喉が小さく上下する。その瞳は、真っ直ぐに海の向こうを向いている。水平線上に広がる、光の海を見つめている。右目も左目も、両方ともだ。
「……綺麗だな」
哲司が言えば、伊依は小さく頷いた。来られてよかった、と哲司が言うと、伊依はまた頷いた。
「約束だったもんな」
「……おれは、お前といられるならどこだって……」
そう呟いて、急に気恥ずかしくなったのか、伊依は口を噤んだ。哲司は、伊依の口からビール缶をどけると、そっと自分の唇を重ねた。
伊依の唇は、やっぱり少しほろ苦かった。それでも前と比べると、ほんの少し甘く感じた。舌先に花の蜜を垂らしたような、そんな甘さだった。
哲司が唇を舐めると、伊依が応えて口を開く。舌先を滑り込ませて、奥の方に隠れていた伊依の舌に触れる。舌先で触れて、徐々に深く絡ませる。奥の方まで舌を入れて、唾液を交えるキスをする。伊依の火照った吐息が唇に触れると、体が燃えるように熱くなった。哲司は口づけを深くした。
「っ、は……おいっ……」
シャツの裾から手を忍び込ませると、伊依は身を捩って哲司を押し返した。それでも突き上げる衝動を抑え切れず、哲司は伊依の腰に手を回して抱き寄せた。
汗ばんだ肌が熱かった。指先が胸の尖りを掠めると、伊依はびくりと体を跳ねさせた。やめろという言葉とは裏腹に、哲司にきつくしがみついた。
「ばか……こんなところで盛るな」
「だめ? どうせ誰もいないし……」
「やっ、ん……噛むんじゃねぇ」
首筋に舌を這わせて、甘く噛んだ。汗のにおいに興奮した。シャツをたくし上げ、乳首を噛んだ。あ、と漏れた伊依の声が甘かった。下穿きに手を入れようとすると、伊依はいやいやと首を振った。
「やめろって……」
「でも俺もう」
「……こんなとこじゃいやだ」
潮風が吹く。波音が響く。ちゃんと布団で抱いてくれと、甘えた声で言った伊依の瞳は、星影に濡れていた。
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