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第8話 お弁当を届けに
「さて、リビングは終わったし……」
いつもの家事を終えた伊織は、テーブルの上にとある物が置いてあることに気づいた。
「あっ、お弁当! 雪翔くん忘れちゃったのか……」
伊織はスマートフォンのメッセージアプリを使って、雪翔に連絡を取った。
『雪翔くん、お弁当忘れてるよ』
幸い、既読はすぐついた。
『わー!? すみません、ごめんなさいっ!』
『大丈夫だよ。よければ僕、届けに行こうか?』
『え、いいんですか! 助かります!』
『会社の住所送ってくれる?』
送られてきた住所を調べると、電車で三十分ほどだ。
電車。伊織が最も苦手とするもののひとつ。
「……でも、うん、頑張ろう!」
伊織はお弁当と財布などを持って、玄関に向かった。
幸いなことに、今日は電車の中で痴漢に遭わなかった。通勤ラッシュの時間帯でなく、人も少なかったこともあるのだろう。
「えっと、ここのビルの六階って言ってたよね……」
エレベーターに乗って六階に行くと、そこには雪翔がいてくれた。
「伊織さん! すみません、わざわざ届けてもらって」
「ううん、大丈夫だよ。はい、お弁当」
「伊織さんの弁当忘れるなんて、マジでバカですね……ありがたくいただきますっ!」
「よかった、じゃあ僕帰るね」
「あっ、待ってください! タクシー代持っていってください!」
「え? いいよ、電車で帰るよ?」
「……伊織さん、まさか電車で来たんですか?」
「へ? うん……」
雪翔はがっしりと伊織の肩を掴んだ。その顔はひどく真剣で。
「電車ダメって前に言ってたじゃないですか!」
「で、でも通勤ラッシュじゃなかったし、痴漢されなかったし……帰りも平気だよ」
「ダメです! 帰りは絶対タクシーで帰ってください!」
雪翔は財布から二万円を出して、伊織に握らせた。
「これで足りると思うんで」
「駄目だよ雪翔くん! お金もったいないよ!」
「伊織さんがメシ作ってくれるお陰で食費だいぶ助かってるからいいんです!」
雪翔はぎゅっと伊織の手を握り締めた。真っ直ぐな、真剣な瞳。
「伊織さんに何かあったら、俺、自分のこと許せません。だから俺のためだと思って、使ってください」
真摯な表情に、胸が高鳴る。雪翔はどこからどう見ても、立派な大人の男だった。
「わ、かった……」
顔が赤いのを気づかれないよう俯く。ああ、好きになってはいけないと思えば思うほど、彼に堕ちていく。
そんな風に大事にされたら、伊織は馬鹿だから勘違いしてしまう。
「あ、あと三階にカフェあるんで、よかったら寄って帰ってください! それじゃ!」
雪翔は人懐こい犬のような笑顔に戻って去っていく。胸はまだバクバクと鼓動を鳴らしていた。
「好きになってない……なっちゃ駄目……雪翔くんは年下……」
必死に言い聞かせて、深呼吸をする。渡された二万円はまだ温かくて。
「カフェ……行くの、久しぶりだな」
雪翔はカフェに向かうために、ゆっくりと歩き出した。
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