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第24話 さよなら

 荷物は持っていけない。雪翔に気づかれる可能性がある。持っていけるのはスマートフォンくらいだった。だから、雪翔は家出の準備をしないまま、夜を待った。 「さ、寝ましょうか」  雪翔がベッドに入って、隣を空けてくれる。伊織はそこに入って、雪翔に寄り添った。  ──これで、もう、最後……。 「ゆきと、くん」 「ん、どうしました?」 「ぎゅーって……してくれる……?」 「そんなの、お易い御用ですよ」  雪翔はぎゅう、と伊織を抱き締めてくれる。ああ、この温もりを失いたくない。ずっとここにいたい。雪翔の、隣に。 「雪翔くん……」  好きだ、好きだ、好きだ。どうしようもなく、雪翔を愛していた。 「僕のこと、離さないで……」  最後にこぼれた、わがままな本音。逃げられないほどに、伊織を抱き締めてほしかった。 「離しませんよ。俺はずっと、伊織さんの傍にいますから」  ちゅ、と額に口づけが落ちる。これが最後、なら。 「口が、いい……」 「……なんか今日の伊織さん、すげーデレデレ。可愛い……」  唇を奪われる。優しい体温。ああ、これが最後のキスなのだ。もう二度と、伊織は雪翔の目の前に現れてはいけなかった。 「……ありがとう、おやすみ……」 「はい、おやすみなさい」  雪翔は幸せそうに目を閉じる。その笑顔を焼き付けて、伊織はひと筋涙を零した。 「すう……すう……」  雪翔が眠ったのを確認してからベッドを出る。パジャマから私服に着替えて、今まで雪翔からもらった金をリビングに置いた。 『僕は君に相応しくありません。今までありがとう。幸せでした。お金は返します。伊織』  置き手紙を残して、音を立てないように家を出る。 「っ…………」  行くあてなどなかった。夜の街を、伊織は独りで歩き続ける。  それはやがて、早歩きになって、いつの間にか走り出していた。 「っ、ぁ、あぁっ……! ひっ、ぅ、うぁあっ……!」  涙が止まらない、帰りたい、帰りたい! 今すぐ雪翔のところに戻って、愛おしさの中で眠りたかった。  けれど、伊織では駄目だった。雪翔の隣で笑って生きていいのは、こんななんの取り柄もない男ではいけない。  全部、全部幸せな夢だった。でも、伊織は大人だから、夢から覚めなければいけない。 「っ、ふっ、うっ……」  ただひたすら、走り続ける。幸せの形をした居場所を去って、伊織はひとりぼっちになった。  走っていると、どん、と誰かにぶつかった。 「おい、危ねえな!」 「…………すみません……」  相手は酔っぱらいのようだった。伊織をじろじろと見たあと、にやりと笑う。 「……へえ、アンタ随分美人じゃねえか。どうだ? 駅前のホテル一緒に入ったらぶつかったの許してやるよ」  男はにやにやと笑って、伊織の肩を抱いた。  ──もう、帰れない、なら。どうなっても、いいよね。 「……いいですよ、僕、泊まるところ探してたんです」  伊織は男を誘惑するように身体にしなだれかかる。 「へへ、こいつは上玉捕まえたな……」  男は遠慮なく伊織の尻をまさぐる。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。  雪翔以外に触れられたくない。雪翔のところに帰りたい。でも、でも、でも。  ──雪翔くん、これで僕のこと、嫌いになってくれるよね?  伊織は幸せになる資格を失って、死んだ目で男に微笑んだ。  

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