48 / 52

第48話 母

 カフェでひと口ココアを啜ると、ふっと身体の力が抜けた。 「……」 「ほら、伊織くん、ちゃんと食べて。もうお昼なんだから」 「はい……」  百合子に言われて、目の前のパニーニにかぶりつく。ゆっくりと咀嚼して、またココアをひと口。 「……ごめんなさい、百合子叔母さんもショックなのに、僕ばっかり取り乱して……」 「……最初はびっくりしたけど、今は落ち着いてるから平気よ。雪翔は身体頑丈だから、事故で死ぬわけないもの」 「…………」  伊織は俯いて、かつての記憶を思い出す。 「孝仁さん……前の夫が、交通事故で……」 「え……」 「あの日も、急に連絡が入って……何が起きたかもわからないまま、葬式が始まって……」  そして、伊織の居場所がなくなってしまった。悲しかったけれど、悲しむ暇さえなかった。  大切な人も、住処も全てなくして、誰かの慰みものになりかけた。  急に幸せがなくなる瞬間を、伊織は知っている。だからこそ、怖い。  もしかしたら、雪翔も──孝仁と同じように、自分を置いていってしまうのではないかと。 「だから、怖いんです……」  かたかたと手が震える。雪翔がいなくなるなんて。あの優しい太陽がなくなってしまうなんて、絶対に嫌だ。  次大切な人を亡くしたら、伊織は本当に生きる理由を失ってしまう。 「……伊織くん、前に、雪翔が昔から伊織くんのこと大好きだったって、話したよね」 「え……はい……」 「雪翔はね、ずーっと伊織さんに見合う人間になりたいって言ってたの。そのために勉強も運動も、仕事も頑張って……あの子の努力には頭が下がるね」 「……そう、だったんですか……」 「伊織くんが結婚した時もショックは受けたけど……でも、いつかって諦めなかった。それでようやく、伊織くんと一緒になれたの」 「…………」 「だから、雪翔がこんなところで死ぬはずがない。十八年追ってた夢がようやく叶ったのに、あっさり死ぬわけがないんだもの。だから私は心配してない。すぐに目を覚ますよ」 「百合子叔母さん……」 「大丈夫、大丈夫よ。あの子は伊織くんを置いていかない。そんな不義理な男に育ててない。だから今はちゃんと食べて、休んで、雪翔が起きたときに一発殴る力をためておきなさい」  冗談か本気かわからない言葉に、ぷっと笑みが零れる。 「殴って……いいんですか?」 「伊織くんが殴れないなら私が殴るよ。好きな相手泣かせるなんて最低だからね。我が息子でも容赦しない」 「ふふっ……じゃあ、僕殴るの苦手なので、代わりにお願いしますね」  微笑む百合子の鼻筋は、雪翔とそっくりだった。

ともだちにシェアしよう!