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第三話 縁切りの値段
特殊霊異対策室の朝は、お香くさい。出向三日目にして、俺はこのにおいに慣れてきた。上品で高貴な雰囲気ってやつだ、知らんけど。
御札の貼られた壁、机に積まれた和紙の束。どんと来い、ここに二年はお世話になるんだ。人間の適応力って恐ろしい。
奥のデスクでは三条 が和綴じの古文書とノートパソコンを両脇に並べて、難しい顔で睨めっこをしている。片や墨と筆、片や液晶の光。字面にすると冗談みたいだが、本人はいたって真剣だ。
「桃山 刑事。例の件、進展がありました」
三条が手招きする。覗き込むと、画面に映っていたのはフリマアプリだった。市民がみんな利用している不用品を売り買いできるやつだ。
「例の『マナの呪術講座』の発信者が、ここで品物を出しているんです」
出品ページに「縁切りお守り」、「悪縁切り護符」、「復縁成就強力」など、けったいなタイトルが並んでいる。
手書きの札を透明な袋に入れて、千円前後の値がついている。星は四つ半。レビュー欄には「ほんとに彼と別れられました!」やら、「職場の嫌な人が異動になった、感謝です」と、絵文字まじりの感想が並ぶ。
俺はしばらく言葉を失った。護符が、ポイント還元の対象になっている。
「……なんでこれが出品停止になってないんだ」
「通報されていないだけで、見過ごされているんでしょう。その気になればこうやって護符を売り買いできる」
三条はサングラスごしに画面を見たまま、声の温度を少し落とした。
「素人が形だけ真似たところで、たいていはなにも起きません。ただの紙です。ただこの発信者の『レシピ』には、本物が混じっている疑いがあります」
「本物ってのは?」
「効いてしまう、ということです」
画面をスクロールすると、出品は数十件。発信元のフォロワーは万を超えていた。手作りの護符を、ハンドメイドのアクセサリーと同じ気軽さで、みんなありがたがって買っていく。
「ずいぶんと流行ってるんだな」
「ええ。今の人は、神社の御守りより、こちらを信じるのかもしれません」
奥から、柔らかい声が割り込んだ。
「ワンコインで人が護符を手に入れる時代なんて、世も末です。民間呪術はある程度の信用があるけれど、クオリティなんて知れているのですから」
久世 さんが湯呑み片手に通りかかり、画面を一瞥して眉をひそめる。今日は藤色の着物だった。言いたいことだけ置いて、すっと自分のデスクへ戻っていく。通り風みたいな人だ。
三条は画面を閉じ、椅子ごとこちらへ向き直った。サングラスの奥で、俺をまっすぐ見ているのがわかる。
「桃山刑事。ひとつだけ、お願いがあります」
「なんだよ」
「軽率な行動は、くれぐれも、慎んでください」
やけに丁寧に、一語ずつ区切って言われた。
「だから、なんだって」
「念のためです。あなたは見える血筋ですから。素人の生半可な護符でも、効いてしまう体質かもしれない」
「……俺がやらかすと思ってんのか」
「いいえ」と三条は微笑む。
「ただ、刑事さんというのは、現物を見たがる人種でしょう」
俺はうっと唸る。図星だった。
現物を押さえてこそ捜査だ。
昼を過ぎて三条が久世さんに呼ばれて席を立った隙に、俺はそう自分に言い聞かせていた。証拠品ってのは現場で確保するもんだ。画面の向こうで眺めているだけじゃ、事件は解決しない。叩き上げ刑事の基本である。
基本である、と三度くらい胸の内で繰り返して、俺はスマホを取り出した。
「縁切りお守り」のページを開く。説明文には「しつこい相手とスッパリ縁が切れます」とある。八百円、送料込み。
ごくりとつばを飲み込んで、購入ボタンを押す。
押してから、はたと我に返った。これ、経費で落ちるのか。捜査資料費、品目・縁切り護符、八百円。久世さんに承認をもらう姿を想像して、こめかみが痒くなった。
まあいい。あとで考えよう。デカは現物を押さえてこそだ。
半分はただの好奇心だった。立入禁止の札を見ると入りたくなる、あれと同じだ。
三条が昼休憩から戻ってきた。俺はなに食わぬ顔でスマホをしまった。冷や汗はだらだら出た。
護符は数日後に俺の手元にやって来た。ここの住所がけったいすぎるので、自宅に届くよう手配していたのだ。
無地の封筒の中に、二つ折りの厚紙。開くと、半紙に下手くそな筆文字で、見たこともない記号が書き殴ってある。三条の書くやつとは似ても似つかない。あいつのは隅々まで整っていて、定規で引いたみたいだった。これはミミズがのたくっている。あまりに不格好だった。
所詮こんなもんか、と少し拍子抜けして、俺はそれを机に置く。素人とプロってやっぱ違うんだな。
ちょうどそこへ、三条が湯呑みを二つ持って戻ってきた。宇治の玉露だと講釈を垂れるが、俺は気にせずガブ飲みする。ここ数日の習慣だ。
「桃山刑事、お茶を——」
俺の机の手前で、三条の足が止まった。
次の瞬間。
ばちっ、と、空気が鳴る。
俺と三条のあいだで、青白いものが一瞬走った。静電気なんてもんじゃない。湯呑みの茶が波打って、机の和紙がぶわっと浮いた。三条の前髪が、見えない風に煽られたみたいに後ろへ流れる。
「うおっ、なんだ今の」
俺は椅子ごと飛びのいた。三条は、湯呑みを両手に持ったまま、半歩、後ろへ下がっている。
その顔を見て、俺は妙な引っかかりを覚えた。
驚いていた。あの飄々としてなにがあっても動じない男が、はっきりと、虚を突かれた顔をしている。サングラスの下、口元がわずかにこわばっていた。
「桃山刑事」
三条はゆっくり湯呑みを置いた。声が、いつもより低い。
「その紙を、こちらへ」
俺が机の護符を指さすと、近づこうとした三条との間に、また、ばちっと火花が散る。三条は今度こそ顔をしかめ、伸ばしかけた手を引いた。
「効いてんじゃねえか、お前に」
「……ええ。残念ながら」
三条は俺の脇をすり抜けるように回り込み、横から護符をつまみ上げた。正面からは近づけないらしい。不快でたまらぬ、という雰囲気をかもし出している。
「ふんっ」
半紙を素手で握り潰した。
握った拳の中から、白い煙が漏れる。指の隙間で、紙がじりじりと焦げていく音がした。ライターも火種もなにひとつ使っていない。三条はただ握っていただけだ。
拳を開くと、手のひらの上には、灰がひとつまみ残っているだけだった。
俺は口を開けたまま、固まっていた。
頭のなかで、いろんな常識が順番に音を立てて崩れていく。紙は素手じゃ燃えない。少なくとも、握ったくらいでは。
「……おい」
「はい」
「お前、今、素手で燃やさなかったか」
「燃やしました」
「なんで」
「陰陽師なので」
三条は、こともなげに言った。
「ジャパニーズ・オカルティック・パワーです」
ジャパニーズ・オカルティック・パワー。
その破壊的な言葉を、俺は脳内で一度復唱した。
陰陽師ってのは、塩だの札だの、ごちゃごちゃ道具を使うもんじゃなかったのか。昨日の玉川上水でも、小瓶やら紙人形 やらを律儀に並べていたじゃないか。それが、素手で。
俺は昨日まで、水の妖怪も結界も知らなかった。陰陽師なんてものが本当にいることすら、三日前に知ったばかりだ。そういう連中なら、素手で紙くらい燃やすのかもしれない。
……だからって、燃やすか?
「納得いってない顔ですね」
「いってねえよ、なんだそりゃ」
「言葉どおりの意味です」
まるで答えになっていない。三条はにこにこと笑っているだけで、それ以上は一言も足さなかった。
毎度この調子だ。こいつは、肝心なところで、するりと逃げる。
焦げくさいにおいが、お香の煙にまじって、しばらく部屋に残っていた。
俺はもう一度、灰の残った三条の手のひらを見た。火傷ひとつ、煤ひとつ、ついていない。あんなものを握り潰しておいて無傷だ。
その手を三条はそっと握って隠した。
「桃山刑事」
「あ?」
「お怪我は、ありませんか」
訊くのが、逆だろう。素手で火傷しかねないことをしたのは、お前のほうだ。
「ねえよ。お前こそ」
「私は、平気です」
食い気味に、三条は言い切った。すぐにいつもの掴みどころのない調子へ戻る。
「桃山刑事。ひとつ、確かなことがわかりました」
三条は灰を和紙にくるんで、懐へしまいながら言った。
「この護符は、縁切りの効能があるものです。本物ですね」
「……ガチってこと?」
「ええ。素人がつくったお守りのていをしていますが、中身はきちんと効く本物の霊符 です。素人が形だけ真似た紙くずではない。だから、私はあなたに弾かれてしまった」
俺はその理屈を追いかけて、途中で止まった。
「弾かれた、って、縁切りの護符だろ。しつこい相手と縁が切れるってやつ」
「そのようですね」
「じゃあ、なんでお前に効いたんだ。お前と俺の、縁を切ろうとしたってことか」
三条は、答えなかった。
ほんの一拍、間が空いた。ゆっくりと頷く。
「……おっしゃる通りかと」
俺はなんとなく、しまった、と思った。
深い意味はない。理屈で考えれば、いちばん近くにいる相手の縁を切ろうとした、それだけのことだ。出会って三日の相棒なんだから、いちばん近くにいるのが三条なのは当たり前だ。
「とにかく」と俺は話を戻した。
「素人がフリマアプリで、本物を売ってるってことだろ。これ、まずいんじゃねえのか」
「ええ。きわめて、まずい」
三条が、また真顔に戻る。よかった、スルーしてくれたようだ。
「形だけのまじないなら、放っておけばいい。本物が混じっているとなると話は別です。売った当人も、買った相手も、なにが起きるかわかっていない。八百円である程度の効き目がある護符が、見ず知らずの誰かのもとへ届いてしまう」
昨日まで普通に暮らしていた市民が、知らずに本物にふれている。二の腕が粟立った。
「発信者本人を、洗う必要がありますね」
三条はパソコンを開き、『マナの呪術講座』のプロフィールページを表示した。アイコンは、笑っているような花のイラストだ。本名も顔も出ていない。
「次は、この『マナ』さんを、追いましょう」
「ああ」
俺は頷いた。机に残った湯呑みに手を伸ばす。
八百円。縁ってのは、そんな端金で切れたり切れなかったりするものらしい。薄ら寒い話だ。
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