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第十一話 高尾の天狗たち

 翌朝、もう一度封印の岩場を見ておこうと、ふたりで本堂の裏手へ回った。岩場の手前に黒いものがずらりと並んでいて、俺たちの足が途中で止まる。  十、いや、もっといるな。人くらいの背丈の影が、岩場をぐるりと取り囲むように、整然と立っている。昨日、杉木立の奥でちらついていた影かと思ったが、こんなに群れてはいなかった。  近づくにつれ、ひとくくりに見えた影が、二種類にわかれて見えてきた。  高尾山の薬王院に像もあるから、よく知っている。正真正銘の烏天狗と赤天狗だ。  大半はくちばしの突き出た黒い顔で、背中に黒い羽をたたんだ、小柄ですばしっこそうなやつら。残りの数体は、それより頭ひとつ大きく、顔が赤い。鼻が天狗らしく、ぐっと高く突き出ている。葉団扇を持つ者、錫杖を握る者、一本歯の高下駄を履いた者。  羽の色も背格好もまちまちで、赤ら顔の大きいのが、くちばしの群れをまとめているように見えた。 「うっ……」  声を上げかけて、呑み込んだ。もうさんざん非現実的な状況を味わっているが、これはちょっと反則だろう。妖怪の代表みたいなやつらだぞ。許されるなら、写真を撮って保存したいぐらいだ。  天狗たちは襲ってこなかった。それどころかこちらに気づくと、二体ほどぱっと姿勢を正す。一体は小柄な烏天狗、もう一体は大柄な赤天狗だ。 「おお、人間が来たぞ」と、烏天狗が首をかしげる。 「あい、待たれよ。後ろのは……三条(さんじょう)どのではないか?」 「まことまこと、三条どのだ! ひさしいのう!」と、赤天狗がひょっこり身を乗り出した。  気安くこちらに話しかけてくるので、面食らった。天狗ってもっとこう、神々しいもんじゃないのか。 「杉若坊(すぎわかぼう)どの、玄昌(げんしょう)どの」  三条が、苦笑まじりに会釈した。 「お久しぶりです。お変わりなく、お元気そうで!」  烏天狗が杉若坊、赤天狗が玄昌という名らしい。 「変わりないもなにも、見張りで毎日ここに張りついておるわ」  杉若坊と呼ばれた烏天狗が、くちばしを鳴らして肩をすくめる。 「昼も夜もじゃぞ。なあ、玄昌」 「おうとも」  玄昌も、のっそりうなずいた。 「長老がこの杉若坊と玄昌めに昼夜問わず見張らせておる。ワシら、ぶらっくばいと、かもしれんぞ」 「こんぷらいあんすに、いはんしておる」と、すかさず杉若坊がつぶやく。 「ろうきに駆け込むべきではないか」  なんだこいつら。どこから仕入れてきたのか、妙な言葉だけ覚えやがって。  と、影の群れの奥が、すっと割れた。  小柄で白い髭を長く垂らした、ひどく年老いた天狗が杖をつき、そろりそろりと出てくる。ぎょろっとした大きな目は白く濁っていた。鼻は高いが、背丈は若い二体の半分ほどしかない。だが、まとう気配は、かなり重かった。並んでいた天狗たちが、くちばしも赤ら顔も、いっせいに頭を垂れる。 「たわけ者がっ」  しわがれた、よく通る声だ。 「なんと嘆かわしいことよ——ワシらは、天狗じゃぞ! 世俗にまみれたことを軽々しく口にするでない」  杉若坊と玄昌が、首をすくめて揃って「はっ。申し訳ござりませぬ」と詫びる。長老は、ふん、と鼻を鳴らすと、こちらへ向き直った。見えぬはずの目が、三条をとらえて嬉しそうに細くなる。盲目だろうに、どうもはっきり見えているようなそぶりだ。さすが天狗の長老。 「久しいの、三条どのや」 「これは長老」  三条が、深く頭を下げた。 「ご無沙汰しております。なかなかご挨拶にも伺えず、失礼申し上げます」 「かっかっか! 相変わらず、辛気くさい面じゃ」  長老は笑って、それから爛れた岩のほうへ目をやった。三条のどこが辛気くさいのか、とツッコみたいのを我慢した。ブラックバイトなんて覚えてくる愉快なやつらだ、長老の軽口もあいさつ代わりなのだろう。 「してなあ、三条どの。久世(くぜ)の姫君に言伝を頼まれてくれんかの」 「……姫君?」  思わず口を挟んだ。対策室の人間は久世さんと三条と俺だけ。久世家の人間で重要な任務にでもあたっている人物がいるということか。 「室長のことですよ」  三条が、こともなげに言う。 「この方々から見れば、当主とてまだほんの小娘です。天狗は、長寿なものでして」 「あの娘が母御の懐に抱かれて泣いておった頃から、よーう知っておるわ」  長老は嬉しげに目を細めた。久世さんのことを孫あつかいしている。 「当主になられたのは、つい三十年前かのう。してな、伝えてくれ……この山の封じ、もう持たんぞい」  重々しい物言いに、空気がひやりとする。 「待ってくれ」  俺はたまらず遮った。 「あんたらはこんだけの数で、夜も昼も見張ってんだろ。誰かが忍び込んで解けるわけがねえ」  長老は首を振った。玄昌は腕を組み、憤慨の様子で一語一語、区切るように言う。 「我らを見くびってもらっては困る。拙僧らは何人たりとも、この聖域に立ち入らせてはおらん。鬼も、人も、虫一匹とてじゃ。なのにこの封じは、三条どのがあらわれる、ほんの少し前に突然ひとりでに滅びでた」 「ひとりでに、と申しましたか?」 「さよう、さよう」  杉若坊が、神妙にうなずく。 「誰もふれておらぬのに、内からひとりでにほどけていくのだ。気味の悪いことよ。姫君にご報告をば、と思うておったところに、ちょうどそなたらが来た」  背筋がぞっとした。  岩に目をやる。爛れた黒は、昨夜見たときよりはっきりと広がっていた。ふたつだった結び目が、四つ。半日で倍だ。  誰も手を出していない。天狗が完璧に守っている。にもかかわらず、封印が内側から勝手に滅びかけている。  目黒だ。あの黒い杭。五色不動(ごしきふどう)を緩めて、漏れた力を西へ流す。三条が言っていた、燃料と鍵だ。東京の結界を遠くからほどくだけで、ここに指一本ふれずに、この山の封印を内側から腐らせている。  手を、汚していない。ちょっとつついただけだ。そっちのほうが、よっぽどおそろしかった。 「……応急で、抑えます」  三条が岩に手をかざした。俺はとっさに、その背中に手を当てる。昨夜と同じだ。理屈はわからないが、こうするとこいつは安定する。  三条が長い(しゅ)を唱えた。爛れた黒が、じり、と押し戻される。だが、完全には戻らない。途中でぴたりと止まった。 「……ここまでです」  三条がふうっと、息を吐いた。 「これ以上は、私の手では戻せない。腐るのを、遅らせるのが精一杯だ」 「上出来じゃよ」  長老が労うように言った。 「もとより、ほどけたものを結び直せるのは、これを最初に結んだ者だけじゃて——のう、三条どの」  三条は、答えなかった。  長老の目が三条からゆっくりと俺へと移る。なにも見えていないのに、値踏みするような視線だった。 「ほう……」  長い、長い間があった。 「その者を、連れて来たか」  俺のことだ、とわかった。なんで天狗の長老が、俺を見てなつかしむような目をするんだ。 「……はい」  三条の声が、少しだけ、変わった。 「そうか。そうか」  長老はそれ以上は無言で、ただ満足したように、何度かうなずいた。なにかを察したようなその間が、かえって不気味だ。  ふいに、山の上へ目が行った。  遠い尾根の上。木々の切れ間に、人影がひとつ。  逆光で顔は見えない。鬼灯衆(ほおずきしゅう)の連中とも、天狗とも違う。ただ、立っている。こちらを、いや三条をじっと見下ろしているだけだ。なのにそこにいるというだけで、足元の岩がぎしと、軋んだ気がした。爛れた黒がほんのわずかまた広がる。 「三条。あれ」  俺が指さすと、三条もそれを見ていた。サングラスの奥にある瞳が、すっと細くなる。  次の瞬間、岩場の空気が変わった。  天狗たちが、いっせいに尾根へ向き直ったのだ。くちばしも赤ら顔も、さっきまでの緩んだ気配が消えて、羽を半ば開き低く身構えている。杉若坊が喉の奥で、がるる、と鳥とも獣ともつかない音を鳴らした。  長老が一歩前に出て、杖を両手で頭上に掲げる。小柄な身体から山がひとつ起き上がるような気配が立ちのぼった。 「——嵐吹く、戸山の風に、しこりなす、向こう悪魔を吹き返せり!」  しわがれた声が、朗々と岩場に響き渡る。歌うような、祝詞(のりと)のような節回しだ。 「ノウマク・サマンダ・バザラダン・カン!」  ごう、と風が鳴った。  山の下から吹き上げた一陣が、岩場を抜け、杉木立を揺らして、まっすぐ尾根へと駆け上がっていく。木々が波のようにしなり、風の道が目に見える。  尾根の上の人影が、わずかに身じろぎした。  風が届いた、その一瞬だけ、影の輪郭が揺らいだように見える。やがて影は背を向け、尾根の向こうへ消えた。それきり足元の軋みは止んだ。  風が収まると、天狗たちが羽をたたみ直す。 「……すげえな。追い払ったのか」 「天狗の神歌じゃ」  長老は、杖を下ろして、ふん、と鼻を鳴らした。だが、その声に勝ち誇った響きはない。 「悪しきものを、山の風で吹き返す。とはいえ、勘違いするでないぞ。あれは、退いたのではない。興が削がれたから、帰っただけよ。あの程度で祓える相手なら、わしらはとうに、こうも難儀しておらん」 「……あれが」  三条が、低くつぶやいた。 「鬼灯衆……ですね」  天狗たちが、ざわ、と羽を鳴らした。長老が杖で地をこつ、と突く。 「急がれよ、三条どの。あれがただ見ておるだけで、封じが軋む。次に来るときこそ、見ておるだけではすむまいて」  羽ばたきの音とともに、影の群れが、いっせいに梢へ舞い上がる。くちばしも、赤ら顔も、まとめて杉木立の上へ。最後に長老が、こちらを一度だけ振り返った。 「達者でな、なつかしいお方よ」  なつかしい、お方。  聞き慣れない呼ばれ方に戸惑う。長老とは、今日が初対面だ。なつかしいも、なにもないだろう。問い返す前に、老いた天狗の姿は、もう朝の杉木立に紛れて消えていた。 「……なんだったんだ、ありゃ」 「さあ。長老のお戯れでしょう」  三条はいつもの調子で言ったが、下りの足はなぜか俺の半歩うしろについたままだ。振り向くと、サングラス越しの視線とかち合った。 「なんだよ」 「いいえ。……ちょっと疲れまして」  連日の封印だったし、さもありなん、というやつだ。俺も気を利かせて、「帰りの運転は俺がする」と告げた。

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